第4話「あなた、ご自分のことは話さないんですのね」
「ただ、正義のため」
「ただ、あなたに正しくあってほしいがため」
本日の劇の終わりは、少しだけ異なる幕引きだった。
劇が終わると同時に私と安海さんは立ち上がり、観客のほうを向いて、どこか芝居がかった──そもそもお芝居なのですが──調子で語りかける。
観客たちも普段とは異なる展開に小さくざわめいたものの、そのサプライズ的な演出を見届けようと、誰もが舞台上の令嬢たちに釘付けだった。
……私を見つめる安海さんも、こんな気持ちなのだろうか?
「だからこそ、立ち止まれない」
「だからこそ、私は手を引く」
私がルミアリエルとして決意を口にすると、安海さんはラフィエラとして追従する。けれどそれは、互いに異なる方向を見たまま続けられる、すれ違った応酬だった。
リオネ役である高町さんはソファに座ったまま、目を閉じ、手を組んで祈るようなポーズを取る。舞台上を照らすスポットライトも、今は彼女自身が放つ後光のようにまばゆかった。
店長が「高町さんはただ祈り続けるだけでも絵になるね」と今回の演出を決めたらしいけれど、見事な采配としか言えない。
「身の潔白を証明すべく、わたくしはあなたを断頭台へと送る」
「憧れのあなただからこそ、私はあなたを舞台から下ろす」
そこで私と安海さんはターンを決めるように振り返り、見つめ合う。より正確には、睨み合う。
……安海さん、そんな顔はしないでくださいまし! あなたは主役として、悪を裁かないといけないんですよ!?
すでに半泣き状態になっていたラフィエラは、あまりにも『安海さん』だった。幸いなのは、観客がその表情にも物語を見いだそうとしていることか。
熱っぽい視線に店内の湿度まで上がったようで、呼吸がべたつく。人々──とくに目の前のライバル令嬢──が放つ体温が、否応なく盛り上がりを伝えてきた。
「悪役令嬢ルミアリエル編、最終章。近日開始予定……わたしの祈りは、誰に届ければいいのでしょう──」
そして最後の結びとして、私たちに挟まれるようにして沈黙を守っていたリオネがうっすらと目を開き、予告を締めくくる。
最終章、という単語が出てきたことでついに静寂は破られて、ざわめきは憶測や推測の形に収束していく。私たちは盛り上げてくれた観客たちに三人並んで一礼し、そして舞台袖へと消えていく。
それでもすぐには人の声が鳴り止まず、お仕事だと割り切っている私でも、少しのあいだは体が火照っていた。
*
「『いよいよルミアリエルが断罪されるのか……やはり悪は滅ぶべし。でもルミア様は例外でいいと思うんだよね』『ルミアリエル様が悪として裁かれるというのなら……私も共に滅びよう! そして永遠に!』……店長、やはりルミア様は永遠に不滅にすべきでは? 正義の反対側は悪ではなく異なる正義、ゆえにルミア様が勝つべきじゃないでしょうか?」
「今日も絶好調だね、安海さん。落ち込んでなくてよかったよ……もちろん却下で。ルミアリエルの人気は知ってるけど、物語としての一区切りは必要でしょ?」
「ぐぬぬぬぬぬ……!」
「一仕事終わったあとくらい、ぐぬるのは控えてくださいな……」
演劇の終了後、ついにお店公式のSNSでも最終章に関する告知がおこなわれた。投稿されるや否や、いいねとリポストが積み重なり、「ルミアリエル生存希望」のリプライや引用も相次ぐ。
……安海さんみたいな人、意外と多いのかしら……だとしたら、もっと『厄介ファンとの接し方』を学ぶべきかもしれませんわね……。
なんてことを、安海さんと店長の応酬を眺めつつ考えていた。楽屋には舞台とは異なる熱、演劇を終えた私たちの体温が伝播しているみたいだった。
「こうなったら、ルミア様の断罪を求めるアカウントはミュートして……生存を求めるポストを積極的に拡散すれば、店内の世論も動くかも……!」
「自らエコーチェンバーを悪化させようとするのはやめてくださる!? 安海さんの個人用アカウント、本当に大丈夫なんですの!?」
「これを見られたら、私は本格的に『安海文香』の名前を捨てて生きるつもりです」
「安海文香さんじゃなくなったからといってラフィエラそのものになれるわけではないんですのよ!」
ここ最近の楽屋裏は、概ねこんな感じ。
劇自体は真面目にこなす安海さんがここでだけは厄介ファンに戻って、店長が来たら生存嘆願をして、その都度断られる……それに巻き込まれる私と高町さん。
……私はともかく、高町さんには申し訳ないですわね……。
そんな複雑すぎる罪悪感を抱えて高町さんを見ると、彼女は編み物にいそしんでいた。「あ、ごめんなさい……弟のぶん、どうしても完成させたかったから」なんて話す高町さんは、私が思っているよりもずっと強いのかもしれなかった。
*
「ルミア様、本日はご一緒できて嬉しいです。うふふ、普段は誘っても来てくださいませんから」
「席次表が起こした過ちに感謝することですわね。それとも、主催者に口添えでもしたんですの?」
「あら……このお茶会は親睦の場、そのような話題は空気を台無しにしてしまいますよ?」
「……たわけめ」
本日の舞台の背景は、学院章によって彩られていた。学院の紋章は開いた王冠が下から白薔薇を支えるような構図になっていて、それは聖女こそが国の象徴とも、王侯貴族こそが聖女を管理しているとも取れた。
そして私と安海さんは、舞台前に設置された円卓を挟んで睨み合う。ルミアリエルである私は宿敵と交わすお茶を苦々しく飲み、ラフィエラは心底嬉しそうに圧をかけてきた。
「ルミア様、最近は聖女様とはどのように?」
「ありがたいことに、仲良くしていただいておりますわ。共に礼法や読み書きを学ぶ光栄、日々噛みしめております」
「なるほど……聖女様への嘆願書も一緒に読まれておいでで?」
ぴくり。眉根を寄せる。自分と聖女が二人で過ごした時間、それは決して誰にも見られていないはずだった。
……あの人は、まったく。笑顔で迫ってくるラフィエラに対し、口を滑らせる様子がありありと浮かんだ。
そんな光景を連想できるようになったあたり、私はすっかりこの劇の一員になれたのかもしれない。無論、安海さんほど入れ込んではいないけれど。
「リオネ様はあまりにも生真面目、時には人へ判断を委ねたくもなりましょう。神託があったとはいえ、まったく異なる生活から聖女になられたのですから」
「だからこそ、生まれたときから高貴な立場である我々が守り、導かねばならないのです。わたくしは、その責務から決して目をそらさない」
「あなたも私もまだ学生、そしてリオネ様も学生であったのならば、より対等な接し方でいいと思います。ルミア様は、もっと肩の力を」
「あなたはそうやって、また……んんっ。あなたらしい助言ですわね、覚えておきます」
台本よりも台本らしく、ラフィエラは迂遠な言葉で私を追いつめようとする。本人は包み込むつもりでも、ルミアリエルにとっては生ぬるい拘束具でしかない。
それをわかっていても、私は一瞬だけ言葉を荒げそうになる。だから扇子を開いて口元を隠し、咳払いをしてから、この場ではぎりぎりの皮肉を投げておいた。
ラフィエラはもちろん、嬉しそうに笑った……安海さんの場合、何を言っても喜ぶのがアレですわね……。
「さあさあ、学生らしく、もっと学校でのことを話しましょう? 私、ルミア様のことなら、なんでも知っておきたいのです」
それもまた台本通りのセリフで、驚くような部分はない。
だとしても、私の頭にはルミアリエルとしてのセリフよりも、松林留美としての疑問が、カップの紅茶の水面へふっと浮かび上がった。
(……そういえば安海さん、ご自分の学校生活についてはほとんど話しませんわね)
目の前の少女とラフィエラが、重なって見える……まあ、同一人物なのだけど。
それは単なる舞台上の幻影だと割り切って、扇子で顔を隠したまま、「そう聞いてくるわりに、あなた、ご自分のことは話さないんですのね」と返しておいた。ラフィエラとしての彼女は、「ならば、図書室でルミア様を見かけたときのことを」なんてのたまい出した。
*
「安海さん、少々よろしいですか? あなたのことについて、いくつか聞きたいのですが」
「もちろんですルミア様! 私の名前はラフィエラ・セラフィーナ・ド・アストレア、特技は資料作成、趣味は推しであるルミア様の観察、好きなものはルミア様、嫌いなものは自……」
「どうして今の文脈でラフィエラのことを語りますの!? しかも一部にご自分の解釈が混ざってますわよね!? わたくしは、安海さんのことについて聞きたいのですが!」
「はい? えー、ああ……なるほど……」
劇が終わり、ホールへ出るまでの休憩中。
私は分厚い資料──またページが増えている気がする──を更新している安海さんに声をかけた。もちろん、ラフィエラのことじゃない。
高町さんも同席していたけれど、気を使っているのか、台本から顔を上げようとはしない。
「……今の私はラフィエラです、それ以上でもそれ以下でもありません。そう、ラ・クーロンヌの敷居を跨いだ瞬間から、私たちにはキャストとしての自覚をですね」
「またそうやって……あなた“も”ご自分のことは話しませんのね」
「うぬぬっ、先ほどの舞台のセリフを引用するとは……やりますね、ルミア様。そんなルミア様を死なせるわけにはいかないので、ちょっと一人でルミア様生存ルートの検証をしてきます!」
「あ、ちょっと……」
不自然な動機……いえ、本人は大真面目なのかもしれませんが。
安海さんは露骨に会話を逸らしてから、資料を抱えてどこかへと走っていく。あれを抱えたまま走れるとは、少なくとも安海さんは体育の成績もいいのかもしれない。
「……そういえば安海さんって、お仕事が終わるとすぐに帰っちゃいますよね。しかも一人で」
「言われてみるとそうですわね……あ、いえ、終業後もルミア語りをして欲しいとか、そういうのじゃないのですけど」
「ええと、大丈夫です。わたしも少しだけ、気になっちゃったので」
二人残された部屋で、高町さんは遠慮がちに口を開く。そしてその言葉は何気ないものだったのに、私の思考の奥底に沈んでいく。
それでもまだ、ルミアリエルとしての仕事は残っている。そしてラフィエラの仕事もあるのだから、彼女は戻ってくるのだろう。
その事実に少しだけ深い息を吐いてから、私は高町さんと自分へのお茶のおかわりを用意した。




