第九話 例外だった三年
記録院の告示は、月の初めに出ます。
各領の事故の集計を一枚にまとめて、役所と教区に貼り出すのだそうです。
その月の告示に、ハースト領の三年分についての一行が入りました。
当該期間の記録の欠落は記入漏れによるものではなく、移転によるものと認める。
その下に、表が付いておりました。
紙は薄く、糊が二か所しか付いておりません。風で下の端がめくれます。リディアが片手で押さえました。
わたくしはそれを、街道の教区の掲示板で見ました。リディアが背伸びをして、上の行から読み上げます。
「六年前から三年前までの三年、三十四件」
「ええ」
「三年前から今年の春までの三年、三件」
「はい」
「今年の春から今日まで、四か月で六件」
リディアが指を折りました。
「三十四を三で割ると、一年で十一くらい。四か月で六件だと、一年で十八件」
「そうなりますわね」
「多いじゃない」
「そう見えます」
告示の下のほうに、細かい字で但し書きがございました。
当該家において現在生じている事故の頻度は、移転期間以前の水準と比べ、有意な差は認められない。
「これ、どういうこと」
「この程度の数では、多いとも少ないとも言えないという意味でございましょう。四か月のあいだに続けて起きますと、多く見えます。見えるだけでございます」
有意な差は認められない。
十一文字でございます。
わたくしはその十一文字を、二度読みました。
三年、ハーストのお家に何も起きなかったのは、わたくしがそこにいたからでございます。そして今、いろいろなことが起きているのは、わたくしがいないからではございません。
「お姉様」
「はい」
「これ、意味が分かった人はいるの」
「これから、いらっしゃるでしょう」
三日ほどで、いらっしゃいました。
王都の茶会で「あちらのお家は呪われている」という言い方をなさった方が、別の方に「呪いではないそうですよ、あれは元からああいうお家で、三年だけ例外だったのだそうです」と直されたのだそうです。直したのは、あの慈善会の主催の未亡人でございました。
言い方が変わりますと、話の向きも変わります。
呪われている家には、同情が集まります。元からそういう家だった家には、集まりません。
厩を四つと荷馬車を十二持っていれば、それだけのことが起きる。持ち物の数だけものは起きるとオズウィンさんが仰ったのは、そういう意味でございました。
ハースト家の寄付の順位が下がったことと、告示の表とが、同じ月に並びました。
その頃に、もう一つ分かったことがございます。
リディアが、教区の書記から聞いてまいりました。ヴァルド家に断りを入れさせた話がどこから出たか、という件でございます。
「ハースト夫人の侍女が、うちの領の産婆に話したんだって」
「産婆」
「産婆はいろんな家に行くから。二年前の秋」
「よく分かりましたわね」
「書記のところに、産婆の届け出の控えがあるの。誰の家に行ったか、日付で残ってる」
記録は、こういうときに出てまいります。
「そう」
「フェイの女は嫁ぐと相手の凶を吸う。だから娘を出すときは気をつけたほうがいい。そういう言い方だったって」
わたくしは、庭の梅の木を見ておりました。
嘘ではございません。ハースト夫人は嘘を仰らない方でございます。
わたくしが引き受けていたことをご存じで、ご自分の家ではそれを歓迎なさって、よその家には気をつけたほうがいいと仰った。よそのお嬢さんが同じことをなさっては、あの方の家の分が減ります。
「お姉様、怒った」
「いいえ」
「わたし、怒ってる」
リディアはそう言って、それから背筋を伸ばしました。
「お姉様。わたし、来月から王都の織物の組合に行く」
「組合」
「叔母様の紹介。帳場の見習い。三年やったら、自分で店番ができるって」
「三年」
「うん。三年」
その言い方に、含みはございませんでした。この子にとって三年は、ただの三年でございます。
「縁談は」
「来たら考える。来なくても困らない」
リディアは、梅の木の下の石に腰を下ろしました。
「二回とも、父様が決めて、向こうが断って、それで終わった。わたしは一度も口をきいてない。相手の顔も知らない」
「そうでしたわね」
「今度は、わたくしが選びます」
わたくしと同じ言い方でございます。
その翌週に、ドレイク様がフェイの領を通られました。
細工師のところへ行く途中で、その宿場を通ります。
ドレイク様は、荷を二つだけお持ちでした。侍女はついておりません。旅の格好で、髪をきつく結んでおられます。
目が合いました。
ドレイク様が、頭を下げられます。わたくしも下げました。
それだけでございます。
近づきもいたしませんでしたし、お話もいたしませんでした。あの方に申し上げることを、わたくしは持っておりません。
馬車が出ますとき、ドレイク様が窓から手を出されました。手袋を嵌めた手でございました。
細工師のところで、替えの石突を二つ、引き取っていただきました。
去年、軸の直径を測って誂えたもので、まだ使っておりません。
「お使いになりませんので」
「今のが、思ったより保ちそうでございますので」
老人は二つを手のひらに乗せて、重さを確かめられました。
「施療院に、杖の要る方が何人かおいでです。お回ししてよろしいですか」
「そうしてください」
三年、わたくしはこれを九つ取り替えてまいりました。取り替えるたびに、次はいつになるかを考えておりました。
半年で減るということは、半年ぶんの重さがそこに乗っていたということでございます。
今度のものは、平らなところだけを歩けば二年は保つと言われております。
平らなところだけを歩くつもりはございませんが、次にいつ取り替えるかを、当分考えなくてよくなりました。
帰り道に、ソーン様がいらっしゃいました。
門のところで待っておいででした。手には何も持っておいでになりません。
「フェイ嬢」
「告示を拝見いたしました」
「そのことで参りました」
ソーン様は、門柱のほうを一度ご覧になって、それからわたくしに向き直られました。
「先に伺うべきでした。数字を出すことと、あなたを出すことは違いますので」
「わたくしの名は、出ておりませんでしたが」
「出ております。移転、と書けば、移した者がいることになります。この領で移せる家は一つしかございません」
「そうですね」
「わたくしは、空欄を埋めることばかり考えます。埋めれば正しくなると思っております。埋められる側に断りを入れるという手順が、いつも抜けます」
ソーン様は、そこで少し黙られます。
「姉のときも、そうでした。名前の欄を作らせるのに二年かかりまして、作らせたあとで、母に言いました。母は、そういうことは先に言ってほしかったと申しました」
「お母上は、お怒りに」
「怒りませんでした。ただ、二年のあいだ何も知らずにいたことを、悲しんでおりました」
わたくしは門の掛け金に手を置きます。
「ソーン様」
「はい」
「わたくしは、告示を見て、腹が立ちませんでした」
「はい」
「有意な差は認められない、と書いてございました。あの一行のために、わたくしは三年、脚を差し出したのだと思いました」
「はい」
「差し出したことを、後悔してはおりません。ただ、あの一行が先にあれば、と思いました」
ソーン様は、うなずかれます。それから、こう仰いました。
「次からは、先に伺います」
次から、と仰いました。
わたくしは掛け金を上げて、門を開けました。
そのあとのことは、まだ何も決めておりません。決めていないということが、こんなに軽いとは思っておりませんでした。
呪われていたのではなく、三年のあいだ、あの家だけが例外だったのです。




