第3話「ルミアリエル死す!? ラフィエラ怒りの厄介ファンモード!!」
こうしてホール担当向けの衣装のまま楽屋にいると、自分たちが異世界の住人なのか、あるいは単なるコスプレをしたアルバイトなのか、少しだけ曖昧になった……いえ、後者が事実ですけど。
一つしかない姿見の前で、軽く身振り手振りをする。象牙色のハイネックブラウスに葡萄色の七分袖ボレロ、後ろにだけ軽く量を持たせたふくらはぎ丈スカートの組み合わせは、舞台向けの衣装に比べて動きやすい。
だからなのか、ほんのちょっとだけ行動的になった私は、びしっと人差し指を鏡の中に向けて、相手を糾弾する悪役令嬢みたいなポーズを取ってみた。
「……素晴らしい……私の中の『文化祭を手伝いつつ自分の有能さを知らしめる時のルミア様』と合致しました……これって運命ですよね?」
「いたのなら声をかけてくださる? 今はまだ松林留美のつもりなのですけど?」
「ご、ごめんなさい、松林さんがすごく真剣に練習していたから……安海さんも『二人でルミア様を見守りましょう』って……」
「高町さん、まともじゃないときの安海さんの言うことは九割くらい聞き流すようにお願いしますわ」
「私はラフィエラとして常に真面目です!」
「安海文香さんとして真面目に生きて欲しいって意味なのですが!?」
後ろから聞こえてきた声に、やっぱり私は現代日本の人間なのだと再確認した。同時に、自分の血迷った行動を恥じる。自ら厄介ファンに燃料を投下するだなんて、スパムアカウントにリプライを送るレベルの愚行でしたわ……。
私は「私は安海文香である前にラフィエラなのです」という彼女の言葉を咳払いして流し、店長が訪れるのを待つ。開店前のミーティングをするには、この楽屋はいつも通り手狭だった。
「おはよう、みんな。着替えも終わっているみたいだし、これが次の分の脚本ね。練習前に目を通しておこうか」
「はい、かしこまりました」
挨拶もそこそこに、余計な話をせず、入室直後に私たちへ脚本を配る店長。一見すると表情も含めて愛想のない態度だけれど、仕事に対する実直さは、学生の私から見ても敬意が持てた。
……これでもうちょっと、安海さんに苦言を呈してくれれば言うことなしなのですが……。
そんな本音は口にせず、私たちは椅子に座ったまま台本に目を通し始めた。紙がめくれる音が響く程度に静かな部屋は、緊張と安堵を交互に刺激する。
「店長、少しいいですか? このお茶を飲みながら歓談するシーンですが、ルミア様にしては嫌みの切れが悪いです。私ならもっとこう、『砂糖壺の中身、すべてお使いになってもよろしくてよ。甘ちゃんばかりのアストレア家にはお似合いですわ』みたいなセリフにしますね。それとこのシーンはリオネ様も同席しているのですから、もっとラフィエラはやきもちを焼くと思うんですよ。ルミア様に反撃する際に『あなたが私ばかり見てくれていた頃なら、砂糖よりも甘い時間を過ごせていたでしょう』みたいな……」
「『解釈違い以外の意見ならいいよ』って伝える前に語るのは控えよう? まあ、言いたいことは伝わったけど」
「店長、もっと安海さんには厳しく接してくださいまし……」
その静寂を打ち破ったのは、当然安海さん。彼女は大御所の俳優ばりに忌憚のない意見──というか厄介ファンの解釈──を語り始め、店長は「また始まった」という態度を丸出しにしつつも、安海さんの話に耳を傾け、手元のメモにペンを走らせていた。
このそっけなく見える女性は、脚本作りに関しては驚くほど真摯だった。それこそ、面倒くさい意見からも創作に役立つ部分を切り取ろうとするように。
それが結果として安海さんというルミアモンスターを野放しにしているのが、私に尊敬と諦観の双方を抱かせた。真面目な高町さんは、脚本を覚えるのに必死だった。
「あ、そうそう。次の章でルミアリエル編は完結だから」
「あら、そうでしたのね」
「………………は?」
店長は、季節限定メニューでも知らせるように告げた。普通に返事をした直後、私は「あ」と漏らす。
ここには、ルミアリエルのことなら三日三晩でも語れそうな最大のファンがいたのだ。
「え!? ルミア様の物語が!? 完結!? それってルミア様の劇が終わるってことですか!? 私に事前の確認もなく!?」
「あの、ここの責任者は一応私なんだけど……ちなみにオーナーには確認してもらったよ」
「オーナーも私からルミア様を奪うつもりなんですか!? ルミア様、あなたのお命が狙われております! 今すぐ私と避難して、人がいないところで二人平和に野を耕し、貴族だったことを忘れて生きていきませんと!!」
「わたくしは死にませんけど!? 劇なのか現実なのかわからない、その妙に具体的な逃走プランは何なんですの!?」
そして私が制止する間もなく、安海さんは頭を抱え、とてもわかりやすく取り乱す。劇でもないのにこんなリアクションをする人、初めて見ましたの……あるいは、この人にとっては人生そのものがラフィエラとしての劇なのか。
……安海さんを見ていると、笑えない冗談ですわね……。
「うーん、こうなると思ったから事前には知らせなかったんだけど。念のために言っておくけど、本当に松林さんを連れ去ったら笑い話にできないからやめてね。安海さん、いつもぎりぎりのところでは踏みとどまるって信じているから」
「信頼してくれてありがとうございます! とりあえず、ルミア様と避難先の下見をしてきていいですか!」
「あの、店長……わたくしは身の危険を感じるので、安海さんが落ち着くまで自宅待機したいんですけど」
「ダメダメ、今日も仕事があるんだし。それに、キャストのみんなに伝えたいこともあるからね」
店長は実際に笑うことも眉をひそめることもなく、整った顔に無表情を貼り付けながら続きを口にする。それは安海さんを信頼してのことなのか、あるいは私が自分で何とかすると決め込んでいるのか、若干不安になった。
安海さんがぎりぎりで踏みとどまることは、私も信じたい。けれど、厄介ファンになっている彼女のどこを信じればいいのか。私は椅子を少しだけ遠ざけた。
「最終章については、キャストの意見も取り入れようって思ってるんだよね。演じるのはみんなだから、みんながルミアリエル編をどう締めくくりたいか、しっかり考えてもらえるとありがたい」
「はい! ここからルミア様が逆転し、ラフィエラが断罪されるのはどうでしょう! 実はラフィエラはルミア様を守らないといけないと思い込んで、そのうち不正にまで手を伸ばし、それを見つけたルミア様がどこか悲しげに断罪するんです……ああっ、ルミア様……私のために泣かないでください……!」
「今の安海さん、何が見えているというんですの……」
「うん、普通に却下で」
店長が小さく手を叩いて私たちに促すと、安海さんは一秒が経過するよりも早く提案する。この頭の回転の早さ、劇の時は頼りになるのに……厄介ファンの時は、幻覚まで引き起こすらしい。
無論、店長はばっさりと切り捨てた。その様子は、中世の処刑人ばりに無慈悲……いえ、普通のことですわね……。
「ぬうう……それなら、ルミア様とラフィエラが国外逃亡するのはどうですか! 命を狙われたルミア様を守るため、ラフィエラは嫌われるのを覚悟で連れ出すんです!」
「別の劇で使うには良さそうだけど、今回は却下で」
「ぐぬぬ……じゃあ、二人が異世界転生するのはどうでしょう! こういうのが流行ってるんですよね、私は知ってます!」
「あのね、安海さん。この劇は悪役令嬢のルミアリエルにフォーカスしてるけど、一応、主役はあなたが演じるラフィエラなんだからね? ラフィエラが勝つのはね、このジャンルの既定路線。『誰も求めていないことをやる』のと『斬新な意見を取り入れる』は別だからね?」
「はうぅ……」
「……妥当すぎて何も言えませんわ……」
「でも、安海さんがちょっとかわいそうです……」
安海さんのしょぼくれる顔を見ていると、私は『雨だけど遠足を決行してもらいたいとごねる子供』をイメージした。
頭がよく、なにより……誰よりもルミアリエルの物語を愛する彼女は、取ってつけたような結末だったら別の意味で悲しむだろう。
これまで文句を言うことはあっても、店長の作った脚本をきちんと演じてきた彼女なのだ……その辺は私も信頼している。
……問題は、ルミアリエルへの偏愛がその理性を燃やし尽くさないかどうか、でしょうか……。
ぽつりとつぶやかれた高町さんの優しさに曖昧に頷いた結果、「みんなで署名を集めて抵抗しましょう!」なんて安海さんが駆け寄ってきて、思わず「台無しですわ!?」と叫んでしまった。
*
次の劇の練習は、思いのほかスムーズだった。安海さんはほかのスタッフたちに署名を求めるわけでもなく、私と高町さんの三人でセリフや立ち回りの確認をしている。
……そして、安海さんがちょっと落ち込んでいるくらいのほうが脱線しにくく進行しやすいというのも、少しだけ皮肉に感じた。
「……あの、安海さん。あなたはどうして、そこまでルミアリエルに入れ込みますの?」
「ルミア様、それは『どうしてあなたは酸素が好きで毎日摂取しているの?』という質問でしょうか?」
「聞き方を変えます。わたくしの先ほどの質問に対し、真面目に回答してくださる?」
「そんな、AIに聞き直すみたいな聞き方……」
AIはときどき的外れな回答をするけれど、ルミアリエルを求めているときの彼女は常に幻覚を見ているのかもしれない。
だからきつくならない程度に念を押すと、彼女はしょぼんとしながらも──本当に一瞬だけ──真面目な顔をした。
その時の彼女は、劇中でルミアリエルを慕いつつも対峙する、ラフィエラそのものに見えた。
「……ルミア様は、私の理想なんです。そうあるべき、そうでないといけない、そうあってほしい……」
「……ええと? まあ、その……そんなふうに思われるのは、ルミアリエル役として誇らしい気もします」
秘密の日記の一節を読み上げるように、安海さんはうつむいたまま言葉をこぼした。それを見ていると、私の胸の内で、シャンデリアのガラス片に似た小さな光が、ぱちぱちと瞬いた。
多分それは、演者に対する最大の賛辞なのだろう。ルミアリエルを仕事で演じている私であっても、悪い気はしない。
そんな真っ当な返事をする私を、安海さんは首をかしげつつ見つめてきた。それは人間の言葉を聞き取ろうとする、大型犬めいた仕草だった。
「え? ルミア様は役じゃなくて、今もここにいらっしゃるじゃないですか?」
「は? いえ、わたくしは今は松林留美で」
「……あの、口を挟むようですみません。多分ですけど、安海さんって『ルミア様はルミア様で、ほかの何者でもない』って考えているんじゃないでしょうか……」
「は!?」
「さすが高町さん! 私からルミア様を奪おうとしているだけのことはあります! 渡しませんけど!」
今の安海さんのリアクションは、作り物なんかじゃない。それこそ「松林さん? ああ、ルミア様のニックネームの一つですね」とでも言いたげな……。
「……いや、なんでですの!? わたくし、きちんと自己紹介しましたわよね!?」
「はい! 劇の中で『我が名はルミアリエル・エルネスティーヌ・フォン・ヴァルドシュタイン。覚えておくことです、宿敵』と言われました!」
「そうじゃないんですけど!?」
「……あの、松林さんって……」
そうか、このお店にいるときのわたくしは演じているかどうかに関係なく、ルミアリエルだったのですね。
……なんて言外の指摘に対して、納得できるわけもなく。
「自分だと意識していないかもですけど、安海さんに指摘されるたびに『もっと完璧なルミアリエルを演じている』ように見えるんです……呆れているように見えて、毎回解釈講座につき合っている気が……」
「……!? お、おやめになって! これ以上は自分を見失いそうですの!」
高町さんの指摘に、これまでの自分の言動が次々と蘇る。ルミアリエルに染まっていくような恐怖に襲われ、私は思わず頭を抱えた。
安海さんは「ルミア様! ラフィーはここです!」なんていつも通り両手を広げたけれど、私はお手洗いへと逃げ出すしかなかった。




