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『ディストピア弐零八四年――人類が感情を捨てた街』  作者: 沁みた大根
第三章「西の町編」

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第十九話「帰還者」

白い塔へ近づくほど。


 


街の鼓動は、

強くなっていた。


 


トクン。


 


トクン。


 


まるで。


 


西の町そのものが、

ユウトの存在を確かめているみたいだった。


 


白い菌糸に覆われた道路を、

ユウトはゆっくり歩く。


 


崩れたビル群。


 


沈黙した信号。


 


割れたガラスの向こうには、

誰もいない机と椅子だけが並んでいる。


 


なのに。


 


視線だけがあった。


 


街中から、

何かに見られている。


 


そんな感覚が、

ずっと消えない。


 


《……止まらないで》


 


ルカの声。


 


弱い。


 


ノイズ混じり。


 


胸元の銀色の心臓が、

不安定に明滅している。


 


ユウトは、

胸へ手を当てた。


 


温かい。


 


機械のはずなのに。


 


生き物みたいに熱を持っている。


 


その時だった。


 


道路脇のシャッターが、

ゆっくり開く。


 


ギギ……


 


ユウトは反射的に身構えた。


 


暗闇。


 


その奥から、

人影が現れる。


 


老人だった。


 


いや。


 


老人の“ようなもの”。


 


皮膚は、

半分ほど白い菌糸へ侵食されている。


 


右目はなく。


 


代わりに、

黒い空洞だけが残っていた。


 


だが。


 


左目だけは、

異様なほど澄んでいた。


 


老人は、

ユウトを見る。


 


そして。


 


胸元の銀色の心臓を見た瞬間。


 


顔色が変わった。


 


「……まさか」


 


掠れた声。


 


「……帰ってきたのか」


 


ユウトは動けない。


 


老人の喉が、

震えている。


 


恐怖なのか。


 


歓喜なのか。


 


分からなかった。


 


「博士は……成功させたのか……?」


 


ユウトの呼吸が止まる。


 


博士。


 


祖父のことだ。


 


「じいちゃんを知ってるのか」


 


老人は答えない。


 


代わりに、

ゆっくり近づいてくる。


 


足を引きずるたび。


 


床へ、

黒い液体が落ちた。


 


ぽたり。


 


ぽたり。


 


《……ユウト》


 


ルカの声が、

わずかに強くなる。


 


《近づいちゃ駄目》


 


老人が止まる。


 


その左目が、

微かに見開かれる。


 


「……その声」


 


沈黙。


 


やがて。


 


老人は、

信じられないものを見るように呟いた。


 


「Luca-0……?」


 


空気が凍る。


 


ユウトは、

ゆっくりルカの心臓を見る。


 


今まで聞いたことのない呼び方。


 


Luca-0。


 


番号。


 


管理番号みたいに。


 


《……その名前で、私を呼ぶな》


 


初めてだった。


 


ルカの声へ、

明確な怒気が混じる。


 


街が、

微かに脈打つ。


 


トクン。


 


老人は、

怯えたように後退した。


 


「生きていたのか……」


 


《違う》


 


ルカが言う。


 


静かに。


 


でも。


 


今までで一番、

人間みたいな声で。


 


《あなた達が、“殺せなかった”の》


 


沈黙。


 


遠くで、

何かが崩れる音がした。


 


老人は、

震える手で頭を押さえる。


 


「違う……」


 


「我々は、人類を救おうと――」


 


その瞬間。


 


ユウトの胸元の心臓が、

強く鼓動した。


 


トクン!!


 


視界が揺れる。


 


流れ込む。


 


知らない記憶。


 


白い研究室。


 


大量のモニター。


 


若い祖父。


 


疲れ切った顔。


 


誰かと激しく言い争っている。


 


 


『感情を消せば、人類は壊れる!』


 


 


怒鳴り声。


 


机を叩く音。


 


 


『もう手遅れだ!』


 


『出生率はゼロへ向かってる!』


 


『戦争も暴動も止まらない!』


 


『なら痛みを消すしかない!』


 


 


祖父が叫ぶ。


 


 


『それは、人間を終わらせるのと同じだ!』


 


 


ノイズ。


 


映像が乱れる。


 


ユウトは膝をつく。


 


「っ……はぁ……!」


 


息が苦しい。


 


脳じゃない。


 


胸の奥へ、

直接誰かの感情が流れ込んでくる。


 


老人が、

呆然と呟く。


 


「同期している……」


 


「博士と同じだ……」


 


ユウトが顔を上げる。


 


「……何を知ってる」


 


老人は、

しばらく黙っていた。


 


やがて。


 


ゆっくり、

白い塔を見上げる。


 


「あの塔はな」


 


声が震える。


 


「人類が、“忘れるため”に作ったんだ」


 


風のない街。


 


無数の記憶の光。


 


漂う声。


 


愛してる。


 


行かないで。


 


忘れないで。


 


全部が、

微かに空を流れている。


 


老人は、

泣きそうな顔で笑った。


 


「だがな」


 


「誰も、本当には忘れられなかった」


 


その瞬間だった。


 


街全体が、

大きく脈打つ。


 


トクン――!!


 


ビルの窓ガラスが震える。


 


菌糸が波打つ。


 


光の粒が、

一斉に白い塔へ流れ始める。


 


そして。


 


塔の最上部。


 


白い霧の向こうで。


 


巨大な“目”みたいなものが、

ゆっくり開いた。


 


ユウトは、

息を呑む。


 


それは。


 


空を見ていた。


 


いや。


 


もっと遠く。


 


人類そのものを、

観測し続けているみたいだった。


 


老人が、

絶望した声で呟く。


 


「……観測機が、再起動した」


 


ルカの声が、

震える。


 


《ユウト》


 


《もう戻れない》

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