勘違いのオーブン
それは、先日の「仕込みノートのプロポーズ案」から数日後のことだった。
アタシはホールの冷蔵庫を拭いていた。
そこへ、厨房で発注書を見つめていた店長が、何気なく声をかけた。
「あ、音羽さん。ちょっと相談なんだけどさ」
「はい? なんですか」
実はここ数日、アタシは気が気ではなかった。
あの仕込みノートの件以来、店長がいつストレートな言葉を投げかけてくるかと、内心ずーっと身構えていたのだ。
そんなアタシの緊張を知ってか知らずか、店長は業務用オーブンのカタログを指差しながら、いつも通りのんきな声で言った。
何度も見返したのだろう、カタログはヨレヨレだ。
「これさ、もう思い切って『一生モノ』にしちゃおうと思うんだよね。初期投資はちょっとかかるけど、『石を入れるから安定する』んだよね。『発注書にサイン』しちゃってもいいかなって。どう思う?」
店長の話は、表面的には『業務用オーブンの話』だが、このアタシの目はごまかせない。
少し大袈裟に表現している所など、バレバレだ。
アタシの優秀な脳内フィルターを通せば、それを完全に変換できる。
『一生モノ=夫婦、せきを入れる=籍を入れる、発注書にサイン=婚姻届にサイン!』
「……ッ、」
一瞬、店内に静寂が訪れる。
アタシの耳の裏が、茹でダコを通り越して一瞬で沸騰した。
心臓が爆発しそうなほどの勢いでドクドクと鐘を鳴らす。
──つ、ついに来た……って、ちょっと待ってよ!
待ちに待った瞬間のはずだった。
なのに、ヨレヨレのカタログを片手に持ったまま「どう思う?」なんて、あまりにも雑すぎる。
緊張と、恥ずかしさと、男としてのムードのなさに、アタシのメーターは限界を突破して振り切れた。
「──な、なんですかそれ!!! サイテーです!!!」
ドンッ!
アタシはカウンターを激しく叩いた。
「ええっ!? サ、サイテー!?」
アタシの抗議に気圧されたのか、店長は、しきりに首をかしげている。
「な、なんで!? やっぱり高すぎるかな? でも、法定の耐用年数は8年だから──」
「金額の問題じゃありません! なんですかその、ついでみたいな言い方は! しかも一生モノとか言っておいて、8年ってなんですか! 籍を入れるとか、サインするとか、そんな大事なことを、ヨレヨレのカタログを持ったまま、業務連絡みたいに済ませようとしないでください! 信じられません!」
「え、いや、業務用オーブンの話だし、一応ちゃんとしたメーカーなんだけど……」
「うるさいです! アタシは絶対に認めませんからね! もっとちゃんと……っ、ちゃんと場所とか言葉とか、考え直して出直してきてください!!」
それだけを猛烈な勢いでまくしたてると、アタシは涙目になりながら、バタン!!と激しく裏口のドアを閉めて休憩室に移動した。
厨房に取り残された店長が、あっけに取られたように独り言をいっているのが聞こえた。
「……え? えーっと、ピザ用の蓄熱石板が入るオーブン、そんなに嫌だった……? 場所とか言葉って何だ……? ショールームに一緒に行って、メーカーの人と直接話をしたいってこと……?」
アタシはそれを聞き、今さらになって本当にオーブンの話だったのだと気づいた。
──あ、アタシ、何勘違いして怒ってんのよっ!
もうアタシが、その場で出来ることと言えば、恥ずかしさに悶絶して頭を抱えることだけだった。
「……っ、すいません、ちょっと低血糖でイライラしてました! で、その石板入りのオーブン、ピザは何分で焼き上がるんですか?」
「そ、そうか、お腹空いてたんだね。さっき試しに焼いたクッキーあるんだけど食べる?」
「石板タイプなら、バゲットみたいなハード系のパンも本格的なのが焼けるし、ローストチキンもジューシーになりますよね。……メニュー増やすなら、手伝ってあげなくもないですけど」
「お、おう、詳しいね……!」




