ウイスキーと大好きな二人
閉店後。
仕事中の凛とした彼女とはちがい、結んでいた髪をほどいている。
肩に落ちた髪が、いつもより少しだけ、彼女をアンニュイに見せていた。
明日はお店の定休日。
だから今夜は、二人でお酒でも飲もうかということになっている。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った店内。
仕事中には流れない低く甘いジャズの旋律が漂っている。
店長がバックバーの棚の奥から、一本のシングルバレルを取り出した。
ひとつの樽からそのまま瓶詰めされた、混じり気のない特別なウイスキーだ。
音羽の瞳が琥珀色のボトルに反射して、ふっと熱を帯びたように細められた。
「……アタシ、大好きなんです」
噛み締めるような、どこか切ない響きすら含んだ声だった。
カウンター越し、ボトルを置いた店長の瞳も、いつになく真剣な光を宿している。
「俺も、大好きだ。ずっと前から」
「……」
「……」
一瞬、濃密な沈黙が二人の間に流れる。
音羽は少しだけ悔しそうに、でも溢れんばかりの愛おしさを隠せないように、小さく口元を尖らせた。
「多分、アタシの方が先に好きになったんだと思います」
「いや、それはないな」
店長は即座に首を振る。
一歩も譲る気はないという強い意志が、その低く落ち着いた声にこもっていた。
「間違いなく、俺の方が先に好きになった」
お互いに引かない「大好き」を、真っ正面からぶつけ合い、見つめ合う二人。
静かな店内の温度が、そこだけ急に上がったかのように熱い。
──だが。
腕を組んだ店長が、してやったりという顔で笑う。
「だって、俺がこれを飲み始めたとき、お前まだ未成年だっただろ。まだお酒を飲める年齢じゃなかったよね?」
「あ、ずるい。年齢制限を持ち出すのは反則です」
「事実だろ? だから俺の方がファン歴は長い。こればっかりは決定」
そう言って、子供みたいに嬉しそうに、琥珀色の液体を二つのグラスに注ぐ店長。
音羽も「もう、店長ってば本当に負けず嫌いなんだから」と呆れたように笑いながら、自分のグラスに手を伸ばす。
──それは、ウイスキーが大好きだという、趣味の会話だった。
「やっぱり、“長い時間”を掛けて育てたのは一番だな」
「アタシも、クセはあっても“そのまま”が一番です」
二人は幸せそうに、同じ琥珀色のグラスを優しく揺らし、立ち上る香りを愉しんでいる。
──けれど、
さっき重なった「大好き」という言葉が、
一歩も譲らなかった「自分の方が先だ」という意地が、
お互いにとって「一番だ」と言い切ったあの想いが、
ウイスキーだけの話だったのかと聞かれたら──たぶん、二人とも自信を持って頷けない。
「他には、なにも要らないな……」
店長が静かに引き寄せる。
「ええ……」
音羽もそっと口を近づける。
「アタシもです」
店内には低く甘いジャズの旋律だけが、余白を埋めるように漂っていた。




