弐零八.四話「最後の観測」
それから、
何年が経ったのか。
もう、
正確に数えている人はいなかった。
地下都市は、
少しずつ地上へ開かれていった。
崩れた街には、
新しい灯りが増えた。
争いは、
無くならなかった。
戦争も。
分断も。
欲望も。
全部、
相変わらず人類の中に残っていた。
でも。
同時に。
笑い声も、
戻っていた。
誰かの作る料理の匂い。
恋人たちの喧嘩。
子供の泣き声。
夕方の商店街。
遠くの電車。
セミの声。
世界は、
不完全なまま続いていた。
ユウトは、
古びた列車へ乗っていた。
西へ向かう、
あの旧式列車。
昔と違うのは。
窓の外に、
ちゃんと空があることだった。
灰色じゃない。
青かった。
完全じゃない。
でも、
確かに青空だった。
向かいの席には、
小さな男の子が座っている。
七歳くらい。
落ち着きなく、
窓の外を見ていた。
やがて。
男の子が、
ユウトへ聞く。
「ねぇ」
「西の町って、本当にあったの?」
ユウトは、
少しだけ笑う。
「どうだろうな」
「えー」
不満そうな顔。
その表情が、
少しだけ昔の自分に似ていた。
列車が揺れる。
ガタン。
ガタン。
懐かしい音だった。
男の子は、
突然真面目な顔になる。
「お母さんがね」
「昔、人間は感情を捨てたって言ってた」
ユウトは、
静かに窓の外を見る。
夏の田畑。
風。
遠くの積乱雲。
どこかで、
セミが鳴いている。
「本当にそんなことしたの?」
小さな声。
ユウトは、
少し考える。
そして。
静かに答えた。
「……捨てたかったんだと思う」
「苦しかったから」
男の子は、
よく分からない顔をする。
「でも」
ユウトは続ける。
「結局、捨てられなかった」
風が吹く。
列車の窓から、
夏の匂いが入ってくる。
その時だった。
男の子が、
突然立ち上がる。
「あっ!!」
窓の外を指差していた。
ユウトも、
そちらを見る。
丘の上。
向日葵畑。
その真ん中で。
銀色の髪が、
風に揺れた気がした。
ほんの一瞬。
白いワンピース。
琥珀色の瞳。
そして。
優しく笑った気がした。
列車が通り過ぎる。
もう、
そこには誰もいない。
男の子が、
不思議そうに呟く。
「今、誰かいた?」
ユウトは、
しばらく答えなかった。
やがて。
少しだけ笑う。
「ああ」
「未来に残った感情だ」
男の子は、
意味が分からず首を傾げる。
でも。
ユウトは、
もうそれ以上説明しなかった。
説明できないものが、
この世界にはある。
列車は走る。
壊れた文明の跡を抜け。
新しい夏の中を。
遠くで。
ジジジ……
セミが鳴いていた。
その音は。
まるで。
滅びかけた人類が、
未来へ残した小さな祈りみたいだった。




