第9話「ルミア様のことなら何でもわかります(留美さんとは言っていない)」
あの休日以降、安海さんはすっかり大人しくなった。
……なんてモノローグを語ることができたら、どれだけ楽だったのでしょう。
「それじゃあ宿敵令嬢フェアの企画の一つである“ルミアリエル理解度対決”のテストを始めるよ。安海さんが挑戦者、高町さんが比較対象として参加してもらうって感じで。出題役は私が担当するよ」
「お任せください! 私のルミア様へのあふれる愛情をもってすれば、負ける未来が全く想像できませんが……高町さん、お互いルミア様に惹かれているもの同士、正々堂々戦いましょうね!」
「……あの……本当に戦いの結果がわかりきっているから、私よりも松林さんがお相手するほうがいいかと……」
「自分で自分の理解度テストに参加してしまうと、それはもう自己診断テストみたいになってしまいますわね……」
楽屋裏、私たちはホール担当の衣装に着替え、椅子に座ったまま問題集片手に立っている店長を見上げる。この場で一人だけ普段着だから、店長だけが異世界転生でもしてきたかのような異彩を放っていた。
そんな中、説明を受けた安海さんは鼻息荒く宣戦布告していて、「ルミア様、見ていてくださいね!」と何度も振り返り、そしてウィンクしてくる。それは勝利を信じて疑わない、悪役令嬢のライバルにふさわしい堂々とした態度だった。
……その自信の理由がわかるからこそ、今だけは高町さんに同情しそうだった。勝ち負けの結果よりも、『厄介ファンの独壇場に付き合わされる悲哀』という意味で。
「それじゃあ、まずは……ルミアリエルの紅茶の好みは」
「コクと香りが強めの、ミルクや砂糖と相性の良い銘柄です! 疲れているときははちみつを入れて飲むのが密かな楽しみで、お茶会では一切その姿を見せることがないんですよね!」
「うん、正解。ちなみに、『コクと香りが強めの、ミルクや砂糖と相性の良い銘柄』の部分まででよかったからね?」
「……わたし、ここにいる意味があるんでしょうか……」
「高町さん、そんな悲しいことを言わないでくださいまし……」
店長が問題を読み終える前に、安海さんはクイズ王のような速さで、余計な設定まで答えていた。演じている私でさえ、普段はそこまで意識しないのですけど……。
「次の問題。ルミアリエルの主な政敵の一人で、フェンシングの試合で負けたことがきっかけで逆恨みをしているのは」
「はい! ガレス・フォーデン伯子息ですね! 彼は一見すると紳士的かつ豪放ですが、その一方でプライドが高く女性を見下しているため、フェンシングで負け知らずのルミア様に突っかかり、完敗したことで学園では嫌がらせを続けているんです……なんて恥知らずなんでしょうか!」
「……あの……わたし、そこまで覚えていませんでした……ごめんなさい……」
「安心してください、わたくしも忘れてましたわ……というかその人、ナレーションに出てきただけのキャラでしたわよね?」
しょぼんとする高町さんだけど、彼女は悪くない。いや、本当に悪くない。
そもそもそのキャラクターは店長が設定メモに軽く書いていた人物であって、覚えているほうが……おかしいとまでは言わないにせよ、特殊だと言わざるを得なかった。
「……うーん。じゃあ、ルミアリエルが第十二回公演で使った扇の色」
「黒のレースです! あれは夜会へ参加した際に持っていたもので、ルミア様の『夜の闇すらかき消せないほどの黒を』というオーダーに侍女が選んだものとして有名ですね。これはルミア様ウォッチャーとしては中級者向けくらいでしょうか?」
「……うーむ、これは本番の問題の難易度を上げるべきなのかな……」
「店長、目を覚ましてくださいまし! ルミアリエルを演じているわたくしでもさっぱり覚えていない内容をクイズにしても、理解度ではなく盲信度のチェックにしかならないと思いますけど!?」
ついにツッコミすらできなくなった高町さんは唖然として、いつもクールな店長ですら混乱し始めた。もちろん、安海さんは「常識ですよね?」とばかりに小首をかしげている。
……こういう仕草だけを切り取れば、聞き分けのいい大型犬っぽく見えるのに。丸みのある目は「正解したのに、なんで褒めてくれないんです?」とばかりにきょとんとしていた。
「ふーむ……なら、ちょっと趣向を変えてみようか。それじゃあ、『松林さん』の苦手なものは?」
「……え?」
「あ、たしかホラー映画が苦手と話していたような」
「うん、高町さん正解」
「えっ、あっ」
そして何を思ったか、店長の質問がルミアリエルをひょいと通り越して、私のところへ飛んできた。
……これ、ルミアリエルの理解度チェックですよね?
そんな指摘をする前に、そっと手を上げた高町さんが正解した。安海さんは急にルミアリエルを見失ったかのように、ぽかんとその様子を見送っていた。
「次。松林さんは休日に何をすることが多い?」
「紅茶を淹れることが多いと聞きました。たしか、学校での礼法の一環だと教えてくれました」
「おお、正解。安海さん、もうちょっと頑張って」
「ちょっ……それはルミア様に関連する問題じゃありません! 催しの趣旨に反しているのでは!?」
「いや、わたくしに関する問題ではあるんですけど……」
店長がわずかに笑った。普段、安海さんに振り回されているぶん、少し意地悪したくなったのだろう。
高町さんへ話したのは、休憩中のほんの雑談だったはず。覚えていてくれたんですのね、と口元が緩んだ。
「じゃあ、最後。松林さんが、今一番言いたいことは?」
「ぐっ、ぐぬっ……『店長は質問の不備を認めるべき』、これに決まっています!」
「じゃあ、高町さんの答えは?」
「……『早く仕事に戻りたい』、でしょうか……」
「これは高町さんが正解ですわね……」
店長もふざけすぎたと思ったのか、いよいよ最終問題に突入したけれど。
結局、安海さんは松林留美に関する質問はすべて不正解という結果に終わった。彼女は頭を抱えて机に突っ伏し、「私は……ルミア様のことならなんでもわかるはずだったのでは……」と呻いていた。
*
その後の仕事は、全員が普通にこなせていた。
安海さんはいつもどおりラフィエラになりきっていて、演劇もホールも問題なくこなす。それはいいことだった。
「まったく……普段はあれほど付きまとっているというのに、知らないことばかりではありませんか。厄介ファンというのは、理解よりも憧れを優先するものなのですわね」
「こしあんがお好きなことは、ちゃんと覚えています! 店長がクイズとして出さなかっただけで!」
「……で、それ以外は?」
「……違うんです……私はそもそも厄介じゃなくて、ルミア様のコアなファンなだけで……それにルミア様はルミア様であって、中の人なんていないんです……」
「そんな解釈を本人へ口にできて、どうして厄介ファンであることを否定できるんですの……」
けれど仕事終わりの楽屋では、安海さんに対してついそんな追い打ちをかけてしまっていた。
先日は二人で出かけたばかりなのに。ルミアリエルとして付き合った時間でも、私のことを少しくらい知ってくれたと思っていた。
……友人として、そのくらいは期待してもいいでしょう?
厄介ファンとしての一面は捨てきれずとも、叱られた犬みたいにしょぼくれているのを見ると、これ以上つつく気も失せてしまった。
「まあ、それでも……安海さんがルミアリエルについてよく観察していたことに対しては、演者として嬉しいことかもしれません。いいですか、ルミアリエルとしてではなく、それを演じる人間として、という意味ですよ?」
「ルミア様……こんな未熟な私にも、そんな……よしっ、決めました!」
安海さんは自分の頬を軽く張るようにして、私に向き直る。その長く落ち込まない前向きな様子は、呆れよりも安心を私に抱かせた。
……けれど、きらきらとした目を向けながらペンと手帳を取り出す様子を見て、「もうちょっとだけ厳しくしたほうが良かったかしら……」とすぐに思い直した。
「これからのラフィエラは、二十四時間、毎分毎秒ごとのルミア様を理解していく所存です! なので早速、詳細な調査を始めようと思います!」
「それはそれで怖いのでやめてくださる!? まったく、わたくしにもルミアリエルではない時間があってですね」
「みんな、お疲れ様。高町さんももうちょっとしたら戻ってくるし、企画案が固まってきたから、それを伝えたいんだけどいい?」
当たり前のことをため息交じりに説明しようとしたら、店長がひょっこりと楽屋へ顔を出してきた。どうやら、厄介ファンへのお説教は次回に持ち越されたらしい。
「理解度対決だけど、これは劇中設定だけじゃなくて、キャストが答えてもいい日常的な質問も加えるつもりだよ。ちょっとした舞台裏を見せるための、ファンサービスみたいな感じかな?」
「えっ……あの、店長? それはわたくしの個人情報を、競技種目にするという宣言ですの……?」
「もちろん、プライバシーを侵害しない範囲でね。そうだな、お店の中で見られる程度の、みんなの夢を壊さないレベルにするつもり」
このお店はキャストの安全を守るため、迷惑行為、無断撮影、出待ち、連絡先交換などをきちんと禁じている。でないと、私の学校はまずアルバイトを許可しないだろう。
だから、店長を疑っているわけじゃない。そう、懸念は……すでにリベンジを誓っている、すぐ横にいる厄介ファンの姿だった……。
「……見ていてください、ルミア様! 次こそは全問正解を果たし、私こそがあなたの最大の理解者であることを店内外に知らしめてみせます! ですから、早速ルミア様には個人的なインタビューを!」
「あなた、人の話を聞いてました!? まもなく終業時間、それに応じる義務はありません! ましてや、わたくしのことが知りたいのであれば……もっと節度を持って接してくださるかしら!?」
ルミアリエルでいるうちは、目の前の厄介ファンも含め、私を見ている人たちを楽しませてあげたい。
けれどこの調子では、退勤してもルミアリエルだけは帰してもらえそうにない。
まるで無作法な記者を退ける芸能人のような気持ちで、手帳片手に迫ってくる安海さんを制していた。戻ってきた高町さんは、不思議そうな顔で「あれ? またあのクイズをするんですか?」なんて尋ねていた。




