不格好なタルト・タタンとずるいフォーク
「まかないに甘い物追加してくださいよ」
あの日の音羽の一言から、数日後。
昼の営業を終え、店内がようやく落ち着いた頃、厨房の奥から甘い香りが漂ってきた。
「できた」
店長が、少し得意げな声を出す。
カウンターの上に置かれたのは、試作のタルト・タタンだった。
見た目はまだ少し不格好で、端の焼き色もまばらだが、それでもきちんと“それらしい形”になっている。
音羽は目を瞬かせた。
「……本当に作ったんですか」
「うん。まかないに甘い物追加って言ってたでしょ」
「いや、そういう意味じゃ……」
言いかけたが、すでにフォークを持たされている。
一口。
口に入れた瞬間、音羽の表情がわずかにほどけた。
「……美味しい」
素直な声だった。
甘さは控えめで、素朴な感じがする。
それでも、ちゃんと“スイーツとして成立している”どころか、キャラメリゼも申し分なく、少し悔しいくらいにちゃんとタルト・タタンだった。
「でしょ?」
店長は少しだけ誇らしげに笑う。
その顔が妙に腹立たしくて、でも同時に、少しだけ嬉しい。
音羽はもう一口食べようとして──そこで止まった。
フォークが、ない。
気づいた時にはもう遅かった。
店長が、さりげなくそれを持っていた。
「どれ、俺にも一口ちょうだい」
「あ、それアタシの……」
……タルト・タタン!と言おうとしたが、止める間もなく、店長はそのままフォークを口に運ぶ。
何の躊躇もない動作だった。
そして、これでもかというくらい平然とした顔で咀嚼し、
「ん、ちょうどいい甘さだな」
それだけ言って、何事もなかったかのように厨房へ戻っていく。
シンクの方から、再び作業音がし始める。
残された音羽は、カウンターの前で固まったまま、フォークを握っていた。
店長が使っていたそれを。
自分が使っていたはずのそれを。
(え……今の……)
頭の中で状況を整理しようとするが、うまくいかない。
ただひとつだけ確かなのは、さっきまで普通だったはずの空気が、どこかおかしくなったということだけだった。
じわじわと、耳が熱くなる。
首筋から、顔の中心に向かって、ゆっくりと熱が上がっていく。
(それ、アタシの……)
さっき自分が言った言葉が、別の意味を持って反響する。
フォークを見下ろす。
何でもない金属のはずなのに、やけに存在感がある。
音羽は小さく息を吐いた。
「……ずるい」
誰にも聞こえない声だった。
厨房の奥からは、店長の鼻歌が微かに聞こえていた。




