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ディストピア 弐零八四年  作者: 沁みた大根
第一章「地下都市編」

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第六話「乾いた夢」

白い霧の香りが、肺の奥へ静かに沈んでいく。


 


ユウトは、床へ座り込んだまま動けなかった。


 


呼吸をするたび、胸の内側を覆っていた焦燥感が、薄い膜のように剥がれていく。


 


楽だった。


 


暑くない。


喉も乾かない。


汗も引いていく。


 


それは、生まれて初めて味わう種類の「快適さ」だった。


 


《……ユウト》


 


端末の奥で、ルカの声が微かに揺れる。


 


ノイズ混じりの、小さな声。


 


だが、その声すら今のユウトには遠かった。


 


「……大丈夫だよ」


 


自分でも驚くほど穏やかな声が出た。


 


「ここ、静かで……いい」


 


その瞬間。


 


端末の画面が、ぶつりと乱れる。


 


《ダメ》


《その静けさは、あなたを消す》


 


ユウトは薄く笑った。


 


「消えるって……何が?」


 


問いかけた直後だった。


 


部屋の壁面が、ゆっくりと発光する。


 


純白だった壁に、柔らかな風景映像が浮かび始める。


 


青空。


 


白い雲。


 


木漏れ日。


 


そして――蝉のいない夏。


 


《リラクゼーション環境を開始します》


《市民様の感情安定を補助します》


 


女性音声が、子守歌のように囁く。


 


ユウトはぼんやりと映像を見つめた。


 


そこには、公園が映っていた。


 


古い滑り台。


 


緑色のベンチ。


 


揺れる木々。


 


だが。


 


何かがおかしい。


 


風が吹いているのに、葉が擦れる音がしない。


 


木が揺れているのに、生き物の気配がない。


 


静かすぎる。


 


世界そのものが、呼吸を止めているみたいだった。


 


ユウトの指先が、微かに震える。


 


その時。


 


映像の隅で、小さなノイズが走った。


 


ジジ――。


 


ユウトの瞳が揺れる。


 


今の音は。


 


もう一度。


 


ジジ、ジジジ……。


 


蝉。


 


途切れかけた、壊れたような鳴き声。


 


その瞬間、映像全体へ激しい乱れが走る。


 


《異常ノイズを検知》


《環境音声を修正します》


 


女性音声が、初めて僅かに機械的な歪みを見せた。


 


だが、遅い。


 


ユウトの脳裏に、一瞬だけ“何か”が流れ込んでくる。


 


焼けたアスファルト。


 


黒雨。


 


汗。


 


祖父の声。


 


『昔の京の夏はな、うるさいくらい生きとった』


 


ドクン、と胸が脈打った。


 


次の瞬間。


 


ユウトの額から、一滴の汗が流れ落ちる。


 


ぽたり。


 


白い床に、小さな染みができる。


 


部屋が沈黙した。


 


《……生体反応異常》


 


女性音声が止まる。


 


白い天井の奥で、何か巨大な機械が動き出す低い振動音が響いた。


 


ユウトは、自分の呼吸が再び荒くなっていることに気づく。


 


苦しい。


 


なのに。


 


ほんの少しだけ、


安心している自分がいた。


 


端末の奥で、ルカが小さく囁く。


 


《……よかった》


 


《まだ、乾ききってない》

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