休日の方程式
定休日の午前10時。
一人で街を歩く店長は、いつもより少しだけ寂しい背中をしていた。
大型のキッチン用品店で、天井まで届きそうなスチール製の棚の前に立ち、店長は顎に手を当てていた。
「あ、これ、うちの店のデザート用皿にちょうどいいな」
お目当ての白い角皿に手を伸ばす。
すると、まったく同時に、隣からも別のすっと白い手が伸びてきた。
ぽすっ。
「あ、すみません」
反射的に謝りながら顔を見合わせた店長は、次の瞬間、文字通り息を呑んだ。
そこにいたのは、少し大人っぽいネイビーのワンピースに身を包んだ、見違えるほど綺麗な音羽だった。
「えっ、音羽さん……!?」
「て、店長……っ!?」
ふたりは弾かれたように手を引っ込め、同時に数歩飛び退いた。
「な、なんでここにいるんですか!?」
「いや、なんでって、それは俺のセリフっていうか……」
パニックになりながらも、店長は自分の手の甲に残る、音羽の肌の滑らかな熱を意識せずにはいられなかった。
そして何より、普段のエプロン姿とはギャップがありすぎる彼女の私服姿に、心臓がうるさいほど跳ね始める。
音羽の方も、真っ赤になった耳の裏を必死に隠すように俯き、なにやらもじもじしている。
「い、いやね! お店のケーキ皿が、古くなってたからさ。買い替えようと思って!」
「アタシだって、お店に合うお皿のイメージをリサーチしようと思っただけです!」
お互い、必死に繰り出した言い訳は「お店のため」という点で完全に一致していた。
店長は赤くなった首筋をペタペタと触りながら、意を決して提案する。
「じゃあ……せっかくだし、一緒に見て回る?」
「……まぁ、店長一人だと変なデザインの買いそうですし。研究ということで付き合ってあげます」
こうして、なし崩し的に「備品買い出し」という名目のデートが始まった。
「……音羽さん、その服、なんか新鮮だね。すごく似合ってる」
「……そうですか? 店長こそ、そのジャケットなんか変ですよ。普段ヨレヨレのTシャツしか着ないくせに」
ツンとそっぽを向く音羽だったが、その頬がうっすらと桃色に染まっているのを、店長は見逃さなかった。
しかし、いざインテリアや雑貨売り場を巡り始めると、10年の歳月がふたりを「いつもの空気」へと引き戻していく。
「店長、このフォーク、うちのケーキセットに合わせるに軽くていいんじゃないですか?」
「あー、確かに。それなら運ぶのも洗うのも音羽さんの疲れないな。じゃあ、それにしよう」
音羽の仕事に合わせて、カトラリーを買うのが当たり前になっている。
そんな中、新婚夫婦と間違われ、音羽はペアカップを薦められたが、今回は要らないとだけ言い断っていた。
「音羽さん、夫婦っていわれてたけど、否定しなくて良いの?」
「いいですよ、知っている人じゃないですし、もうキリがないですから」
そういう音羽は、ちょっとだけ上機嫌だった。
買った物をカートに乗せて車に戻る頃には、空はすっかり綺麗な夕焼け色に染まっていた。
結局、荷物を降ろすために、誰もいない自分たちの店へと戻ってくる。
カチャリ、と鍵を開けて、暗い厨房に入る。
照明を点けると、いつもの見慣れた洋食店が二人を迎えた。
「ふぅ……疲れた〜!」
音羽がカウンター席にパタリと座り込む。
そんな様子をみて店長は、手際よくコーヒーを淹れ、音羽の前にそっと置いた。
「はい、お疲れ様。……なんかさ、一日中外にいたのに、結局お店のことばっかり考えてたね」
店長は苦笑しながら、自分のカップを両手で包み込む。
「本当ですね。私たち、休みの日くらいお店のこと忘れたらどうなんですか」
「無理だな。生活の一部みたいなもんだよ」
店長のその言葉に、音羽はふっと、今日一番の柔らかい笑顔を咲かせた。
「ふふ、そうですね。……でも、悪くないお休みでした」
いつものカウンター。
いつもの距離感。
「休日」のドキドキは、「いつもの店」という、安心感へと溶けていく。
その静かな重なりが、また次の一週間を作っていくのだった。




