第5話:リリーメルの野望、始動
リリーメル・エルドラドには、計画があった。
完璧な計画。
十歳にして組み上げた、一分の隙もない計画。
その名も――「アリアをお姉様にする作戦」。
―――
午後。
メイド長マルカの部屋に、リリーメルがこっそり訪ねてきた。
こっそり、というのは、アリアに知られないように、という意味だ。
アリアは今、洗濯室で仕事をしている。この時間帯なら安全だと、リリーメルは把握していた。十歳の情報収集力は侮れない。
「マルカ」
「お嬢様。どうなさいましたか」
マルカはお茶を手に持ったまま、リリーメルを見た。
この令嬢が一人でやってくる時は、大体「何か企んでいる」時だ。三年の経験が教えている。
「アリアをエルドラドにずっと置いておく方法を教えてください」
ど直球だった。
マルカはお茶を一口すすった。動揺を見せない。これがメイド長の矜持だ。
「……それは、アリアさんがこちらの家のご家族になる、ということでしょうか」
「そうですわ!」
リリーメルの目が輝いた。
「つまりアリアはわたしのお姉様になればいいんですわ!」
マルカはカップを静かにソーサーに戻した。
(……お嬢様、若様のことを全部わかってらっしゃる……)
「お嬢様、それは具体的にどういう方法をお考えですか」
「ルーメンお兄様と、結婚させるの」
あっさりと言った。
十歳の口から出たとは思えない明快さで。
「お兄様はアリアのことが好き。わたしは知ってる。アリアがお兄様と結婚すれば、アリアはエルドラドのお嫁さん。つまりわたしのお姉様。完璧でしょう?」
完璧だった。
論理に一切の穴がない。
マルカは天井を見た。こういう時、ドレンがいてくれると心強いのだが。
「……お嬢様。若様のお気持ちは、若様ご自身がお伝えになることではありませんか?」
「お兄様は言えないの。知ってるでしょう? マルカも」
知っている。
この屋敷の全員が知っている。ルーメンがアリアを見る目を。アリアがそれに全く気づかないことを。
「……はい。存じております」
「だから、わたしが手伝うの。マルカも手伝って?」
リリーメルの青い目が真っ直ぐにこちらを見ていた。
可憐な顔。でも、その奥にある意志の強さは大人顔負けだ。
マルカは小さくため息をついた。笑みが混じっていた。
「……私は表立ってのお手伝いはいたしかねますが」
「うん」
「環境を整える程度のことでしたら」
「ありがとう、マルカ!」
リリーメルがにっこりと笑った。
この笑顔に勝てる人間はこの屋敷にいない。マルカも含めて。
―――
次に、リリーメルはルーメンの部屋に乗り込んだ。
ノックなし。
嵐は前触れなく来る。
「お兄様」
ルーメンは机に向かって読書をしていた。扉が開いた瞬間、微かに肩が強張った。
「……何の用だ」
「同じことを聞きますわ。お兄様、アリアのことが好きでしょう?」
二度目の直球。
前回と同じ問い。そして前回と同じように、ルーメンは沈黙した。
「……」
「否定しないのは肯定と同じですわ。前回も言いましたけれど」
「……聞く度に答えが変わるとでも思っているのか」
「変わらないから聞いてるんですわ」
リリーメルがルーメンの正面に回り込んだ。椅子の前に立って、兄を見上げる。
「わたしの計画に乗りなさい。アリアに気持ちを伝えてください」
「……言われなくても、する」
「でも、してないじゃないですか」
「……」
反論できない。
二年以上好きで、一度も伝えていない。事実は事実だ。
「わたしが手伝いますわ。お兄様は、ちゃんとアリアの前に立ってください」
「……妹に恋愛の手伝いをされるのは」
「嫌?」
リリーメルが首を傾げた。かわいらしい仕草。でも目は据わっている。
ルーメンは長い沈黙の後、観念した顔で言った。
「……よろしく頼む」
「よろしい」
リリーメルが満面の笑みを浮かべた。
兄を掌の上で転がしている自覚はある。でも、これはお兄様のためでもあるのだ。
そしてアリアのためでもある。そして何より、自分のためでもある。
「でもお兄様、ひとつだけ約束して?」
「……何だ」
「アリアを泣かせたら、許しませんわよ」
「……泣かせない」
「泣かせるつもりがなくても泣くかもしれないから、その時はちゃんと隣にいて。わかった?」
「……わかった」
ルーメンの声が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
リリーメルはそれを聞き逃さなかった。
(お兄様、やっぱりかわいいところがあるわ)
そう思ったが、口には出さない。兄のプライドは尊重する。十歳でもそのくらいの気遣いはできる。
―――
リリーメルは自室に戻った。
ベッドに座って、天蓋を見上げる。
頭の中で計画を整理する。
(計画はこうだ)
第一。お兄様がアリアに気持ちを伝える。
第二。アリアがそれを受け取る。
第三。二人が婚約する。
第四。アリアはわたしのお姉様になる。
(完璧だわ)
にんまりと笑った。
(……でも、問題がある)
笑顔が少しだけ曇った。
(アリアは、自分のことになると驚くほど鈍い)
他人の感情には敏感なのに、自分に向けられた感情には全く気づかない。
お兄様が何をしても「お嬢様のお兄様としての親切」に変換してしまう。
これは手強い。相当に手強い。
(普通にお兄様が告白しても、アリアは「冗談ですよね?」とか「お嬢様のために仰ってくださっているんですよね?」とか言いそう……)
対策が必要だ。
お兄様とアリアが二人きりになる機会を増やす。
お兄様の行動が「親切」ではなく「恋愛感情」であることをアリアに自覚させる状況を作る。
リリーメルは枕を抱えて考え込んだ。
(……まずは、接触の回数を増やすところからね)
ひらめいた。
(図書室だ。お兄様は図書室によくいる。アリアに毎朝図書室に本を届ける習慣をつければ、二人の時間が自然に増える)
単純だが効果的だ。
リリーメルはベッドから飛び降りて、部屋を出た。
―――
アリアが廊下を歩いていると、リリーメルが向こうからやってきた。
「アリア」
「お嬢様、どうなさいましたか」
「明日から毎朝、お兄様の図書室にも本を届けてあげてくれない? わたしが読み終わった本をまとめて返す係、お願いしたいの」
唐突な依頼だった。
「かしこまりました」
(……なぜ急に? 今まではお嬢様が直接持って行かれることもあったのに)
少し不思議には思ったが、お嬢様の要望だ。断る理由がない。
「ありがとう、アリア。頼りにしてるわ」
にっこり。
満点の笑顔。太陽が出た。
(お嬢様がにっこりしている。なぜだろう。かわいいからいいけど)
その笑顔の裏で、十歳の策謀家は静かにガッツポーズをしていた。
―――
夜。
リリーメルの部屋。
毛布にくるまりながら、リリーメルは天蓋に向かって呟いた。
「アリアはわたしの大切な人。だから、幸せにする」
十歳の声。小さな声。
でも、そこに込められた決意は本物だった。
「そのためにルーメンお兄様を動かす。マルカも味方にした。ドレンはたぶん気づいてる」
指を折って数える。
「わたしの陰謀は、始まったばかりですわ」
にんまりと笑って、目を閉じた。
エルドラド伯爵家の夜は静かだ。
屋敷の全員が穏やかに眠っている。
――ただ一人、十歳の令嬢だけが、夢の中でも作戦を練っていた。




