第7話:舞踏会の前夜、という名の衣装戦争
秋の大舞踏会が二週間後に迫っていた。
王都で開催される、年に一度の社交の場。貴族の子女が正式にデビューする花の舞台。
リリーメルはまだ十歳なので正式デビューではないが、エルドラド家の令嬢として家族に随行することはできる。
そして私はメイドとして随行する。
お嬢様の衣装を整え、身だしなみを確認し、会場での給仕と補佐を行う。いつも通りの仕事だ。
――問題は、衣装だった。
―――
「アリアには、このドレスを着てほしいですわ!」
リリーメルが両手いっぱいに抱えてきたのは、花飾りのついた豪華なドレスだった。
薄紅色の生地に、レースの裾飾り。胸元に小さな真珠のブローチ。
どう見ても令嬢用の正装だ。
「お嬢様、それは……」
「きれいでしょう? アリアに絶対似合うわ!」
リリーメルの目がきらきら輝いている。
純粋な善意。純粋な「アリアをきれいにしたい」欲求。悪意はゼロ。ゼロだからこそ止めにくい。
マルカが横から冷静に口を挟んだ。
「お嬢様、アリアさんはメイドとして随行されますので、ドレスは規則上……」
「でもアリアは綺麗なんだもの! もったいないわ!」
(お嬢様に綺麗と言っていただいた!!! 日記に書く!!!)
(でも確かにメイドがドレスは無理だな)
「お嬢様、お気持ちは大変嬉しいのですが、メイドとしての衣装でなければ会場の規則に合いません」
「……むー」
リリーメルが頬を膨らませた。
不満の顔。かわいい。世界一かわいい不満顔だ。
(ぷくっとした頬!!! 抱きしめたい!!! でも今はメイドとして対応しなければ!!!)
マルカが助け舟を出した。
「お嬢様、格式を保ちつつ、少しだけ上等なメイド衣装をご用意するのはいかがでしょう。お嬢様にお選びいただいて」
リリーメルの目が光った。
「……選んでいいの?」
「はい。最終的にアリアさんの衣装を決めるのは、お嬢様のお仕事ですから」
マルカ、上手い。
リリーメルの「選びたい欲」を満たしつつ、規則の範囲内に収める。さすがメイド長だ。
そこからリリーメルの衣装選びが始まった。
クローゼットから何着もメイド衣装を引っ張り出し、生地を触り、色を見比べ、リボンの太さにまでこだわる。
「この白は冷たすぎる」「この紺は暗い」「この生地はアリアの肌に合わない」
十歳のファッションチェックが三十分続いた。
私はその間、着せ替え人形のように立たされていた。幸せだった。お嬢様が真剣に選んでくれているのだから。
最終的に選ばれたのは、濃紺の上等なメイド衣装。袖口に控えめなレースがあしらわれ、腰のリボンが少しだけ幅広い。格式は完璧に保たれている。でも、いつもの衣装より少しだけ華やかだ。
「これ! これがいい!」
リリーメルが満足そうに頷いた。
「ありがとうございます、お嬢様」
「ふふ、アリアならきっと一番きれいよ」
(お嬢様!!!)
―――
衣装が決まったところで、廊下からルーメンが通りかかった。
リリーメルが衣装を広げてアリアに当てているのが見えたらしく、足を止めた。
扉の前に立って、中を覗き込む。
私が衣装を体の前に合わせていた。
ルーメンの視線が、一瞬だけ止まった。
「……似合う」
ぼそっと言った。
低い声。短い言葉。
リリーメルがにっこりした。
「でしょう? わたしが選んだの」
「……ああ」
ルーメンが頷いて、また歩き出した。
「ありがとうございます、ルーメン様。お嬢様のお眼鏡にかなってよかったです」
にっこり笑って答えた。
お嬢様が選んだ衣装を褒めてくださったのだ。お兄様として当然の反応だろう。
ルーメンの足が、一瞬だけ止まった。
背中が何か言いたそうに見えた。でもそのまま歩き去った。
廊下の角を曲がったルーメンの内心を、私は知らない。
(お嬢様に向かってじゃない……お前に言っている……)
ルーメンは壁に手をつき、小さくため息をついた。
(……何も言えずに去る。いつもそうだ。いつもそうだ)
拳を軽く握って、自室へ向かった。
一方、部屋の中ではリリーメルだけが兄の背中を見送りながら、にやにやしていた。
「……お兄様、ああいうところが可愛いんですわ」
「お嬢様、何かおっしゃいましたか?」
「なんでもないの。ふふ」
―――
その夜、リリーメルのお嬢様のドレスの最終調整もあった。
仕立て師が持ってきた白と薄青のドレスを、リリーメルが試着する。
――息が止まった。
白い生地に淡い青のアクセント。裾が花弁のように広がっていて、リリーメルが一歩踏み出すたびにふわりと揺れる。
亜麻色の巻き毛と、青い瞳と、このドレスが合わさると――もう、人間ではない。妖精だ。
(妖精!!! お嬢様が妖精!!! 舞踏会に妖精が降臨する!!!)
「アリア、どう?」
くるっと回って聞いてきた。裾がふわっと広がった。
「……言葉にならないほどお美しいです、お嬢様」
「本当? 嬉しい!」
リリーメルがぱあっと笑った。その笑顔がドレスを完成させた。
(……この方を守るために、生まれてきた)
何度でも思う。何度でも確信する。
ルーメンの足が、一瞬だけ止まった。
でもそのまま歩き去った。
(……ルーメン様、何かおっしゃりたかったのかしら)
リリーメルだけが、兄の背中を見送りながら、満足そうに笑っていた。
―――
夕食後。
リリーメルが私に言った。
「アリア、舞踏会では、お兄様のそばにいてあげてくださいね?」
「はい?」
「わたし、少し人が多いと疲れるの。だからお兄様にも付き合ってくれる人がいてほしくて」
なるほど。
お嬢様のためにルーメン様のお傍で補助する、ということだ。了解した。
「かしこまりました、お嬢様」
「ありがとう。頼りにしてるわ」
リリーメルがにっこりした。
あまりにも満足そうな笑顔だった。何か企んでいるような、いないような。
(……まあ、お嬢様がにっこりしているなら、それでいい)
疑問は一瞬で消えた。お嬢様の笑顔の前では、些細な疑問など蒸発する。
―――
夜。
自室で衣装の最終確認をしていた。
リリーメルが選んでくれた濃紺のメイド衣装。袖口のレースを指でなぞる。
(お嬢様が選んでくれた衣装で、お嬢様のお傍にいられる。最高だ)
舞踏会が楽しみだ。
お嬢様のドレス姿を見られる。お嬢様が社交の場で輝く姿を見られる。
それだけで、十分すぎる。
日記帳を開いた。
『舞踏会の衣装が決まった。お嬢様が選んでくれた。ルーメン様が「似合う」と言ってくださった。お嬢様のお眼鏡にかなってよかった。舞踏会が楽しみだ。お嬢様のドレス姿、絶対にかわいい。予言する。宇宙一かわいい』
ペンを置いて、窓の外を見た。
秋の夜空が澄んでいる。




