第11話
十二月の下旬、ポート・ヘイヴンには雪まじりの北風が吹きつけていた。
鈍色に沈んだ海が、防波堤に白い飛沫を叩きつけている。そんな日の夕暮れ、高台の家の扉を叩いたのは、約束どおり雪が深くなる前に来てくれたジョナス様だった。
ソフィア伯母様は「知り合いの家で冬至祭の集まりがあるの」と言って、早々に出かけてしまった。出がけに私の耳元で、「鍋を焦がさないようにね」とだけ囁いて。
家の中には、私とジョナス様の二人きりだった。
居間の暖炉に楢の薪をくべてくれている彼に、私は台所から声をかけた。
「リリーさんは、今度はどうしていらっしゃるの?」
「親戚の家に、自分から泊まりに行くと言い出しましてね。従姉妹たちと冬の刺繍をするんだそうです」
ジョナス様は火かき棒を置いて、照れくさそうに頭を掻いた。
「針で指を刺さないかとか、夜更かしして風邪を引かないかとか、喉まで出かかった小言を全部飲み込みましたよ。マルタにも『坊ちゃんは心配しすぎです』と背中を叩かれました」
「よく我慢なさいましたね」
まさかリリーさんの裁縫箱から、こっそり針を抜いてきたりはしていないでしょうね。そう言いかけて、やめた。この人ならやりかねない。
会話が途切れると、台所にはスープ鍋の蓋が鳴る音だけが残った。
十月の防波堤から二か月。手紙ではいくらでも他愛のないことが書けたのに、冬の閉め切った家で二人きりになると、なぜか体が固くなる。私は洗い桶で蕪を洗い、それを刻む手元ばかり見ていた。
その固さが伝わったのだろう。台所の入り口に立ったジョナス様が、居心地悪そうに鼻の頭を擦った。
「……楽しみにしていたのは、俺だけでしたか」
「いいえ、そんなことありませんわ」
すぐに否定したのに、声が固くなってしまった。
ごまかすように、刻んだ蕪を鍋に滑り込ませる。
「ジョナス様。実は今月の初めに、ヒュー様がここへいらしたんです」
背後で、彼の気配が動いた。
「ヒューが? 何かされませんでしたか」
「いいえ。ひどい格好で、お金を貸してほしい、父たちに取りなしてもう一度婚約させてほしいと。もちろん、全部お断りして帰っていただきました」
木べらで鍋をかき回しながら、なるべく平らな声で言った。ジョナス様は息を呑み、それから長い溜め息をついた。
「実は、イザベラもうちへ来ました。十日ほど前に。髪を売って、帰りの馬車代を作ったそうです。あいつも同じでした。父親への口添えと、服を買う金をねだりに来た。二度と関わらないと言って、帰しました」
「手紙には、書いてくださいませんでしたね」
「書きかけて、やめました。会って話したかったので。……あなたも、でしょう」
図星だった。私は鍋をかき回す手を止めた。
ヒュー様のことを手紙に書けなかったのには、もう一つ理由があった。あの雨の日、ほんの一瞬だけ、体が勝手に彼を助けようとした。その一瞬が、ずっと胸に引っかかっていた。
「どうしました、ロザリーさん」
手が止まっているのに気づいて、ジョナス様が台所に一歩入ってきた。
私は火を弱め、木べらを置いて、彼に向き直った。蕪を洗った冷たい水で、両手が濡れていた。その手を握り合わせて、指先を手のひらに押し込んだ。
「……さっき、ひとつ黙っていたことがあります」
彼の手が、戸口の柱から離れた。
「ヒュー様が困っているのを見て、私、どうしたら助けられるか考えてしまったんです。お断りする前に、ほんの少しだけ」
ジョナス様は口を開きかけて、閉じた。居間で薪のはぜる音がした。
「まだ、あいつのことを?」
「違います」
それだけは、すぐに言えた。
「戻りたいなんて、少しも思いませんでした。ただ、怒らせない返事を探す癖が、まだ抜けていなくて。あなたには、もうすっかり平気になった顔でお会いしたかったんです」
洗い桶の水面が揺れていた。私は握り合わせていた手をほどいた。
「せっかく会いに来てくださったのに、またあの人の話をするのも嫌で」
「俺だって、聞いて楽しい話じゃありませんよ」
思いがけない返事に、私は顔を上げた。
「今も、あいつがここまで来たと思うと腹が立つ。あなたが一瞬でも助けようとしたと聞いて、正直、妬きました。でも、黙って一人で震えていられるより、話してもらえるほうがいい」
彼はそこで言葉を探すように、口元を擦った。
「楽しいことしか書いていない手紙を待っているわけじゃないんです。俺は、あなたに会いたくて来たんだから」
差し出された手のひらに、私は濡れた指を載せた。エプロンで拭くのを忘れていた。気づいた時には、彼がもう両手で包んでいた。冷たいでしょう、と言いかけたら、彼のほうが先に「冷たいな」と笑った。
「今日は、うまく笑えないかもしれません」
「それでも、隣に座ってもらえますか」
「……はい」
私が一歩近づくと、彼もようやく肩の力を抜いた。
「手紙も、もう少し書いていいですか。十日に一度じゃなくて、五日に一度くらい」
「五日に一度では、書くことがなくなってしまいますわ」
「港の魚の話でいいです。返事が遅れても怒りませんから」
「では、私が三日で返事を出しても、急かしていると思わないでくださいね」
ジョナス様が声を立てて笑った。私の指はまだ少し強張っていたけれど、その手を離したいとは思わなかった。
もう半歩近づくと、彼が私の腕を引き、そっと抱き寄せた。
背中に回された腕の強さと、外套から漂う乾いた冬の匂い。私はためらわずに、彼の背に手を回した。
顔を上げると、すぐそこに彼の目があった。
互いの息がかかるくらいの距離で、少しだけ待った。それから、彼の唇が、私の唇に重なった。
離れた時、ジョナス様の耳は真っ赤で、私の頬も同じくらい熱かった。
「……スープが、冷めてしまいますね」
小さな声で言うと、彼がふっと吹き出した。
「冷めてはいないと思いますよ。さっきから、ずっと煮えてる」
鍋を覗くと、スープは半分ほどに煮詰まっていた。伯母様の顔が浮かんで、二人で顔を見合わせてから、お湯を足した。
居間の燭台に火を灯したのは、彼だった。深皿を二枚並べて、少し塩辛くなったスープを、二人で残さず食べた。




