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ディストピア 弐零八四年  作者: 沁みた大根
第一章「地下都市編」

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第二話「黒雨」

京都上空を覆う巨大広告群が、一斉に警戒表示へ切り替わる。


《大気汚染嵐接近中》

《地上居住者は速やかに屋内へ退避》

《感情安定放送を開始します》


 


その声は、あまりにも整っていた。

まるで都市そのものが、まだ正常であるかのように。


 


《統合管理局より市民の皆様へ》

《黒雨現象は都市環境の一時的調整過程です》

《安心してください。すべては管理基準内です》


 


一拍遅れて、言葉がわずかに歪む。


 


《なお――ゲリラ豪雨規模の降雨が局所的に発生します》


 


そして、何事もなかったように続く。


 


《繰り返します。安心してください》

《これは正常な統制プロセスの一部です》


 


安心という言葉だけが、街に残る。

その下で、空はすでに“別の状況”へ移行していた。


 


黒い雲は、気づいたときにはもう空の半分を覆っていた。


青すぎた空の終わりは、いつも音を立てない。

侵蝕は静かに進行する。


まるで――最初からそこに存在していたかのように。


 


境界線は曖昧に溶け出し、

陽光を塗りつぶしていくその手際は、鮮やかで、冷徹だった。


 


空は塗り替えられていくのではない。

“消されていく”。


 


ユウトは干上がった鴨川の河川敷で、天を仰いだ。


ひび割れた川底は、まるで声を失った喉のようだった。


 


かつてこの街の夏は、もっと寛容だったと、祖父は言っていた。


打ち水が地面を冷やし、

夕立が一瞬だけ世界を洗い流す。


そのあとに残る湿った空気すら、どこか優しかったらしい。


 


ユウトは、それを実感として知らない。


記録映像と、祖父の記憶の言葉としてしか触れたことがなかった。


 


「昔の京の夏はな、うるさいくらい生きとったんや」


 


ふいに蘇った祖父の声が、熱風の中へ溶けていく。


 


だが今の空は違う。


 


今の空がもたらすのは潤いではない。


 


制圧だ。


 


「……来るな」


 


ユウトの声は、乾いた風に掻き消えた。


 


その瞬間だった。


 


最初の“音”が落ちる。


 


ジウ。


 


焼けた鉄に水を落としたような、短い悲鳴。


 


ジウ、ジウジウ。


 


黒い粒が、空から降り始める。


 


それは雨ではない。


現象の名を借りた、質量を持つ侵入だった。


 


そしてすぐに――状況は変わる。


 


空のダムが決壊した。


 


ゲリラ豪雨。


 


その言葉では到底足りない。


 


都市全体へ一斉に叩きつけられるそれは、

制御を失った自然ではなく、

“解放された圧力”そのものだった。


 


視界は一瞬で黒に染まる。


雨粒は水ではない。

空気を削る礫のように叩きつけてくる。


 


その直後。


 


鴨川が“目を覚ます”。


 


干上がっていた川底へ、黒い水が一気に流れ込む。


上流から押し寄せる濁流は、

止まっていた時間を無理やり引きずり戻すように膨張していく。


 


氾濫。


 


水は堤防を越え、

街の構造を無視して広がっていく。


 


かつての穏やかな流れはもうない。


そこにあるのは、ただの“押し流す力”だった。


 


ユウトは舌打ちした。


 


「……っ、冗談じゃない」


 


コンクリート階段を駆け上がる。


背後で水が街を呑み込む音がする。


 


ジウ、ジウジウ――


 


それはもう雨音ではない。


 


都市が削られる音だった。


 


逃げ込んだのは、川沿いの古い雑居ビルの自宅。


重い鉄扉をこじ開け、ユウトは中へ転がり込む。


 


扉が閉まる。


 


その瞬間、外界が一段遠ざかる。


 


だが完全には消えない。


 


壁を通してもなお、黒雨の振動だけが伝わってくる。


 


世界はまだ、そこにある。


 


ユウトは濡れた髪を振った。


呼吸が荒い。


 


「……はぁ……はぁ……」


 


肩から落ちる黒い雫を見つめる。


 


それが雨なのか、街の残骸なのか、もう区別がつかなかった。


 


ただ一つだけ確かなのは――


 


この世界は、静かに“別の形へ移行した”ということだった。

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