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『ディストピア弐零八四年――人類が感情を捨てた街』  作者: 沁みた大根
エピローグ「感情を取り戻した人類編」

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第弐零八.0話

「未来に残る感情」


 


黒雨は、

止んでいた。


 


完全な晴天ではない。


 


空はまだ灰色で。


 


崩れた都市も。


 


白い菌糸も。


 


全部、

消えたわけじゃない。


 


それでも。


 


風が吹いていた。


 


ユウトは、

丘の上へ立っていた。


 


西の町を見下ろせる、

小さな高台。


 


かつて。


 


ここには、

公園があったらしい。


 


半分崩れたベンチ。


 


焼けた遊具。


 


錆びた風車。


 


その奥で。


 


一本だけ、

向日葵が咲いていた。


 


不自然なくらい、

真っ直ぐ空を向いて。


 


ユウトは、

しばらくそれを見ていた。


 


胸元の銀色の心臓は、

もう静かだった。


 


トクン。


 


トクン。


 


小さな鼓動。


 


まるで。


 


世界そのものが、

ゆっくり呼吸を始めたみたいだった。


 


《……静かだね》


 


ルカの声。


 


以前より、

少し人間らしい声だった。


 


「前は、

静かすぎたけどな」


 


ユウトは苦笑する。


 


遠く。


 


地下都市の隔壁が、

少しずつ開放されていく。


 


人々が、

地上へ出てくる。


 


泣いている人。


 


怒鳴っている人。


 


笑っている人。


 


互いに抱きしめ合う人。


 


逆に。


 


殴り合っている人間もいた。


 


世界は、

綺麗じゃなかった。


 


感情は、

痛みを連れてくる。


 


孤独も。


 


憎しみも。


 


後悔も。


 


全部戻ってきた。


 


でも。


 


ユウトは思う。


 


それでも。


 


“無音”よりは、

ずっと良かった。


 


その時。


 


丘の下から、

子供たちの声が聞こえる。


 


振り返る。


 


三人の子供が、

瓦礫の間を走っていた。


 


笑いながら。


 


転びながら。


 


泥だらけになって。


 


そのうちの一人が、

突然立ち止まる。


 


空を見上げていた。


 


「……?」


 


ユウトも、

同じ方向を見る。


 


灰色の雲の隙間。


 


細い光。


 


その中を。


 


一匹の鳥が飛んでいた。


 


小さい。


 


でも。


 


確かに生きている。


 


子供が笑った。


 


「鳥だ!」


 


その声を聞いた瞬間。


 


ユウトの胸が、

少しだけ熱くなる。


 


理由は分からない。


 


ただ。


 


“未来”という言葉を、

少しだけ信じたくなった。


 


風が吹く。


 


向日葵が揺れる。


 


遠くで。


 


 


ジジ……


 


 


セミの声。


 


ユウトは、

静かに目を閉じた。


 


西の町。


 


忘れられなかった感情。


 


痛み。


 


祈り。


 


怒り。


 


愛。


 


全部。


 


人類が、

最後まで捨てきれなかったもの。


 


《ユウト》


 


「ん?」


 


少し間が空く。


 


そして。


 


ルカが、

小さく言った。


 


《あなたは、何を残したい?》


 


ユウトは、

空を見上げる。


 


灰色の空。


 


その向こう。


 


まだ見えない未来。


 


しばらく考えて。


 


やがて。


 


小さく笑った。


 


「……分かんねぇ」


 


正直な答えだった。


 


「でも」


 


風が吹く。


 


誰かが笑う。


 


誰かが泣く。


 


世界が、

不器用に脈打っている。


 


ユウトは、

静かに呟く。


 


「ちゃんと、生きたって思える何かかな」


 


沈黙。


 


そして。


 


ルカが、

少しだけ笑った気がした。


 


その瞬間。


 


ユウトの端末が、

微かに点灯する。


 


白い文字。


 


 


《文明維持率 再計測》


 


 


沈黙。


 


やがて。


 


表示が乱れる。


 


ノイズ。


 


エラー。


 


そして。


 


 


《Error》


 


《“感情”は、予測不能》


 


 


ユウトは、

少しだけ笑った。


 


空を見る。


 


風が吹く。


 


遠くで。


 


またセミが鳴いていた。


 


 


ジジジ……


 


 


その音は。


 


壊れかけた世界で、

確かに未来へ続いていた。


 


終。

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