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一本のプラスチックフォーク

 買い出しの帰り道、車内には夕方の光が差し込んでいた。


 助手席の音羽は、シートベルトを軽く直しながら荷物の伝票を確認している。

「よし、だいたい予定通りですね」

「優秀だねぇ」

 ハンドルを握りながら、店長が軽く笑う。


 いつもの帰り道。

 いつもの会話。

……のはずだった。


「たまには、スイーツでも食べに行こうか」

 何気ない調子で、店長が言った。

 音羽はすぐに顔を上げる。

「いやいや、うちの店の経営状況を考えてくださいよ」

 即答だった。

 間髪入れない現実担当。

 店長は苦笑する。

「ですよねー」


 少しの間ののち、音羽は窓の外を見ながら、小さく付け足した。

「……でも、ちょっとだけなら」

「え?」

「ちょっとだけなら、いいです」

 その言い方は、妙に現実的で、妙に控えめだった。



 結局、二人は帰り道にある人気のケーキ屋に寄った。

 テイクアウトだけ。

 人気のフルーツタルトだ。

 あくまで“仕事の延長”。

 そういう建前で、助手席の音羽が紙袋を抱える。


「これ、完全に寄り道ですよね」

「買い出しの帰りだからセーフでしょ」

「その理屈、経理に怒られますよ」

「経理って誰だっけ」

「アタシです」

 店長は笑いながら車を発進させる。



 ちょっとした渋滞で車が止まったときのことである。

 音羽が紙袋の中からケーキの箱を取り出すと、フォークが一本だけ入っていた。

 プラスチックの、簡易的なもの。


「あ」


 二人の声が、ほぼ同時に重なる。

「一本しかないですね」

 音羽が言う。


「まあ……いいか。俺は運転があるし、音羽さん先に食べていいよ」

 店長は軽く言った。


 音羽は箱を開けると、小さく一口すくった。

「……美味しい!」

 素直な声だった。

 仕事中の顔でもなく、店を回す顔でもない。

 ただの、食べている人の顔。


 それを、店長は信号待ちの間、横目でじっと見ていた。

「……なんですか」

 気づいた音羽が、少しだけ警戒するように言う。

「一口あげませんよ?」

「いや、別にそういうつもりじゃ」

「嘘つき」

 軽く睨まれる。


 店長は笑ってごまかした。

「しょうがないですね」

 音羽はため息をつくように言って、フォークでタルトを一口取り分けた。

 そしてそのまま、少しだけ向きを変える。


「はい」


 助手席から、店長の方へフォークが伸びる。


 信号待ちの車内。


 狭い空間。


 逃げ場のない距離。


 店長は一瞬だけ固まったあと、


「……じゃ、いただきます」


 と、少しだけ声を小さくして、それを口に運んだ。


「……あ、本当だ、美味いな」


 何気ない一言。


 その瞬間だった。


(あ)

(今、同じフォーク……)

(使ったよな)


 気づいたのは、ほぼ同時。

 車内の空気が、ほんの少しだけ変わる。

 さっきまで普通だった距離が、急に意識される。


 窓の外を見る音羽。

 前方を見る店長。

 どちらも、同じように黙る。


(いや、別に深い意味は……)

(ただのフォークだし……)


 頭では否定しているのに、なぜか心拍だけが正直だった。


 信号が青に変わる。

 車がゆっくり動き出す。

 その間も、二人はしばらく同じ方向を向いたまま、何も言わなかった。


 ただ、フルーツタルトの甘酸っぱさだけが、やけにはっきり残っていた。

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