二人の営業時間
営業時間、11時〜14時。そして、18時〜21時。
けれど、二人にとっての『本当の時間』が流れるのは、いつだってその外側だった。
客がいる時間は、仕事。
客が帰ったあとの静寂だけが、二人の時間。
個人経営の、小さな飲食店。
回しているのは、店長と店員の二人だけ。
だからこそ、一日は長い。そして、誰の目にも触れない時間ほど、濃い。
朝9時──無言のシンクロ
開店前。
シャッターが半分だけ開いた薄暗い店内に、音羽が入ってくる。
「おはようございます」
「おう」
挨拶は、それだけ。
愛想も、特別感もない。けれど、不思議と冷たくはない。
音羽は手慣れた動作でエプロンを締めながら、当然のように冷蔵庫を開ける。
店長は背を向けたまま仕込みを続け、特に振り返りもしない。
言われなくても、それぞれが、自分のやるべき場所へ向かう。
10年。
長いようで、あっという間だった時間。
「今日、田中さん来る火曜日ですよね」
包丁の手を止めず、音羽が言った。
「あ」
店長の手が、そこで初めて止まる。
「忘れてた。大根、多めに剥いといて」
「最初からそのつもりです」
もう、“説明”がいらない。
どちらが何を考えているか。誰がどこで詰まるか。何を先回りして支えればいいか。
全部、身体に染み込んでいる。
午後3時──まかない時間の会話
ランチの余韻が漂う店内には、揚げ物の匂いと、静かな疲労が残っている。
二人は誰もいない店内で、椅子に腰を下ろす。
豪華な食事ではない。
けれど、どこか一番落ち着く時間。
店長が何も言わず、自分の皿から、音羽の皿へひょいっと何かを移した。
小ぶりの、青々としたブロッコリー。
音羽の好物だ。
「……またですか」
「嫌なら返して」
「返しません」
当然のように、わける。
当然のように、たべる。
テレビからは、お昼のニュースの音が低く流れていた。
野菜の値上がり。ガソリン価格の変動。他愛のない、そんな話。
「最近、本当に物価上がりましたよね」
「うちもメニュー、値上げする?」
「ダメです」
即答だった。
「常連さんが泣きます」
「店は?」
「そこは店長が頑張ってください」
「ブラック職場だなぁ、うちは」
会話に、ドラマチックなオチはない。
でも、沈黙が訪れても、ちっとも苦じゃない。
それが、二人の10年だった。
夜10時──“また明日”の重み
すべての片付けが終わる。
床も洗った。鍋も磨いた。
冷蔵庫の確認も終わった。
ようやく、長い一日が終わる。
店長が入り口のシャッターを下ろす。ガラガラという重い音が、夜の街に響く。今日という日が終わる音だ。
「お疲れ」
「お疲れ様でした」
音羽が自分のバッグを持つ。
でも、すぐにはドアへ向かわない。
「あ、店長」
「ん?」
「明日の朝に使うアサリ、野菜室で砂抜きしてありますから」
「助かる」
少しだけ、沈黙。
「じゃあ。また明日」
「……はい。また明日」
たったそれだけ。
なのに、胸の奥が少しだけ、すとんと安心する。
明日も、きっと同じ時間に出勤してくる。
同じように仕込みをして。
同じように小言を言い合って。
同じように、まかないのブロッコリーを分け合う。
恋人ではない。
家族でもない。
ただ、10年、毎日一緒にこの場所を守ってきた。
だからこそ。
今の二人にとって「また明日」という言葉は、どんな愛の囁きよりも、ずっと大きくて、確かな約束になっていた。




