第12話:ロロードの再登場と援護射撃
ロロード・ファウデンが、またエルドラド屋敷にやってきた。
三度目の訪問。今回も表向きは父親同士の商談の付き添いだ。
だが、ロロードの表情には前回とは違うものがあった。整理のついた顔をしていた。
玄関で迎えたのは、もちろん私だ。
「ようこそ、ロロード様」
「ああ、アリアさん。……お変わりないですか」
「はい、おかげさまで」
にっこり。いつも通りの笑顔。
ロロードがこちらを見て、少し笑った。苦笑いに近いが、嫌味がない。
むしろ、清々しい笑みだった。
「……元気そうで、本当によかった」
「ありがとうございます」
(今日のロロード様、なんだか吹っ切れた顔をしている。何かあったのかしら)
商談の間、私はいつも通りメイド業務をこなしていた。
商談が終わり、ロロードが応接室から出てきたとき、リリーメルが廊下の向こうから歩いてきた。
リリーメルの目がロロードを捉えた。
いつもの塩対応モードが発動――するかと思ったが。
「……ロロード様」
呼び方が少し違った。「あなた」でも「あの人」でもなく、「ロロード様」だった。
塩の角が、ほんの少しだけ取れている。
ロロードが足を止めた。
「リリーメル」
「少し、お話があるのですけれど」
リリーメルがロロードを中庭に連れ出した。
私は給仕として付き添おうとしたが、リリーメルが振り返って「アリアは大丈夫。少しだけ二人で話しますわ」と言った。
珍しい。お嬢様がロロードと二人で話すなんて。
(……何を話すのかしら)
気になったが、メイドとして待機した。
―――
中庭のベンチ。
リリーメルとロロードが向かい合っている。
秋の風が吹いて、リリーメルの巻き毛が揺れた。
「あなたは、アリアを傷つけた人です」
開口一番、それだった。
でも、声は以前ほど冷たくなかった。
ロロードが頷いた。
「……そうだと思っていた。でも、最近疑問になってきた」
「?」
「アリアさん、俺との婚約について、それほど重視していなかった気がする」
リリーメルの目が少し見開かれた。
「俺がやった婚約破棄は、アリアさんにとっては……最初から大きな問題ではなかったのかもしれない。俺は「誠実に解消した」と思っていたが、もしかしたら、アリアさんは最初から……」
「……待ってくれなくてよかった、と思っていた?」
リリーメルが言葉を継いだ。
ロロードが目を丸くした。
「……そうだ。たぶん、そうだ」
リリーメルがしばらく黙った。
ベンチの端に座って、足をぶらぶらさせている。十歳の仕草だ。でも、考えている顔は大人だった。
「……あなた、少しだけ賢いのね」
ロロードが一瞬固まった。
「今のは、褒められた……のか?」
「さあ。どうかしら」
リリーメルがすましたした顔で言った。でも、口の端がほんの少しだけ上がっていた。
ロロードの心拍数が上がった。わかっている。自覚がある。十歳の令嬢の曖昧な言葉一つで動揺している自分が情けないが、事実は事実だ。
「……リリーメル、俺は」
「何?」
「アリアさんを傷つけたことは、謝る。今もそう思っている。でも、アリアさんが最初からそこまで傷ついていなかったなら……俺がずっと背負っていた罪悪感は、少し的外れだったのかもしれない」
「……そうかもね」
「ただ、アリアさんが今幸せそうなのは……嬉しい。本当に」
ロロードの声は静かだった。誠実だった。
リリーメルはその声を聞いて、少しだけ表情を変えた。
(……この人は、アリアを本当に心配していたのね。最初から悪い人ではなかったのかもしれない)
評価が、少しだけ上がった。
「……ロロード様」
「はい」
「アリアは、今、幸せですわよ。あなたが心配しなくても」
ロロードが少し目を見開いた。それから、ふっと笑った。
「……そうか。それなら、よかった」
「でも、もしまた誰かを傷つけたら、今度は許しませんからね」
「……肝に銘じる」
リリーメルが立ち上がった。スカートの裾を払って、伯爵令嬢の姿勢で。
「お話は以上ですわ。お商談、お疲れ様でした」
十歳とは思えない完璧な挨拶をして、中庭を去っていった。
ロロードはベンチに残されて、しばらくリリーメルの背中を見つめていた。
(……強い子だ)
そう思った。
同時に、胸の奥が温かくなった。
(俺は、この子のことが……)
その先は、まだ言語化しなかった。
―――
帰り際。
ロロードが玄関に向かう途中、ルーメンとすれ違った。
二人が立ち止まった。
廊下の真ん中で、向かい合う。
ロロードが先に口を開いた。
「エルドラド。アリアさんのことは……頼む」
短い言葉だった。
婚約を破棄した男が、次の相手に託す言葉。それがどれだけの重みを持つか、ロロード自身がわかっていた。
ルーメンが静かに答えた。
「……言われなくても」
短い。端的。でも、その三文字には「絶対に」という意志が詰まっていた。
ロロードが少し笑った。寂しさと安堵が混ざった笑み。
「……頼りにしてるよ」
そう言って、ロロードは歩き去った。
これを、私は廊下の向こう側から遠目に見ていた。
(……あのお二人、少し距離が縮まったのかしら。お嬢様のためにお力を合わせているのかも)
微笑ましいと思った。
まだ「自分のため」とは気づいていない。
ルーメンの内心は、いつも通り届かなかった。
(……そっちじゃない。お前のためだ)
でも、もう焦らないと決めていた。アリアのペースで。それだけだ。
―――
夜。
ロロードを見送った後、リリーメルのベッドを整えながら、お嬢様と話した。
「お嬢様、今日ロロード様とお話しされていましたね」
「ええ。少しだけ」
「何をお話しになったんですか?」
「秘密」
リリーメルがにっこりした。いたずらっぽい笑顔。
「……お嬢様」
「ふふ。でもね、アリア。ロロード様は、悪い人じゃなかったわ。最初からそうだったのかもしれないけど、今日ちゃんとわかった」
リリーメルの声は穏やかだった。
怒りではなく、理解の声だった。
「……そうですか」
「うん。だから、もうあの人のことは怒らないことにしたの。少しだけね」
少しだけ、と言うところがリリーメルらしい。完全に許すわけではない。でも、扉を閉じきることもしない。
(……お嬢様は、成長しているんだなあ)
十歳の女の子が、人を許すことを覚えていく。
それを見守れることが、嬉しかった。
「おやすみなさい、お嬢様」
「おやすみ、アリア。……明日もよろしくね」
「はい。いつでも」
扉を閉めた。
日記帳を開いた。
『ロロード様が来た。リリーメルお嬢様が少しだけロロード様を許した気がする。ルーメン様とロロード様が廊下で話していた。何の話をしていたんだろう。お嬢様は今日もかわいかった。それだけは確かだ』
ペンを置いた。
灯りを消した。
今日は、少しだけ穏やかに眠れそうだった。




