第2話「王立白薔薇学院サロン《ラ・クーロンヌ》」
街の喧騒から少し離れた高台に、淡い灰白色で石造り風の本館が見える。私は正門から校舎まで続く銀杏並木の通りを歩きながら、周囲を包む「ごきげんよう」という挨拶に耳を傾けていた。
それだけでなく、「あなた、スカートが少し短いですよ」といった指摘も聞こえる。ふとそちらを見てみると、私と同じ制服……濃紺のノーカラージャケットに白い丸襟ブラウス、灰紫の細いチェックが入ったプリーツスカートを着用した生徒たちがいた。
「松林さん、ごきげんよう。今日も完璧な着こなし、とてもお美しいですね」
「ごきげんよう、春山さん。わたくしも白鷺宮女学院の生徒として、日々恥じないよう気をつけておりますわ」
「まあ、さすがです! 私も見習わないと……」
後ろから歩いてきたクラスメイトは私の横に並び、上品な挨拶と同時に素直な賛辞を向けてくれる。
それはここがいわゆる“お嬢様学校”であることを考えると高度な嫌みにも聞こえるかもしれないけど、学院の掲げる『気品とは、他者への敬意を形にすること』を遵守している生徒が大半なのか、幸いなことにこれまでそういうやっかみとは無縁だった。
だから私も、力を抜いた微笑みで応じる。すると相手も、銀杏の葉を揺らす秋風のように、やわらかく笑った。
「松林さんの話し方、いつ聞いても私を笑顔にしてくれます」
「あら、お恥ずかしい……ここにふさわしい話し方を勉強しすぎたら、すっかりこれが普通になってしまいましたの」
「いいえ、謝ることはありません。ちょっと古風かもしれないけれど、松林さんの振る舞いとマッチしていて違和感もありませんから」
私は生粋のお嬢様ではなく、一般家庭の出身だ。母の希望を叶えるためにこの学院を目指した私は、入学前に「きっとお嬢様学校の皆さんは、こんなふうに話すはず」と、お嬢様言葉まで勉強した。
ところが入学してみれば、この話し方は学院でも珍しかった。まさか、それがアルバイトにまで役立つとは思わなかったけれど。
「……ふわぁ……」
「あら、眠いんですか?」
「あ、また失礼を……アルバイトの翌日は、ほんの少しだけ疲れが残りまして」
「そうですよね、松林さんは特待生ですから……勉学だけでなくお仕事もされているのは大変だと思います。そういえば、アルバイト先はどんなところなんですか?」
「……ええと……」
そよ風に包まれ、葉擦れの音を聞きながら歩いていると、どうしても眠気が顔を覗かせる。ましてや昨日も『ルミア様に言って欲しい30の言葉』なんてものをどこぞの厄介ファン──一人しかいない──に聞かされ、気苦労が重なったのかもしれない。
私は口元を隠すようにあくびを漏らしてしまい、クラスメイトは私のバイト先のことなんて知らないのか、純粋な興味を持って質問してきた。
その際に安海さんの顔が横切って、私のあくびは苦笑いへと生まれ変わる。『厄介ファンの同僚がいる楽しい職場です』なんて、どう説明すればいいんですの……。
「……カフェ店員、ですわ」
「まあ、素敵! 私も家族や友達とたまに行くんですよ。どんなお店ですか?」
「……学院の卒業生が経営していて、勤務時間や安全面も学院に確認いただいているカフェですわ」
「原則アルバイト禁止なのに、きちんと許可を得ているんですね。松林さんらしいです。私も一度、働いてみたいな……」
給料はさておき、コンカフェはおすすめできかねますわね……。
そんな本音を微笑みの裏に隠す瞬間は、終業後に悪役令嬢の格好のまま段ボールを片すときの気持ちに似ていた。その姿にすら、安海さんは「率先して体を動かすルミア様は、きっと下々の存在に模範を見せて従わせるおつもりなんですね……なんたる怜悧さ……」なんて解釈していたけれど。
ともあれ、特待生であっても一般家庭の育ちであれば、私立に通う際に多少の物入りになってしまう。上流階級の子が多い以上、交際費も無視できなかった。
「あ、本日の礼法授業ではワルツを踊るんですよね? 松林さんの華麗なステップ、今から楽しみです」
「ええ、私も春山さんと踊れるのが楽しみですわ」
……だからといって、なんでわたくしはコンカフェを選んだのでしょうか。いえ、お給料がいいからなのですが。
私は悪役令嬢の仮面をひた隠しにしながら、松林留美としてそつなくお嬢様を演じる。これではどちらが演技なのかわからないと考えかけて、「厄介ファンに毒されすぎですわ……」と自戒した。
*
「またあなたですの、ラフィエラ。わたくしは公爵令嬢として、リオネ様と話しているのです。これ以上邪魔をするのであれば、次回の模擬裁定で『聖女を危険に晒し続ける侯爵令嬢』として衆目に晒されることになりますわよ?」
「その場合、私だけでなくルミア様にも疑念が向けられます。聡明なあなたであれば、刃を交えることの不毛さも理解されているはずです」
王立白薔薇学院サロン《ラ・クーロンヌ》の客席は、本日も満員だった。視界の端に映る人々は、さながら夜会での成り行きを見守る貴族たちのようで、誰も彼もがこの一部始終に権力闘争の行く末を見いだしているように思えた。
そして私は今日も、学院の社交サロンに見立てた舞台にてリオネに迫る。面接で即決採用されたほど線の細い高町さんは、乳白色の制服に包まれ、雪よりも白いシルエットを浮かび上がらせていた。
座っているだけで絵になる彼女は、ソファの上で私とラフィエラに挟まれるようにして小さくなっている。その様子は、溶けゆく氷の彫像めいていた。
「フェンシングの試合にて相手へ刃を向けることに、誰が恐れを抱きましょう? あなたこそ、敵との争いを避け続けるだなんて……アストレアの名声も地に落ちましたわね」
「私は……ルミア様を敵だと思ったことはありません。あなたが本当の敵であったのならば、どれほど楽に剣を振るえたことでしょう? あなたは私の“おひい様”、今もあこがれの対象なのです」
「……痴れ者め」
このお馬鹿! 自分の解釈でセリフをアレンジしないでくださいますか!?
そんな本音を隠すように、ぱしんっ、と扇子で手のひらを叩く。しかも台本から過度に逸脱していないのが、手に負えない。もしも私が本物のルミアリエルであったのなら、このラフィエラとしての自然な演技へ同じ感想を抱いたことだろう。
予定調和の短い沈黙を経て、リオネが口を開く。
「あ、あの……ルミアリエル様は、わたしのことを考えてくださっていて……だから、ラフィエラ様もどうか、言い争いは……」
「うふふ、おっしゃるとおり……わたくしはこの国の誰よりも、あなたの身を案じております。あなたが求めてくださるのであれば、公爵令嬢としてだけでなく、勇猛果敢に剣と盾を操る騎士にもなりましょう」
あえてソファを降り、リオネに対してかしずく。私がすっと手を差し出すと、彼女は自分の手を持ち上げかけて、そのまま宙をさまよわせた。
よし、ここまでは劇に乱れなし……内心で頷く。あとはラフィエラがそれを阻止すべく動いて、悪役令嬢とライバル令嬢の対立が深まるはずだった。
「それはさせません……しかし、リオネ様。ご自身の弱さを認めようとするのは立派ですが、それをルミア様に甘えるための免罪符にしてはなりません」
「ひっ……!?」
ラフィエラの次のセリフと表情に、リオネは演劇とは思えないほどの恐れおののきを見せた。
……私だって、同じように声を出したい。主に困惑の。
こともあろうにこの厄介ファンは、阻止の理由に“嫉妬”をこれでもかと織り交ぜていた。それは「ルミラフィ以外のカップリングは解釈違いです」と楽屋で語るときの表情と、とても似ていた。
「ルミア様は正しく、何よりその本質には他者への慈しみがある……ですが、それを他人を支配するための力として振るっている以上、私はリオネ様のために、あなたを止めなくてはなりません。しかしルミア様に憧れている私としては、甘えたくなる気持ちもわかりますが」
「何たる愚かしい言葉……わたくしとリオネ様の親睦を邪魔しただけでなく、勝手にわたくしの理解者ぶるとは。恥を知りなさい、うつけめ」
まずい、まずいですわ……この厄介ファンは、ルミアリエルのことになると休憩時間をすべて使い果たしても語り終えられない……自分で言っていてうぬぼれているみたいだけど、事実なのが実に厄介ファンたる所以だった。
だから立ち上がり、観客の視線を自分に集めるべく、胸に手を当てて演説のようにセリフを吐き出す。そして自分の背中に様々な好奇の視線が集まったことを確認しつつ振り返り、ラフィエラに「これ以上はおやめくださいまし!」と目配せした。
「……これは失礼いたしました。最近のあなたはリオネ様ばかり見ておられるので、ライバルとして面白くなかったのかもしれませんね」
「言わずとも、あなたのことは見ていますわ……最大の仇敵として、ですが」
「まあ、嬉しい」
本当に嬉しそうな顔をするの、やめてくださる!?
そんなツッコミもなんとか堪えながら、私たちは無事に劇を終えた。だけどこの日のチェキは『ルミア様とラフィエラ様がリオネ様を挟んで争う感じで』みたいな、妙に細かいオーダーが多かった気がした。
*
「『ルミア様がリオネ様を取り込もうとしてあいだに挟まるラフィエラ様、いいよね』……ふう、ファンの解釈は自由とはいえ、少し“浅い”意見は困りますよね、ルミア様?」
「今は松林留美なのですが!? 今日もやらかしかけたのに、その『やり遂げました』みたいな顔はおやめになって!」
本日の楽屋も絶賛反省会……とはならなかった。店長は「チェキのオーダーが大きく増えたからね、お咎めなしってことで。安海さんのアレっぷりは松林さんがフォローしてくれたし」なんてさらりと言い放ち、仕事後の厄介ファンは今日も元気だった。
そして今はSNSでの反応をチェックしていて、恒例の『解釈違いチェック』をしていた……ほかにやること、ありますわよね?
「あの劇はラフィエラが挟まっているんじゃなくて、ルミア様とラフィエラのあいだに突如現れたリオネ様が挟まってしまったんですよ。それが結果としてお互いの愛情……失礼、愛憎を増幅させてしまった……よし、このポストに対してリプライしておきましょう」
「それをしたら店長は許してもわたくしがお説教しますわよ!」
「ルミア様に叱ってもらえるんですか!? とんでもないご褒美です……!」
ひとまず辻斬りみたいなリプライは阻止できたけれど、今も「ルミア様の隣に立つのは聖女ではなくライバル」とか「むしろ私はすでにルミア様の半身になっている」などとのたまっていて、私は頭を抱えるしかなかった。
この子、叱られることまでご褒美にするなんて、もしかして無敵なのでは……?
「……松林さんと安海さん、いつも通り仲良しですね」
「まあ、仕事が終われば同僚ですから……いえ、これを仲良しといってもいいのかしら……?」
「……いいと思います。だって私、二人のことを見ていると……う、ううん、なんでもないです……」
「? ええと、うるさかったら言ってくださいね……?」
安海さんはもうダメかもしれません。そんな若干失礼──失礼であってほしい──ことを考えつつ、私たちをじっと眺めていた高町さんと話す。
すると彼女はなにか言いたげに頬を染めて話を打ち切り、それでもちらちらと私たちを見ていた。
……この人は優しいぶん、自分の言いたいことを我慢しがちだから、無理をしていないか今度聞いてみましょう。
そんなことを思っていたら、安海さんに「あ、ルミア様と高町さんの分のお茶を入れますね!」なんて言われ、私は「ルミアリエルが絡まないといい子なのに……」と、逆に残念な気持ちが強まってしまった。




