第七話 触れずに
手袋が届きました。
指の長いものを五組。麻の薄いのが三組、羊革が二組でございます。羊革のほうは、はじめのうち指の付け根がきついのだそうです。
嵌めてみますと、手のひらの感じが変わりました。ものを掴む力が少し落ちます。杖の握りが、指一本分だけ遠くなったように思われました。
その代わり、人の手を取っても何も起きません。
リディアが台所から出てきて、わたくしの手を見て、それから何も言わずにまた入っていきました。
同じ日の午後に、ハースト家の紋の入った封書が届きました。
差出人はギルバート様でございます。厚うございました。四枚か、五枚か、それくらいの厚みです。
封蝋を見ますと、押しが浅うございました。三度ほど押し直した跡が縁に残っております。
封は切りませんでした。
書き物机の引き出しに入れて、鍵はかけずに閉じました。三日後に、ハースト夫人がお越しになりました。
先触れが朝に参りまして、昼過ぎに馬車が門を入ります。フェイの屋敷にあの家の馬車が来るのは、婚約の日以来でございます。
応接間へお通ししました。父は領地の見回りで留守にしております。母は体を悪くしてから、人にお会いになりません。
「ロザリンドさん」
「ご無沙汰しております」
夫人は手袋を外して、両手を差し出されました。
わたくしの手は、膝の上で組んだままでございます。
夫人の手が、少しのあいだ、宙にございます。それから、膝へ下ろされました。
「その手袋、新しいわね」
「先日誂えました」
「よくお似合い」
そのまま椅子にお座りになりました。背を伸ばして、足を斜めに揃えて、手を膝の上で重ねられます。三年のあいだ、わたくしはあの座り方を横から見ておりました。晩餐の席で、いつも斜め向かいでございましたので。
「あの子から、お手紙が行ったでしょう」
「頂戴いたしました」
「読んでくださった」
「まだでございます」
「そう」
夫人は、そこで一度、窓のほうをご覧になりました。フェイの庭は狭うございます。梅の木が三本と、井戸と、物置しかございません。
「あの子は、あなたに感謝しているわ」
「さようでございますか」
「それでね、ロザリンドさん。今日はそのことで参りましたの」
膝の上の小さな革の袋を、持ち直されます。
「三年分は、きちんとお支払いいたしますから」
雨戸の隙間から、風が入っておりました。
「お支払い」
「ええ。あなたが好きでなさったことだというのは、わたくしも存じております。けれど、こちらが何もしないのは、筋が通りませんでしょう。主人とも話しました」
「筋」
「額は、こちらで出しております。医者にかかっていらっしゃるのでしょう。それから、この先のご縁のことも」
袋の口を開けようとなさいます。
「ハースト夫人」
「なあに」
「額は、うかがわないほうがよろしいかと存じます」
夫人の指が、袋の口で止まります。
「どうして」
「うかがえば、わたくしはその額を覚えます。覚えたものは、消えません」
「ロザリンドさん」
「三年のあいだにわたくしがしたことに、値段が付くのでしたら、わたくしはその値段で三年を思い出すことになります。そういう思い出し方をしたくございません」
「思い出さないほうがよろしいでしょう」
「思い出します。毎日、雨の前の晩に」
袋の口が、閉じられました。
「あなたは、あの子を困らせたいの」
「いいえ」
「では、なぜ」
「困らせるつもりがあるのでしたら、額をうかがって、それから足りないと申し上げます」
夫人は少しのあいだ黙っておられます。
それから、袋を膝の横に置いて、こう仰いました。
「もう手遅れだと、そうお思いなの」
「手遅れではございません」
わたくしは膝の上の手を組み直します。
「間に合うか間に合わないかという話でしたら、間に合っておりました。三年間ずっと間に合っておりましたので。終わったというだけでございます」
「あなたは、変わったわね」
夫人の声には、責める調子がございませんでした。
「そうでしょうか」
「三年前は、もっと素直な方だったわ」
素直、と仰いました。
わたくしは何も申し上げません。夫人は袋を持ち直して、立ち上がられました。玄関までお送りする道すがら、夫人は廊下の額をご覧になります。よいお家ですこと、と仰いました。
門で、夫人が振り向かれました。
「あの子、今も右の肩をかばうのよ。六年前の骨のところ。あなたがいらしてからは、一度も落ちなかったのに」
そう仰って、馬車にお乗りになりました。
門が閉まる音。車輪の音が坂を下ってゆきます。
謝罪はございませんでした。
その夕方に、ソーン様がお越しになります。
「お邪魔をいたします。写しをお持ちしました」
応接間の卓に、紙を四枚並べられました。役所の様式でございます。上のほうに整理の番号が入っております。
「ハースト領の三年分について、別紙を綴じました。こちらがその写しです」
わたくしは目を落としました。
日付の下に、こう書いてございました。
当該期間、当該家における事故の届け出がないことについては、記入漏れではなく、フェイ伯爵家息女ロザリンド・フェイによる継続的な移し身の稼働によるものと認める。稼働期間三年一か月。同期間内に本人へ生じた身体の損傷について、別表の通り。
別表がございました。
三年前の十一月、左脚。二年前の五月、右鎖骨。同年七月、右手首。同年の冬、左脚再発。去年の六月、右手首。以下、十八行。
十八行のうち、九行が左脚でございます。同じところが繰り返し出ておりますのは、そこが一番弱くなったからでございましょう。
十八行でございます。
「よくお調べになりましたのね」
「ご本人の医者の記録と、橋の通行記録と、先方の家令の日誌を突き合わせました。日誌は、先方から出していただきました」
「オズウィンさんが」
「ご当主が出せと仰ったそうです」
わたくしは、その紙をもう一度見ました。
三年、誰も数えなかったものが、四枚の紙になっております。けれど、書き写されるまで、それは無かったことになっておりました。
移し身の稼働、と書いてございます。稼働という字を、自分に使われたのははじめてでございます。
「ソーン様」
「はい」
「これは、消えませんの」
「綴じたものは残ります。訂正は二重線でしかできません。消したところも読めるように残ります」
「そうですか」
わたくしは紙の端を揃えます。指が上手く動かず、二度やり直しました。
「フェイ嬢」
「はい」
「痛みますか」
三年、この問いにはいつも同じ答えを返してまいりました。今日もそうしようと思って、口を開きます。
出てまいりませんでした。
わたくしは黙っております。ソーン様も、何も仰いませんでした。窓の外で、梅の枝が風に鳴っております。
しばらくして、手袋の指先を引っ張りました。
「ソーン様は、はじめてお会いした日から、手をお取りになりません」
「はい」
「ご存じでしたのね」
「橋の記録と、事故の記録を並べたときに、そうではないかと」
「では、申し上げます」
わたくしは、この方の目を見ます。
「わたくしに触れれば、あなたの不運もわたくしのものになります」
言ってしまうと、思ったより短い一文でございました。
ソーン様は、少しのあいだ黙っておられます。
それから、こう仰いました。
「わたくしには、姉がおりました」
「姉上」
「六年前に、荷馬車の下敷きになりました。市場の日で、人が多うございました。誰も引き受けませんでした。引き受けられる者が、そもそもおりませんので」
「はい」
「役所の記録には、一行でございます。日付と、場所と、死亡一名。名前の欄は、当時の様式にはございませんでした」
ソーン様は、卓の上の四枚を揃えられます。
「わたくしは、それを直す仕事をしております」
わたくしは、うなずきました。
「フェイ嬢。ひとつだけ、申し上げてもよろしいですか」
「どうぞ」
ソーン様は立ち上がって、外套をお取りになりました。それから、手袋を嵌めたままの手を、少しだけ持ち上げられます。
そのまま、こう仰いました。
では、触れずに、隣を歩きます。




