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『ディストピア弐零八四年――人類が感情を捨てた街』  作者: 沁みた大根
第三章「西の町編」

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第二十話「選別が始まる白い塔」

第20話


白い塔は、

“空に向かって建っている”のではなかった。


 


ユウトはそう気づいた瞬間、

呼吸を忘れた。


 


それは。


 


空を“見ている”建造物だった。


 


 


トクン。


 


 


街が脈打つ。


 


その鼓動は、

もうユウトの胸と区別がつかない。


 


胸元の銀色の心臓も、

同じリズムで鳴っている。


 


トクン。


 


トクン。


 


老人は、

塔を見上げたまま動かない。


 


「……始まった」


 


その声だけが、

風のない街に落ちる。


 


ユウトは、

一歩後ろへ下がろうとして――止まった。


 


足が動かない。


 


いや。


 


街が、

足を離さない。


 


白い菌糸が、

靴底からゆっくり伸びていた。


 


“つながっている”。


 


最初から。


 


ずっと。


 


ルカの声が、

かすかに割れる。


 


《ユウト……聞いて》


 


《あの塔は、“記憶を集める装置”じゃない》


 


ノイズ。


 


一瞬途切れる。


 


再接続。


 


《“選別する装置”》


 


ユウトの喉が動く。


 


「……選別?」


 


老人が、

静かに笑った。


 


「そうだ」


 


「残すか、消すかだ」


 


その言葉と同時に、

空の光が一段強くなる。


 


記憶の粒が、

塔へ吸い込まれていく。


 


笑い声。


 


泣き声。


 


名前。


 


約束。


 


全部が、

白い塔の内部へ落ちていく。


 


ユウトの頭の奥に、

痛みが走る。


 


――知らないはずの“別れ”。


 


――知らないはずの“温度”。


 


それが、

自分の中にある。


 


「……これ」


 


声が震える。


 


「俺のじゃないだろ……」


 


ルカが、

静かに答える。


 


《違う》


 


《“あなたが持たされていたもの”》


 


その瞬間。


 


塔の“目”が動いた。


 


ゆっくり。


 


こちらを見る。


 


空そのものが、

ユウトを認識した。


 


ビキッ


 


世界のどこかで、

音がした。


 


ユウトの視界が、

一瞬だけ白くなる。


 


そこに映ったのは――


 


祖父だった。


 


白い研究室。


 


若い頃の祖父。


 


血のように赤い目で、

画面の向こうを見ている。


 


『……ユウトを使うな』


 


誰かに叫んでいる。


 


『あの子は“器”じゃない!』


 


映像が揺れる。


 


別の声。


 


冷たい声。


 


『もう完成している』


 


『感情核は彼を通して安定している』


 


祖父が拳を振り上げる。


 


だが止まる。


 


震える手。


 


そして――


 


静かに言う。


 


『……ならせめて』


 


『あの子だけは“人間”として残せ』


 


映像が途切れる。


 


ユウトは、

膝をついたまま固まっていた。


 


「……俺は」


 


「最初から、実験だったのか」


 


老人が、

答えない。


 


ただ、

ゆっくり首を振る。


 


「違う」


 


「“成功しなかった実験”だ」


 


その言葉が、

一番重かった。


 


沈黙。


 


街が脈打つ。


 


トクン。


 


トクン。


 


そして――


 


塔の内部で、

何かが“切り替わる音”がした。


 


カチ。


 


世界が、

一段階深く沈む。


 


ルカの声が、

急に近くなる。


 


《ユウト》


 


《選択が始まる》


 


ユウトは顔を上げる。


 


塔の“目”が、

まっすぐこちらを見ていた。


 


そこには感情がなかった。


 


ただ、


 


記録だけがあった。


 


人類の全部を、

保存するかどうかの記録装置。


 


老人が、

最後に呟く。


 


「忘れられなかったのは……罪じゃない」


 


「だが、持ち続けるには……重すぎた」


 


ユウトの胸の心臓が、

強く跳ねる。


 


トクン!!


 


視界がまた割れる。


 


今度は“自分の記憶”だった。


 


セミの声。


 


地下の静けさ。


 


黒雨の匂い。


 


ルカの声。


 


全部が、

一つの線になる。


 


そして気づく。


 


自分は“見ている側”じゃない。


 


この街と、

最初から同じ側にいる。


 


ルカが、

かすかに言う。


 


《あなたは……鍵》


 


《忘れられなかったものの、出口》


 


白い塔の光が強くなる。


 


空が、

ゆっくりと開き始める。


 


まるで。


 


この世界そのものが、

どこかへ“開かれよう”としているように。


 


ユウトは立ち上がる。


 


足はまだ震えている。


 


でも、


 


もう止まらなかった。


 


「……だったら」


 


小さく言う。


 


「決めるのは俺だろ」


 


その瞬間。


 


塔の“目”が、

わずかに揺れた。


 


初めて。


 


世界が、

ユウトを“観測対象”ではなく


 


“変数”として認識した。

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