3.箱庭(1)
「ね、猫が……喋った!?」
「猫とは失礼な。私は高等な精霊だよ。そこの辺にいる、獣と比べられるのは心外だなぁ」
えっ、猫じゃない? 高等な精霊?
「とにかく、箱庭を行き来する指輪を持っているってことは、君が新しいご主人様になったということさ」
「そ、そうなんだ……」
おじいさんはそんな事言っていなかったけど、これでいいのかなぁ?
「ケンジはどうしている?」
「ケンジって?」
「じいさんがいなかった?」
その言葉に体が固まる。言い出せずに、俯く。
「……そうか、逝ってしまったか。まぁ、長い生きしたほうじゃないかな」
「猫さんは悲しくないの?」
「覚悟はしていたからね。その話もしていた。最期はここで看取るって言っても、それは拒まれたんだよね。箱庭を信用できる人に渡したいって……私の心配をしてね」
おじいさんはここを誰かに渡したかったんだ。じゃあ、最期には希望が叶ったってこと? ……良かったね、おじいさん。
「……ケンジは最期には良い人に出会えたようだ。最期はなんて言っていたんだい?」
「君のお陰で幸せだったって言ってたよ」
「……そうか。最期は幸せで逝ったか……」
猫さんはそう言って、空を見上げた。そこには私の知らない絆があるようで、とても温かい気持ちになる。
「体はどうした? もし良かったら、箱庭に埋めたいんだけど」
「体は光に包まれて消えたよ」
「ということは、神様の仕業か。まぁ、それが一番か……」
私の話に猫さんはしんみりといった様子だった。もしかして、ここに一緒にいたかったのかな? 私と同じ思いな気がして、切なくなった。
「うん、悲しんでいても仕方がない。ケンジは最期は幸せだった、それが聞けただけでも満足さ」
その猫さんの姿が我慢しているように見えて、辛かった。だから、私はそっと猫さんを抱きしめた。
「……大丈夫? 私はまだ悲しいよ?」
慰めるように撫でると、ふわふわな毛並みがとても心地よかった。その体をたくさん撫でてあげると、黙った猫さんが私に頭を擦り付けてくる。
今だけはお互いに何も喋らない。ただ、気持ちを重ねて、辛い気持ちを感じ合った。それだけで、強くなれた気がする。
「……ありがとう、落ち着いたよ。私の紹介がまだだったね。私の名前はエルリカだよ」
「私はリマ、十歳だよ」
「リマ、良い名前だ。さぁ、新しいご主人様に箱庭を紹介しよう」
エルリカは私の腕をするりと抜けると、尻尾をピンと立てて歩き出した。
「この箱庭は大きな孤島にある。ケンジが自分の為の場所が欲しいと言って、作ったものだよ」
「……島? 全然、そうは見えない」
島ってことは、海に囲まれているんだよね? そんな風には見えない。
「そして、ここにケンジの故郷の生活様式を再現した。とても便利に使える魔道具がいっぱいあるんだよ」
「魔道具? 凄く高級品じゃ……」
「驚いてくれて嬉しいよ。その魔道具を紹介していこう」
そう言って、エルリカは家の扉の前に立った。すると、扉が自然と開く。
「えっ、どうして?」
「私にもそれなりに力があるからね、それを使っているんだよ。こっちに来て」
そう言って、エルリカは家の中に入って行った。私もそれに続いていくと――。
「わー、広い! 立派! 綺麗!」
そこは広い玄関。外は石造りだけど、中は木のぬくもりが溢れる場所だった。広い天井、広くて長い廊下、奥に見える階段。まるで、お城に入ったみたいだ。
「喜んでもらえて良かったよ。まず、リマに紹介したい場所がある」
そう言って、エルリカは家の奥へと進んで行った。その後を追うと、一つの扉の前にたどり着いた。
その扉が自然と開く。そこは小さな小部屋で籠とかタオルが置いてあり、もう一つの扉があった。
「ここは脱衣所。奥がお風呂ね。まずはリマは綺麗になってもらわないと」
「えっ?」
「魔法でも綺麗に出来るんだけど、お風呂の方が圧倒的に気持ちいいからね。ぜひ、体験してもらいたい。さぁ、脱いで」
「ぬ、脱ぐ?」
そう言われて、途端に恥ずかしくなる。裸になるのは、ちょっと気が引けた。
「ほら、早く。お風呂に入るよ」
もう一つの扉を開け、エルリカが中へと入る。私は慌ててボロ服を脱いで、中へと入る。中は清潔感のある白色で、床や壁の材質が違うように感じられた。
広い床の奥には、窪んだ場所がある。これは、何をする場所なんだろうか?
「まず、このボタンを押して」
「う、うん……」
指し示された部分を見ると、四角が浮き出てでいた。その中の赤いボタンを押す。すると、窪んだ場所の横から水が出てきた。……いや、湯気が立っている。もしかして、お湯?
「凄い、これ……どうなっているの?」
「驚いた? こうしていたら、お湯が溜まるんだ。溜まったら中に入るの」
お湯の中に? 熱くないのかな?
「じゃあ、次はこっちの蛇口を捻って」
「うん……」
蛇口? 初めて聞く名前に不思議に思いながらも、言われた通りに捻る。すると――。
「ひゃっ!?」
上から水が降ってきた! 慌てて飛びのけて見てみると、少し平べったい突起から雨のように水が降ってきた。
「今は水だけど、次第にお湯になるよ。ちなみにこれはシャワーっていうんだよ」
「へ、へー……」
そんなもの見たことがない。水がこうして出るものも、お湯になるのも……ここは凄く不思議な空間だ。
しばらくすると、シャワーから湯気が出てくる。触ってみると、凄く温かい。それに、当たると気持ちいい。
「じゃあ、そのシャワーを頭から被るんだ」
頭からかぶると、全身が濡れる。でも、嫌な濡れじゃない。濡れているのに、なぜか気持ちいい。
「じゃあ、ここからは私の指示に従って。そしたら、全身綺麗になるから」
「う、うん……」
エルリカの話を聞きながら、私は頭の先からつま先まで綺麗に洗った。不思議な液体を使うと泡がいっぱい出てきて、それで体を洗うと驚くほどに綺麗になった。
私の汚れた長い髪が、綺麗な金髪になり。砂埃で汚れた肌が、綺麗な肌へと生まれ変わった。爪の先まで汚れが取れて、全身が綺麗になった。
「凄い……。髪と肌ってこんなに綺麗だったの?」
「うん、見違えたね。体も綺麗になったし、湯舟に浸かろうか」
「湯舟?」
「お湯が溜まっている中に入るってこと。ちなみに、これは浴槽って言うんだよ」
じゃあ、浴槽の中に入ればいいのか。温かいシャワーを浴びただけでも気持ちがいいのに、この中に入ったらどうなるんだろう。
ドキドキしながら、浴槽に足を入れる。両足を入れ、ゆっくりと体を沈ませる。すると、温かいお湯が全身を包み、身震いするような気持ちよさが広がった。
「ふぁ~……」
「どう? 気持ちいい?」
「……うん。なんか、凄い……」
思わず力が抜けてしまう。温かいお湯が肩まで包み込んでくれて、体がじんわりと溶けていくみたいだった。
こんな感覚、初めてだ。今まで冷たい水で顔を洗ったことしかない。体だって、雨で濡れるくらいだった。だから、お湯に浸かるなんて考えたこともなかった。
なのに――気持ちいい……。
体の奥に溜まっていた疲れが、ゆっくり溶けていく。擦り切れた足も、痩せた体も、「もう頑張らなくていいよ」って言われているみたいだった。
目を閉じる。すると、温かさがもっと分かる。お湯が肌を撫でるたびに、強張っていた心まで柔らかくなっていった。
こんなの、知らなかった……。
お風呂って、ただ汚れを落とすだけじゃないんだ。苦しいこととか、辛いこととか、寂しい気持ちまで、少しだけ軽くしてくれる。
お腹が空いていることも。毎日怒鳴られていたことも。一人で眠っていた夜も。
今だけは、全部遠くなっていく気がした。
「……幸せ」
ぽつりと、言葉が漏れる。するとエルリカが目を細めた。
「ふふっ、それは良かった」
お湯の中で膝を抱える。温かい。安心する。怖くない。そんな場所が、この世界にあったんだ。
気づけば、頬が自然と緩んでいた。そして私は、お湯に肩まで浸かりながら、小さく息を吐く。
「……ここ、好きかも」




