第4話:ロロード様のお見舞い
ロロード・ファウデンが再びエルドラド屋敷を訪れた。
表向きの理由は父親同士の商談の付き添い。
本当の理由は、アリアへの謝罪。
それを察していたのは、おそらくこの屋敷の全員だ。ドレンも。マルカも。ルーメンも。
気づいていないのは、当のアリアだけだった。
―――
玄関でロロードを迎えたのは私だった。
メイドとして来客の応対は基本業務のひとつだ。
銀色の髪。端整な顔立ち。侯爵家の嫡男らしい洗練された身なり。
でも、表情がぎこちない。目が泳いでいる。
「……アリアさん」
「ようこそ、ロロード様。ご案内いたします」
「あ、その前に――少しだけ、話をしても?」
少し迷ったが、来客の要望を無下にするわけにもいかない。玄関ホールの隅に場所を移した。
「先日は、突然に申し訳なかった。その後、体の具合はいかがですか」
声が真剣だった。目が真っ直ぐにこちらを見ている。
この人は本気で心配してくれている。それはわかる。
「ご心配いただきありがとうございます。お陰様で、元気にしております」
微笑んだ。穏やかに。メイドとして完璧な笑顔だ。
(元気すぎるくらい元気です。婚約破棄の翌日から全力でメイド業務やってます。お嬢様のかわいさが日々更新されていて忙しいんです。正直、ロロード様のことを考える暇がないんです)
もちろん、そんなことは口には出さない。
ロロードが私の顔をじっと見ていた。
何かを確認するような目。
そして――わずかに、困惑した顔をした。
(……本当に元気そうだ。というか、なんか、こう……輝いている? 俺が破棄した後の方が元気になってないか?)
ロロードの内心は知る由もないが、確かに私は元気だ。お嬢様の傍にいられる日々は最高だ。
「ロロード様は誠実に対応してくださいました。感謝しておりますよ」
「……そうか。……ありがとう、アリアさん」
ロロードが少しだけ安堵した顔をした。でも同時に、どこか腑に落ちない表情も浮かんでいる。
何かを言いかけたが、やめた。
そこへ。
「……あなたは、なぜここにいますの?」
冷たい声が、廊下の奥から響いた。
振り返ると、リリーメルが立っていた。
腕を組んで。目が据わって。完全な塩対応モード。
可憐な顔が、真冬の氷のように冷たくなっている。
十歳とは思えない威圧感だ。
ロロードが一瞬で固まった。
「っ……リ、リリーメル……」
「アリアはわたしのものです。おわかり?」
直球。どストレート。容赦なし。
ロロードの目が泳いだ。顔が赤くなった。声が上ずった。
「は、はい……」
素直に答えた。
侯爵家嫡男が、十歳の令嬢に対して「はい」と即答した。
(お嬢様!!! 怒ってくださっている!!! 私のために!!! 天使!!!!)
(しかもロロード様が「はい」って言った!!! お嬢様の威厳すごい!!!)
「リリーメル、あまりロロード様を困らせてはいけませんよ」
「困らせているのはあの人が先ですわ」
正論だ。反論の余地がない。
ロロードが何か言おうとした時、廊下の奥からもうひとつの気配が近づいてきた。
ルーメンだった。
無表情。いつも通り。
ロロードを一瞥した。鋭い目が、一瞬だけ光る。
「……用が済んだなら、帰れ」
端的。一切の装飾がない。
でもその二文字に込められた温度は、明確に「歓迎していない」だった。
ロロードが少し目を見開いた。
ルーメンとロロードの間に、何かが通った。言葉にならない何かだ。
「……わかった。父上の商談が終わったら、帰る」
ロロードが静かに頷いて、応接室の方へ歩いていった。
その背中がほんの少しだけ寂しげに見えた。
(ルーメン様もお嬢様のためにお怒りになってくださったのね。お優しい……お兄様としての務めをしっかり果たしていらっしゃる)
完全に「お嬢様のお兄様」として処理した。
いつも通りだ。
ルーメンがこちらをちらっと見た。口が開きかけて、閉じた。
そして何も言わずに廊下を去った。
(……ルーメン様、何かおっしゃりたかったのかしら)
考えている暇はない。来客対応の続きがある。
―――
商談が終わり、ロロードが帰ることになった。
玄関で見送る。これもメイドの仕事だ。
ロロードが馬車に乗る前、振り返った。
「アリアさん」
「はい」
「……本当に、元気でよかった」
その声は、嘘がなかった。
この人は、本当に私を心配していたのだ。
「ありがとうございます、ロロード様。お気をつけて」
ロロードが少しだけ笑った。寂しさと安堵が混ざった笑み。
それから馬車に乗り込んだ。
馬車が動き出す。
門を出て、並木道を走っていく。
―――
馬車の中。
ロロードは天井を見上げていた。
(……アリアさん、本当に全然傷ついていない)
確信に変わりつつあった。
あれは気丈に振る舞っている人の顔ではない。本当に元気な人の顔だ。
むしろ、婚約があった頃より生き生きしている。
(もしかして、俺との婚約、アリアさんにとってはそこまで重要じゃなかったのかもしれない)
傷ついてほしかったわけではない。むしろ、元気ならそれが一番いい。
でも、ほんの少しだけ、複雑な気持ちが胸に残る。
(俺は「誠実に婚約を解消した」と思っていた。それは正しい。でも、そもそもアリアさんにとっては大きな問題ではなかったとしたら――俺は何に悩んでいたんだ?)
苦笑した。自分が滑稽に思えた。
そして、また、あの顔が浮かぶ。
青い瞳。亜麻色の巻き毛。冷たい声。
「アリアはわたしのものです。おわかり?」
あの目で見られた瞬間の、胸の奥の痛み。
(なんで……嬉しかったんだ、俺は)
怒られたのだ。拒絶されたのだ。なのに。
(リリーメルに「はい」って答えた時、俺は確かに嬉しかった。何でだ。意味がわからない)
ロロードは顔を手で覆った。
この感情の正体に、彼はまだ名前をつけられていない。
でも、名前をつけなくても、それは確かにそこにある。
(……帰ろう。今日はもう、考えるのをやめよう)
馬車が揺れる。
ロロード侯爵家への道は、まだ長い。
―――
夜。
リリーメルをベッドに送り届けて、自室に戻る途中。
マルカに呼び止められた。
「アリアさん」
「はい、マルカさん」
「今日のロロード様のこと、大丈夫?」
「はい。本当に大丈夫です」
マルカがじっとこちらを見た。四十代のメイド長の目は鋭い。見抜く力がある。
「……あなたは本当に大丈夫みたいね。そこは安心した」
「ありがとうございます」
「でもね、アリアさん」
「はい?」
「あなた、もう少し自分のことも見なさいね」
唐突な言葉だった。
意味がわからなかった。
「……自分のこと、ですか?」
「そう。お嬢様のことだけじゃなくて。あなた自身のことも」
マルカは微笑んで、それ以上は言わずに去っていった。
(????? どういう意味だろう?????)
首を傾げた。
自分のこと。何を見ればいいのかわからない。
お嬢様のことを見ていれば、私は幸せだ。それで十分ではないか。
まあいい。マルカさんの言うことは大体深い意味があるので、いつか理解できるだろう。
日記帳を開いた。
『ロロード様が訪ねてきた。元気だと伝えた。お嬢様が怒ってくださった。かわいかった。ルーメン様もお怒りだった。立派だった。マルカさんが謎の助言をくれた。よくわからなかったけど、大事そうな気がする。今日も最高だった』
ペンを置く。
窓の外の月が、穏やかに光っている。
(明日も、お嬢様の傍にいられる。それだけでいい)
そう思って、灯りを消した。




