表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『ディストピア弐零八四年――人類が感情を捨てた街』  作者: 沁みた大根
第二章「地上汚染区域編」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/29

第十一話「黒雨の肺」

ぴちゃん。


 


ぴちゃん。


 


規則的なはずの水音が、どこか壊れた呼吸のように暗闇で反響していた。


 


ユウトは目を覚ました。


 


――雨だ。


 


最初にそう思った。


 


だがすぐに理解する。


 


これは空からの雨ではない。


 


世界の内側から漏れている音だ。


 


 


「……っ」


 


喉が焼けるように乾いていた。


 


身体の奥に、まだ地下都市の“無臭の記憶”が張り付いている。


 


それが剥がれないまま、別の空気が肺に流れ込んでいた。


 


 


ゆっくりと目を開く。


 


視界は薄暗い。


 


頭上には剥き出しの配管。


 


それはかつて都市の循環器だったものだ。


 


その継ぎ目から、黒い水が落ちている。


 


ぽたり。


 


ぽたり。


 


一滴ごとに、空間がわずかに“ずれる”。


 


 


空気は熱い。


 


鉄。


油。


腐食したコンクリート。


 


そして、その奥に確かに混じるもの。


 


土の匂い。


 


 


地下都市では存在しなかった匂い。


 


それは同時に、


 


「生」と「崩壊」が同じ形をしている匂いだった。


 


 


《……起きた》


 


耳の奥でルカの声がした。


 


だが、いつもの明瞭さはない。


 


音が水に沈んでいる。


 


 


「ルカ……ここは」


 


 


《京都地下排水網・旧烏丸第三肺水層》


 


 


ユウトはゆっくり身体を起こす。


 


 


そこは“通路”だった。


 


だが、もはや道ではない。


 


崩れた地下鉄。


 


折れた線路。


 


水没したホーム。


 


それらすべてを黒い何かが覆っている。


 


 


脈動していた。


 


 


まるで呼吸しているように。


 


 


「……何だよ、これ」


 


 


《黒雨の残滓》


 


ルカの声が一瞬だけ途切れる。


 


 


《地下都市が捨てた“感情”が、形を持ったもの》


 


 


ユウトの背筋が冷える。


 


 


「感情……?」


 


 


《怒り》

《悲しみ》

《恐怖》

《苦痛》


 


 


《全部、処理された“残り物”》


 


 


その瞬間だった。


 


 


足元の水が泡立つ。


 


 


ゴボッ。


 


 


ユウトは反射的に後退する。


 


 


次の瞬間。


 


 


黒い水の中から“手”が伸びた。


 


 


「……っ!」


 


 


指は痙攣している。


 


白い端子が埋め込まれていた。


 


 


地下市民だったものだ。


 


 


いや。


 


正確には、


 


“処理されなかったもの”。


 


 


顔の半分が黒い菌糸に覆われている。


 


それでも口元だけが笑っていた。


 


 


「しあ……わ……せ……」


 


 


声は壊れている。


 


それでも笑っている。


 


 


「しあ……わせ……」


 


 


その瞬間。


 


菌糸が脈動した。


 


 


男の瞳孔が開く。


 


 


そして――


 


 


絶叫。


 


 


「ァァァァァァアアアア!!」


 


 


地下空間全体に響く、壊れた音。


 


 


それを合図にしたように。


 


 


暗闇の奥から“音”が溢れ始める。


 


 


笑い声。


 


泣き声。


 


怒り。


 


祈り。


 


崩壊。


 


 


すべてが混ざっている。


 


 


いや、


 


混ざりきれずに“腐っている”。


 


 


ユウトは息を呑む。


 


 


そのとき。


 


 


カツン。


 


 


カツン。


 


 


規則的な足音。


 


 


だがそれは歩行ではない。


 


同期された動作音。


 


 


闇の中から白い防護服が現れた。


 


 


しかし、以前見たものとは違う。


 


 


泥に汚れている。


 


傷だらけだ。


 


呼吸が乱れている。


 


 


「……発見……」


 


 


マスクの奥から掠れた声。


 


 


「未処理個体……確認……」


 


 


ハァ。


 


ハァ。


 


彼らは“正常”ではなかった。


 


 


それでも、


 


声だけは優しかった。


 


 


「安心してください」


 


「あなたは救われます」


 


「すぐに正常へ戻します」


 


 


その瞬間だった。


 


 


ユウトの足元が揺れる。


 


 


黒い水が、


 


“呼吸”を始める。


 


 


ゴポッ。


 


 


その中に――


 


何かがいる。


 


 


指。


 


歯。


 


白い端子。


 


 


そして。


 


 


セミの抜け殻。


 


 


 


ジジ……


 


 


 


どこかで。


 


 


夏が鳴いた。


 


 


 


ユウトは理解する。


 


 


この場所は地獄ではない。


 


 


もっと悪い。


 


 


ここは、


 


“捨てられた感情が生きている場所”だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ