白い夜と世界一の告白
それは、予報を遥かに超える突然の大雪だった。
夕方には外の景色が真っ白に染まり、電車もストップ。
当然、こんな夜にわざわざ足を運ぶ客など一人も現れず、店内の静寂だけが深まっていく。
「……店長、これもう誰も来ませんね」
「そうだねぇ。よし、今日は営業を早めに切り上げよう!」
そう決めたまでは良かったのだが、外を覗いた音羽はすぐに頭を抱えた。
積雪はすでに膝の高さまで達しており、とても歩いて帰れる状態ではない。
「完全に閉じ込められましたね、アタシたち」
「参ったな。……まぁ、幸い店の中は暖かいし、電気も通ってる。暇だし、ちょっと試作品でも作ってみるか」
店長はそう言って、腕まくりをして厨房へ向かった。
「試作品かぁ。まかないのチャーハンか何かで十分ですよ?」
そんな様子を見ながら、音羽はカウンター席に腰掛け、のんきに声をかけていた。
……が、厨房から聞こえてくる音が、どう考えても「暇つぶしの試作」の域を超えている。
肉を叩く音、ハーブの爽やかな香り、何種類もの鍋が火にかけられる音。
店長の目は、本気の時のプロの目になっていた。
「はい、まず前菜ね。海の幸のテリーヌ・彩り野菜のソース」
「……え?」
目の前に差し出されたのは、まるで高級フレンチのような、美しく盛り付けられた一皿だった。
音羽が目を丸くしている間に、店長の「試作品」は止まらない。
「次、スープ。じっくり炒めたオニオングラタンスープ。温まるよ」
「ちょっと、店長……?」
「はい、魚料理。真鯛のポワレ、白ワインソース。皮目パリパリに焼いたから」
「……!」
スプーンとフォークを動かすたび、音羽の口の中に至福が広がる。
けれど、驚きはそれだけでは終わらなかった。
「で、これがメインの肉料理。──国産牛フィレ肉のロースト、赤ワインとトリュフのソース」
ナイフがすっと入る柔らかいお肉。
噛み締めるたびに、贅沢な旨味が口いっぱいに広がる。
「美味しすぎますけど……これ、試作品の域を完全に超えてます!」
そして極めつけに、美しくデコレーションされたイチゴのタルトと、淹れたてのコーヒーまでが目の前に並んだ。
前菜からスープ、魚、肉、そしてデザートまで。完璧なフルコースである。
音羽はすっかり空になったお皿を見つめ、それから、厨房の奥でエプロンで手を拭いている店長を見上げた。
「……あの、店長。これ、全部アタシ一人で食べちゃいましたけど」
「まぁ、他に客いないしね」
「贅沢すぎます、こんなの……」
「いいんだよ。大雪の中、材料を腐らせるわけにもいかないし。……どうだった? 口に合った?」
店長はいつもの様に、どこか不安そうに音羽の顔色を窺う。
音羽は、コーヒーカップを両手で包んだまま、深呼吸をして真っ直ぐに店長の目を見つめた。
「──店長の料理、やっぱり世界一好きです」
「え、あ……えっ?」
次の瞬間、店長の動きがピキリと止まった。
いつもなら音羽が戸惑って赤くなるところだが、今度は完全に逆だった。
店長の顔が、首筋から耳の裏まで、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
普段のヘタレな様子はどこへやら、彼はあわあわと両手を泳がせ、視線を激しく彷徨わせた。
「あ、いや、その……ありがと、う? いや、光栄、です……?」
いつもと口調が違う店長。
そんな彼を見て、今度は音羽のほうが、いたずらっぽくクスリと笑った。
「ふふ、店長、真っ赤ですよ」
「うるさいなぁ! 心臓に悪いこと急に言わないでよ!」
そう言ってへたり込む店長を、音羽は引き下がるつもりもなく見つめ続ける。
──そういえば、今日は3月14日だ。
「店長。これ、バレンタインのお返しってことで、アタシへのホワイトデーのプレゼントとして受け取ってもいいですか?」
「……っ、確信犯だろ、君は!」
外は冷たい大雪が降り積もる白い夜。
けれど、閉ざされた小さな洋食店の中だけは、春が訪れたかのような、とびきり甘くて熱い空気に満たされていた。




