↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/20

第12話 制服の男

 篠宮先生の「どんな手」は、二日後にわかった。

「澪。来週の月曜から、検査入院することになったから」

 夕食のあと、母はそう言って、一枚の紙をテーブルに置いた。『入院のご案内』。期間の欄には、『未定』とあった。

「篠宮先生が、お母さんに直接お電話をくださったの。澪の病気のこと、全力で調べるって。――いい先生に当たって、よかったね」

 母は、本当にうれしそうだった。余命を告げられてから初めて見る、希望にすがるような笑顔だった。

 わたしは、何も言えなかった。

 病室に入ったら、もう終電のあとに地下へ潜ることはできない。篠宮先生は、わたしを前の人生と同じ白い部屋に閉じ込めて、十七まで生かそうとしているのだ。

 十七まで。ただ、生かすだけ。

 月曜まで、あと四日だった。

◇

「入館記録を調べた」

 翌日の放課後。神田の喫茶店で、久我さんは何枚かのコピー用紙をテーブルに並べた。保守用の通用口の、出入りの記録だという。わたしたちの入った夜の分は、久我さんのIDで、久我さんの名前が並んでいる。

「問題は、こっちだ」

 久我さんは、赤いペンで丸をつけた行を指さした。

 上野でヒビが広がった夜。新橋の封石の周りに、最初の傷がついたと思われる夜。柚希さんがいなくなった夜。どの夜も、終電のあとに、同じIDが通用口を通っていた。

 その横に印字された名前を見て、わたしは息を止めた。

 『久我 浩二』

「……お父さんの……」

「十五年前に死んだ人間のIDだ。本当ならとっくに失効してるはずのものが、なぜか生きてる。誰かが、システムの上で生かし続けてたんだ」

 久我さんの声は、不自然なほど落ち着いていた。その分だけ、コーヒーカップを握る指に力が入っていた。

「親父の制服も、鍵も、カードも。あの夜、トンネルで親父の体から取り外して、会社に返す手続きをしたのは――」

 久我さんは、そこで言葉を切った。続きは、言わなくてもわかった。

「……それだけで、三枝さんだとは決められない。他にも触れられた人間はいる。当時の総務も、事故調査の担当も」

 久我さんは、自分に言い聞かせるようにそう言った。

 わたしは、何も言わなかった。父親の代わりに何でも教えてくれた人。葬式でいちばん泣いていた人。その人を疑うことが、この人にとってどれほど苦しいか。それは、わたしにも少しわかる気がした。

◇

 土曜日。わたしは、真帆の家を訪ねた。

 柚希さんは、もう退院していた。指先に包帯を巻いたまま、自分の部屋のベッドに座って、窓の外を見ていた。真帆は「お茶いれてくる」と言って、気を利かせるように台所へ消えた。

「……助けてくれて、ありがとう」

 柚希さんは、窓の外を見たままそう言った。

「覚えてないけど、知ってるの。あの夜、真っ暗なところで、すごくきれいな白い光を見たことだけは」

「……柚希さん。声をかけてきた人のこと、何でもいいんです。思い出せること、ありませんか」

 柚希さんは、しばらく目を閉じていた。

「……機械油のにおいがした。駅員さんなのに、保守の人みたいなにおい。それと――制帽の徽章が、今のと違った」

「違う……?」

「帝都交通のマークって、十年くらい前に変わったの。その前の古い徽章。うちのおばあちゃんの写真で見たことがあるから、覚えてたんだと思う。――その人、『おばあさんは立派な人だった』って言ってた。『新橋の石に、毎朝手を合わせてた』って」

 柚希さんの祖母を、そこまで詳しく知っている人。古い制帽を持っている人。駅員なのに、機械油のにおいがする人。

 駅務に十年いて、それから保線に移った人。

 台所から、真帆がお盆を持って戻ってきた。「紅茶しかなかったけどいいよね」という明るい声が、部屋の空気をふっとゆるめた。

 帰り際、玄関で靴を履いていると、真帆が小声で言った。

「……澪。あと少しって、もうすぐ?」

「……うん。もうすぐ」

 真帆は、何か言いたそうな顔をして、それから、わたしのカバンにぶら下がったお揃いのキーホルダーを指でつついた。

「ちゃんとつけてるじゃん」

 笑った真帆の目が、少しだけ濡れていた。

◇

 その夜。柚希さんの話を伝えると、電話の向こうの久我さんは、長いあいだ黙っていた。

「……三枝さんは、俺が小さいころ、よく家に飯を食いに来てた。親父とふたりで酔っぱらって、俺を肩車してくれた。親父が死んだあとも、毎年、親父の命日には墓に花を供えてくれてた」

「……はい」

「その人が、親父のIDで、親父の死んだトンネルに入って、封を割る手伝いをしてる。――っていうのか」

 答えられなかった。

 そのときだった。電話の向こうで、短い着信音が鳴った。久我さんの携帯に、メッセージが届いた音だった。

 久我さんは、しばらく何も言わなかった。

「……久我さん?」

「――三枝さんからだ」

 その声は、乾いていた。

「『今夜、終電のあと、大手町の第三封の前に来い。浩二さんのことで、お前に話しておかなきゃならないことがある。ひとりで来い』――だそうだ」

「……第三封、って書いてあるんですか」

「ああ。――封のことを知ってる。それだけで、もう答えは出てるな」

「わたしも行きます。約束の一つ目です」

「……澪」

 久我さんが、はじめてわたしを名前で呼んだ。

「これは、俺の家の話だ。親父の死んだ場所で、親父のことを、親父を知ってる人間から聞く。――それは、俺ひとりでやらなきゃならないんだ」

「久我さん!」

「約束を破って、すまない」

 電話が、切れた。

 もう一度かけ直しても、電源が入っていないという音声が流れるだけだった。

 時計を見る。十一時五十二分。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。