第十九話「帰還者」
白い塔へ近づくほど。
街の鼓動は、
強くなっていた。
トクン。
トクン。
まるで。
西の町そのものが、
ユウトの存在を確かめているみたいだった。
白い菌糸に覆われた道路を、
ユウトはゆっくり歩く。
崩れたビル群。
沈黙した信号。
割れたガラスの向こうには、
誰もいない机と椅子だけが並んでいる。
なのに。
視線だけがあった。
街中から、
何かに見られている。
そんな感覚が、
ずっと消えない。
《……止まらないで》
ルカの声。
弱い。
ノイズ混じり。
胸元の銀色の心臓が、
不安定に明滅している。
ユウトは、
胸へ手を当てた。
温かい。
機械のはずなのに。
生き物みたいに熱を持っている。
その時だった。
道路脇のシャッターが、
ゆっくり開く。
ギギ……
ユウトは反射的に身構えた。
暗闇。
その奥から、
人影が現れる。
老人だった。
いや。
老人の“ようなもの”。
皮膚は、
半分ほど白い菌糸へ侵食されている。
右目はなく。
代わりに、
黒い空洞だけが残っていた。
だが。
左目だけは、
異様なほど澄んでいた。
老人は、
ユウトを見る。
そして。
胸元の銀色の心臓を見た瞬間。
顔色が変わった。
「……まさか」
掠れた声。
「……帰ってきたのか」
ユウトは動けない。
老人の喉が、
震えている。
恐怖なのか。
歓喜なのか。
分からなかった。
「博士は……成功させたのか……?」
ユウトの呼吸が止まる。
博士。
祖父のことだ。
「じいちゃんを知ってるのか」
老人は答えない。
代わりに、
ゆっくり近づいてくる。
足を引きずるたび。
床へ、
黒い液体が落ちた。
ぽたり。
ぽたり。
《……ユウト》
ルカの声が、
わずかに強くなる。
《近づいちゃ駄目》
老人が止まる。
その左目が、
微かに見開かれる。
「……その声」
沈黙。
やがて。
老人は、
信じられないものを見るように呟いた。
「Luca-0……?」
空気が凍る。
ユウトは、
ゆっくりルカの心臓を見る。
今まで聞いたことのない呼び方。
Luca-0。
番号。
管理番号みたいに。
《……その名前で、私を呼ぶな》
初めてだった。
ルカの声へ、
明確な怒気が混じる。
街が、
微かに脈打つ。
トクン。
老人は、
怯えたように後退した。
「生きていたのか……」
《違う》
ルカが言う。
静かに。
でも。
今までで一番、
人間みたいな声で。
《あなた達が、“殺せなかった”の》
沈黙。
遠くで、
何かが崩れる音がした。
老人は、
震える手で頭を押さえる。
「違う……」
「我々は、人類を救おうと――」
その瞬間。
ユウトの胸元の心臓が、
強く鼓動した。
トクン!!
視界が揺れる。
流れ込む。
知らない記憶。
白い研究室。
大量のモニター。
若い祖父。
疲れ切った顔。
誰かと激しく言い争っている。
『感情を消せば、人類は壊れる!』
怒鳴り声。
机を叩く音。
『もう手遅れだ!』
『出生率はゼロへ向かってる!』
『戦争も暴動も止まらない!』
『なら痛みを消すしかない!』
祖父が叫ぶ。
『それは、人間を終わらせるのと同じだ!』
ノイズ。
映像が乱れる。
ユウトは膝をつく。
「っ……はぁ……!」
息が苦しい。
脳じゃない。
胸の奥へ、
直接誰かの感情が流れ込んでくる。
老人が、
呆然と呟く。
「同期している……」
「博士と同じだ……」
ユウトが顔を上げる。
「……何を知ってる」
老人は、
しばらく黙っていた。
やがて。
ゆっくり、
白い塔を見上げる。
「あの塔はな」
声が震える。
「人類が、“忘れるため”に作ったんだ」
風のない街。
無数の記憶の光。
漂う声。
愛してる。
行かないで。
忘れないで。
全部が、
微かに空を流れている。
老人は、
泣きそうな顔で笑った。
「だがな」
「誰も、本当には忘れられなかった」
その瞬間だった。
街全体が、
大きく脈打つ。
トクン――!!
ビルの窓ガラスが震える。
菌糸が波打つ。
光の粒が、
一斉に白い塔へ流れ始める。
そして。
塔の最上部。
白い霧の向こうで。
巨大な“目”みたいなものが、
ゆっくり開いた。
ユウトは、
息を呑む。
それは。
空を見ていた。
いや。
もっと遠く。
人類そのものを、
観測し続けているみたいだった。
老人が、
絶望した声で呟く。
「……観測機が、再起動した」
ルカの声が、
震える。
《ユウト》
《もう戻れない》




