寝たフリとフリース
営業が終わると、店の音は一気に引いていく。
冷蔵庫付き作業台を拭き終えた店長は、厨房からホールへ戻ったところで、ふと足を止めた。
カウンター席の一つに、音羽が伏せている。
両腕を枕代わりにして、完全に力が抜けた姿勢だった。
(……寝てるな)
今日も昼から夜まで、ほぼ休みなしだった。
「……そりゃ疲れるわけ、か」
店長は小さく呟いて、バックヤードからフリースを持ってくる。
軽く広げて、音羽の肩にそっと掛けた。
乱暴にならないように、慎重に。
こういう時だけ、やけに手つきが丁寧になるのは自分でも不思議だった。
「いつも、頑張ってくれてありがとうね」
言ってから、自分でも少し気恥ずかしくなる。
普段はわざわざ口に出さない言葉だ。
それを、今日に限っては自然に言えてしまった。
(……寝てるよな)
そう思って、すぐに視線を外す。
しかし、その瞬間。
バッ、と音羽が顔を上げた。
「……起きてます!」
完全に目が合う。
一瞬、空気が止まる。
「うわっ!? 起きてたのかよ!」
「起きてました!」
即答だった。
間髪入れず、まっすぐ睨んでくる。
耳まで真っ赤だ。
「なんですか今のは、恥ずかしいこと言わないでください!」
「お前が寝たフリするからだろ! 感謝の言葉を言って損したわ!」
「寝たフリじゃないです、休憩です!」
「同じだろ!」
言い合いになりかけて、しかしどちらも本気ではない。
声だけが少し大きくて、内容はどこかくだらない。
しばらくして、音羽が小さく視線を逸らした。
「……でも」
「ん?」
「フリース、ありがとうございます」
ボソッとした声だった。
さっきの勢いが嘘みたいに、小さい。
店長は一瞬だけ言葉に詰まり、
「……どういたしまして」
とだけ返した。
それ以上は、何も言えなかった。
音羽はそのまま、何事もなかったようにテーブルを拭き始める。
店長も厨房へ戻る。
背中を向け合ったまま、作業が再開される。
どちらの口元も、少しだけ緩んでいた。
気づかれない程度に。
でも、確かに。
この店は今日も、いつも通りで、少しだけ違っていた。




