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第2話 山下海は少年に出会った

山下海は料理をしていると、いつも母のことを思い出す。


お母さんが死んでから、私の生活は変わった。

フツフツとあぶくが沸き上がるカレーの鍋の前、山下海は今日も物思いに更けっていた。


海の毎日は勉強と家事だった。

学校ではとにかく板書を正確に書き写し、疑問は担当教師にすぐに訊きに行った。

理由の一つは塾の費用を負担できる家庭環境になかったこと、もう一つは純粋に理解の幅が増えていくことを楽しめていたこと。

家事も嫌ではなかった。

父は感謝を積極的に口にして、海も父の力になれていることを素直に喜ぶことができたから。

母を亡くしてからも自己憐憫の誘惑に甘えなかったのは、彼女の強さと言えるだろう。


そんな彼女にある日、転機となり得る事件が起きた。


「山下…あのさぁ…」

その男子は顔を赤らめながら、ばつが悪そうに切り出した。

ここは校舎裏の桜の木の下。

告白スポットとしては定番の場所だ。


海はその男子の焼けた肌も、整えていない眉毛も、少し黄色い前歯も、妙に高い声も決して好みではなかった。

しかし、舞い上がった海は、普段の聡明とも受け取られる物静かさも、自身の好みさえも忘れてしまったようだった。


「え?え?え?え?マ?嘘…マ?

え?待って待って待って待って…

告白…だよね?

これで告白だよね?

え?ヤッバ!

え?ヤッ…え?私?」

聞き耳を立てる必要もなく、海の声は男子にしっかりと届いていた。


男子は青ざめて後ずさると。


「あ…あ…ご、ごめんなさい!」

そう残し、いや言い終わる前に既に、逃げるように立ち去っていた。




「そう…そんなこともあったわね…」

海は何故か、料理をしているとこの事を思い出す。

そして気恥ずかしさを誤魔化す為に、独り言を言うのが癖だった。


「あ!福神漬け無いじゃん!

おとう…さんはいないんだった…

よし!買いに行こう!」


………

……


ナツキは指南書を思い出す。

まずは山下海の視界に入って警戒心を解くところから。


ナツキは鞄に手を入れ、小道具として用意した壊れたスマートフォンを地面に落とす。

そして、慌てた様子で急いで画面の消えたそれを拾い上げると、ボタンを押し、画面を叩く。


「うわぁ…まじかぁ…」

山下海に聞こえるよう、さりとてわざとらしさを消したあくまでも独り言…

ナツキは存外、理に適った指南書たちに、心の中で感謝した。


「あの…大丈夫ですか?」

海は深く考えることも、警戒することもなく、自分から声を掛けた。


内心でグッと拳を固めたナツキは、逸る気持ちを押さえて口を開く。

「あ…その…

スマホが…壊れちゃってさ…

ここ初めて降りた駅だから、どうやって帰ろうかなって…」


ナツキは練習を重ねたタイミングで、手に持った割れたスマートフォンを目の前に出した。


「わ!大変!

画面ガビガビだ…」

海は本気で心配し、力になりたいと心から思っていた。


「私!送ります!

駅はあっちですよ!

ほら、行きましょう!?」

ナツキとしては予想外で、拍子抜けだった。

警戒心は感じられず、思い通りに事が運ぶ。

これはチャンスだ。

ナツキは計画を進めた。


「ありがとう!助かるよ!

優しいんだね!」

ナツキはまず、感謝をハッキリと伝えた。


そこから数分歩いた後、次のアクションをかける。


「その…さ…

僕は南雲ナツキって言うんだけどさ

お礼したいな…なんて…」

少し恥ずかしそうに、慣れてると思われるのはマイナス!

ナツキの脳内に大きなフォントの活字が甦る。


「お、お礼なんてそんな…」

海は戸惑った。

これナンパかも…と勘ぐる心と、それを否定する数々の証拠。

顔はちょっと遊んでそうな金髪だけど…目が透き通ってて青いし、これ地毛なのかな?

ていうか睫毛なが!

指もながい!

声も落ち着いてて好きだなぁ…

喉仏が動くのもなんかこう…見ちゃう…

あ!違う!

だってホントにスマホ壊れてたし!

さっきも慣れてなさそう!って感じのしゃべり方してたじゃん!

お礼受け取るくらい…


「…てる?

聞こえてる!?」

ナツキの声にハッとした海は、視線を目に合わせた。


「え?わ!

なんで…しょうか…?」

「これ!」

ナツキが一枚のメモを差し出していた。

そこには電話番号が書かれている。


「これは…」

「目の前で書いたのも見えてなかった?

電話番号渡しとくから、お礼受け取っても良いよって思ったら連絡してよ

お礼したいのは僕のわがままだから!」


駅に着いた海は、改札の向こうで手を振るナツキから目を離せなかった。

握ったメモは、ほんの数分の間にしわくちゃになっていた。


………

……


そこからのナツキの作戦は順調に進んだ。

翌日、早速海から連絡があり、駅前の喫茶店でお茶をすることになった。

ナツキは、駅前のデパートで買えるタオルハンカチをお礼として持参した。


ナツキ到着から数分後、バスから降りた海がパタパタと駆け寄ってきた。


「わ!ま、待った!?

えっと…南雲…くん…」

海は左足に体重を乗せて立つナツキに視線を奪われた。

待った?ってきゃー!デートみたい!

ていうか、うわー…南雲くん足ながぁ…

この前と違ってズボン黒いや。

ジャケットは同じ…かな?

でもインナーが違うから印象が全然違う!

靴はスニーカーなんだ。

荷物が紙袋だけで、なんか男の子!って感じがする。


「んーん、今来たとこ

入ろ、そこで良いよね」

ナツキが指差したのはチェーンの喫茶店。

休日で混み合う店内の中に、ちらほらと空席が見える。


「うん!」

海は勢い良く首を縦に振った。


「海ちゃん、これ

お礼に」

「海ちゃん!?」

「あれ違った?

電話で言ってなかったっけ?」

「いやあってるけどいきなり!?」

「あ、ごめん…

馴れ馴れしかったね

改めてこれ、この前はありがとう」

うわぁ…もしかしたらって思ったけどホントにお礼の品だった…

海は差し出された紙袋に、すんなり手を伸ばすことができなかった。


「う、受け取れないよ!

ちょっと道案内しただけなのに…」

「そんなに高い物じゃないよ

あの時はホントに助かったんだ

それに山下さんにって思って選んだから使い道がなくなっちゃうし、また助けると思って貰って欲しいな」

「うぅ…はい…

ありがとうございます…」

タオルだ。

ピンクで花柄…

確かに南雲くんのイメージとは違うね。

海の手は汗に濡れていた。


ランチタイムに差し掛かった喫茶店は、空席を待つお客で列ができ始めていた。


海の視線は定まらず、話したことも聞いたことも耳を素通りしていく気分だった。


「そうだ、オーロラって見たことある?」

ナツキの問いかけは少々唐突ではあったが、海に何かを察する余裕などなかった。


「な、ないです」

「あ、そういえば年近そうだよね

僕は18歳なんだけど」

「あ!私も!」

「じゃあ山下さんもタメ口でいいからね

話しやすいなら敬語でもいいけど」

「うん…」

「じゃあ話の続き

僕もオーロラ見たことないんだけど

それでこの前友達にね

死ぬ前に見た方が良いぞって言われてさ

でも僕は死ぬ前だったらもっと別のことしたいなって思ったよ

お腹いっぱいケーキ食べたい!とか上司に一発ビンタしたい!とか」

「ぷっ!

なんか子供みたい!」

「あ、ひど!」

「あ、ごめん!

バカにしてるつもりはないよ?

なんかちょっとかわいくて…」

「なにそれ褒めてる?

じゃあ山下さんは?

明日死ぬとして何がしたい?」

「え…えっと…私は…」

海は耳まで赤く染め、言葉を濁す。


「そ、その…でっデデデ…」

「デデデ?」

「デート…です…」

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