第8話「これはデートではありません。しいて言えば市場調査です」
ついに訪れた休日は、大切な人と出かける際のささやかな興奮に包まれていた。
……なんてこともなく。
(はぁ……仕事のためとはいえ、休日も厄介ファンの相手をするだなんて……いえ、安海さんとのお出かけが嫌とかじゃないのですが、この徒労感は何ですの……)
まだ外出を終えていないというのに、アルバイトを終えた直後のような疲れがまとわりつく。その正体は、今も脳内で『ルミア様ならこうする』と雄弁に語る、誰よりもルミアリエルを愛する少女だった。
(……とはいえ、今日は限定メニューの候補を探すために、そして安海さんが求めたように……ルミアリエルとして会いませんと。まったく、休日なのに役を演じるとは……これでは道化ですの)
朝のさわやかな光が差し込む自室の中で、私は心の中でだけぶつくさ言いつつ、クローゼットを開く。その中にはあまり袖を通さない私服もそれなりにあって、ふと母親の「留美ちゃんは可愛いんだから、もっとおしゃれしてね」という言葉を思い出した。
……親からの贈り物をタンスの肥やしにするのも、よくないですわよね。
なんて殊勝なことを考えながらも選んでいたのは、『なんとなくルミアリエルっぽく見えそうな私服』だった。
(薄紫の細いリブニットに、オフホワイトのフレアスカート。まあこれなら、『解釈違いです!』とは言われないでしょう……こんな用事でお店の衣装を借りてくるのもアレですし)
姿見で確認しながら、くるりと一回転。ふわりと翻るスカートが、カジュアルな舞踏会を連想させた。
それに淡いグレーのショートトレンチと小ぶりの肩掛けバッグ、靴は……歩きやすさ重視で、低いヒールのローファーってところかしら?
人並みにしかおしゃれに関心がないと思っていたけれど、いざ着こなしを考えると、鏡の前を離れるまでに何度も襟元を直してしまう。
それに後押しされたのか、部屋を出る足取りは軽かった。
「あら? 留美ちゃん、おめかしをしてる……もしかして、デート?」
玄関に向かう途中、母と顔を合わせる。外出することは事前に伝えていたけれど、この服装だと余計な勘ぐりを生むかもしれない……なんて予想が的中して、笑顔がひくついた。
「いえ、これはデートではありません。しいて言えば……“市場調査”です」
「……えぇ〜……?」
お出かけではある。けれど、休日まで役柄を求められる外出を、デートと呼ぶのは少々抵抗があった。お仕事の一環なのだから、市場調査。色香はないけれど、間違ってはいない。
その回答は母親を見事に困惑させたけれど、デートじゃないことに安心したのか、「調査結果、お母さんにも教えてね」なんて送り出してくれた。
……『悪役令嬢なら何を好むか』なんて、どう報告すればいいんですの……?
*
「お待ちしておりました、ルミア様。休日もこのラフィエラのためにお時間を割いてくださったこと、感謝いたします」
深緑のプリーツスカートの裾を軽く持ち上げ、実に上品な一礼をする。その際に揺れるハニーゴールドの髪の片側には、小さな金色のヘアピンをつけていた。
さらには生成りのボウタイブラウスと紺のジャケットもお嬢様らしさを主張していて、所作も含めると完璧なまでにラフィエラを演じているのがわかる。
……問題は、ここがラ・クーロンヌではないため、現代日本では浮いてしまうことだろうか。
「わたくしの貴重な時間、それも休日をこれだけ奪えれば、もう十分に満足したのではなくて?」
「うふふ、私は欲張りなものでして。願わくば、夜の帳が下りるまではご一緒させていただきたいです」
あああ……お願いですから、知り合いとは遭遇しませんように……高町さん、わたくしを助けてくださいまし……!
心の中で聖女に祈りつつ、私は必死にルミアリエルを演じる。待ち合わせ場所の駅前は人通りが多く、その中には私たちのやりとりを見聞きし、露骨に振り返って「なにかの撮影?」みたいな目を向ける人もいた……。
今だけは、本当に“ラフィエラを罵倒するルミアリエル”の気持ちがわかる。こんな事態に巻き込んだ張本人に対し、今ならいくらでも悪罵を浴びせられそうな気がした。
「さあさあ、参りましょう。ルミア様のため、本日向かうお店をピックアップしておきました。お茶もお菓子も同時に試せる、ルミア様との時間にふさわしいところばかりですよ」
「えっ、その資料、今日も持ち歩いて……んんっ、その殊勝な心がけに免じて、今はこの屈辱に耐えて差し上げますわ」
あの手提げバッグ、妙にしっかりしていると思ったら……今日も資料を持ち込んでいるんですのね……。
呆れ交じりの驚きに、一瞬だけルミアリエルを忘れてしまう。デートにサプライズはつきものだけど、安海さんは期待を裏切らない人だった。良い意味か悪い意味かは、もちろん置いておく。
咳払いして役に戻る私に対し、上機嫌な彼女は何事もなかったかのように先導を開始した。
*
安海さんが選んだお店の一つ、食料品も扱っている生活雑貨店を訪れる。明るい店内の至るところにポップな飾り付けが広がっている様子は、どこかハロウィンを連想させた。
お店の一角には小さなカフェスペースもあって、その場で購入したお茶やお菓子も楽しめるらしい。ふと鼻を利かせてみると、甘いお菓子の香りに混ざるように、茶葉のさわやかで深みのある匂いが自己主張していた。
匂いを嗅いでいるだけで、お茶会をしているような……そんな空間は、悪役令嬢になり切る一般市民の私にも心の豊かさを教えてくれる気がした。
「ルミア様、こちらを。あなたにぴったりなお菓子をチョイスさせていただきました」
「……ほう。ところであなた、値札は確認しましたの? わたくしたちのような貴族令嬢ならともかく、領民たちに提供する品であることをお忘れですの?」
「ですがルミア様、高貴なあなたに見合うものとなると、どうしてもこの価格帯の製品になってしまうのです」
こ、この厄介ファン……まさか、本当のわたくしが一般市民であることへの当てつけですの!?
安海さんが恭しく捧げようとしたマカロンの箱には、『六個入り、四千八百円』という値札が貼られていた。私の好物のどら焼きであれば、何個買えるというの……?
確かに、ルミアリエルとしてのイメージには合うかもしれない。けれど、同等の製品をお店で提供する場合、サービス料込みでとんでもないことになるのは目に見えていた。
「いいですかラフィエラ、我々は高貴な者として、領民の一般的な暮らしすらも把握する義務があります。たとえば、そうですわね……むっ、この徳用の大入りラスク、歯ごたえと風味がよさそうで実にわたくし好み……もとい、領民たちも喜びましょう」
「えっ……ルミア様が、二十枚入りで二千円のお菓子を……好む……?」
「いちいち値段は口に出さなくて結構ですわよ」
……そんなに驚くチョイスなのかしら、これ……むしろ、プライベートで欲しいくらいなのですが。
それなのに目の前の厄介ファンは異世界で駄菓子屋でも見つけたような、未知との遭遇に思考が停止したかのような顔つきになる。
そしてラスクの箱を眺めつつ、「私のルミア様が……けれど、ルミア様にも知らない一面があるというのも……」なんてぶつぶつ言い始めた。ちょっと怖いですわ……。
「……なるほど! ルミア様は優雅な生活をされていますが、その反面で過剰な贅沢を嫌い、少しでも忠実な領民たちに還元しようと考えている……私の解釈と一致しました!」
「……まあ、あなたが納得できたのなら言うことはありませんわね……」
友人とのお出かけとは、こうも疲れるものなのだろうか?
安海さんは小さなメモを取り出し、新しい実験結果でも観測したかのように記入し始める。おそらく、また彼女の資料が分厚くなってしまうのだろう。
それに頭痛を覚えつつも、私たちは気になるお菓子とお茶を選び、カフェスペースへと移動する。これも経費で落ちると考えたら、現金な私は椅子に座ると同時に機嫌を直した。
「では、いただきます……ふむ、さすがはわたくしが目をかけたお菓子です。このラスク、大入りとは思えないほどの丁寧な味わいですわね」
「あ、本当です……さすがの慧眼です、ルミア様。ふふ、お茶も香り高くて素敵」
紅茶を口にするうち、私も安海さんも自然と表情を緩めていた。演劇での探り合いを前提としたお茶会とは違い、今だけはお互いがただの学生に戻れた気がした。
ラスクをさくりと噛むうちに、気取った言葉まで少しほぐれていく気がした。
「紅茶は……わたくしはこちら、アッサムが好きですわね。あなたは?」
「私はダージリンですね。自宅ではティーバッグですが、それでも十分おいしくて……はっ!?」
ルミアリエルとしてのトゲを忘れかけた私の質問は、安海さんの心を無防備にしてしまったのかもしれない。
彼女はラフィエラの裏側、安海文香としての情報をぽろりと口にして、すぐに「しまった」という顔つきになる。
だけど私は、見逃さなかった。安海文香さんとしての言葉を無邪気に紡ぐ、あの笑顔を。
そしてそれは、私に「休日でも道化を演じた甲斐があるというものです」なんて、思わせてしまったのだ──。
「い、今のはですね、実家のお屋敷という意味で……!」
「ふふっ、いつもは余裕たっぷりでいけ好かないあなたですが……わたくしにも隙を晒すことがあるんですのね? では、わたくしはアッサムを、あなたはダージリンをベースに選ぶとしましょうか。一服盛るときも、ダージリンを選ばせていただきます」
「……もうっ。私のルミア様は、そのような卑劣な手を使いませんっ」
安海さんは赤くなった頬を膨らませ、顔をそらした。その抗議も仕草も、ラフィエラなのか安海さんなのか、少しだけ曖昧だった。
ともあれ、紅茶の方向性は決まった。カップを置いて帰り支度をしていると、安海さんは私の分の菓子袋まで、自分が持つと言って聞かなかった。
*
「本日はラ・クーロンヌの外でもルミア様とご一緒できて、本当に嬉しかったです」
「……もうお出かけも終わりなので言わせていただきますが、今日は松林留美としても同行していたつもりですわよ? それでも楽しかったのなら、よかったのですが」
帰り際の駅前で、安海さんはすっかりラフィエラに戻っていた。
……その顔でいるほうが、あなたは楽なのかしら。
そんなことを考えていたら、少し意地悪な言い方になってしまう。安海さんは怒るでもなく、ほんの少し返事をためらった。
「もちろん承知しております。ルミア様の荷物持ちになれるだなんて体験、これっきりかもしれませんから」
「ですから、自分で持つと伝えましたのに」
「うふふっ、ご自分の荷物の生殺与奪を預けるだなんて、ルミア様も私に“友情”を感じてくださったんですね。ですから、こちらのお菓子は……私が持ち帰らせていただきます!」
「ちょっと!? わたくしのことをなんだと思ってますの! それとそのお菓子は私の分です、返してもらいますわよ!」
まだしばらくは、この子は私の前だとラフィエラで居続けるのかもしれない。それに対し、思うところはあるのだけれど。
今日のように楽しく過ごしてくれるのであれば、そしてファンとしてルミアリエルを愛してくれるのであれば、それに応えるのも悪くないかもしれない。
仕事熱心な私は荷物を抱えて逃げようとする安海さんを追いかけながら、口元を緩めていた。




