第1話「劇中劇:悪役令嬢“ルミアリエル”とライバル令嬢“ラフィエラ”」
小さな銀河を連想させるシャンデリアが、磨かれた床にいくつもの花を咲かせる。私が一歩ずつ舞台へと歩みを進めるたび、こつ、こつ、と硬質な音が響いた。
正面を見据えたまま、左右の客席を視界の端に収める。左右には二人掛けのテーブルが広がり、さらには壁際にもベンチ席が設けられているけれど、いずれも人で埋まっていた。
「平民出身のわたしにとって、ここは豊かで、でも冷たく、凍えてしまいそう。皆さんはわたしを“聖女”と慕ってくださるけれど、でも、わたしは……」
正面にある舞台には小さな円卓と二脚の椅子があり、その片方に一人の少女が座っていた。
パールホワイトの長い髪に、丸みのある淡い水色の瞳。乳白色の制服をまとった姿は雪の妖精のように美しいけれど、学院の生徒としてはどこか借り物めいた危うさがあった。
こつっ。音を立て、舞台に上がる。すると彼女は演技というよりも素の反応に近い、小動物のような怯えを一瞬だけ浮かべた。
「お困りのようですわね、聖女様」
「あ、あなたは……ルミアリエル様」
「覚えていただけるなんて光栄ですわ、聖女……いえ、リオネ様」
舞台に上がると同時に、客席の側壁に設置された金縁の大鏡を確認する。姿見も兼ねた小道具は、“悪役令嬢”になりきった私の姿を克明に映していた。
墨色の短いジャケットと灰紫のプリーツスカートは、学生服というよりも軍服のように乱れなく整っている。母親から受け継いだラベンダーシルバーの髪にも乱れはなく、緩やかな波がいつもどおり肩を流れていた。そのおかげで、少し安心できる。
……それにしても。私が悪役令嬢なんて。
「あなたは我が国の象徴、だからこそ周囲から好奇や打算の目を向けられる……それは祖国の未来を憂う人間として、看過できませんわ」
「ですが、聖堂の皆様も……『あなたは聖女なのですから』と……」
「ええ、その通り。ですが、聖女は象徴として掲げられる存在であっても、矢面に立たせる騎士ではありません。ですから」
客席から、息を飲む音だけが届く。
私はリオネの隣に腰を下ろし、手は触れない程度の近くに置いて、うっすらとした笑みを浮かべる。それを見たリオネも、呼吸を忘れたように喉を鳴らした。
……ここまでは順調。あとは……託しますよ、安海さん。
「この瞬間より、わたくしがあなたを庇護いたします。ヴァルドシュタイン家の名において、ルミアリエルがあなたの心痛をすべて肩代わりいたしましょう」
「そんな……わたしは聖女なのに……」
「うふふ、聖女だからこそですわ。あなたはこの国を照らす光でいるため、そのような些事に頭を悩ませることなど」
「お待ちください、ルミア様。聞き耳を立てていたことをまずは謝罪いたしますが、あなたはあまりにも決断が速く、そして人の意思を置き去りにしてしまいます」
打ち合わせ通りのタイミングだ。ハニーゴールドの髪を揺らし、濃紺の制服姿のラフィエラが舞台袖から歩み出す。
意図的に睨むような視線を投げつける。かつてはこんな目をするだけで頬がひくついたものだけれど、今はすっかり慣れてしまった……悪役令嬢に慣れるだなんて、我ながらどうなんでしょうか……。
ともあれ、客席の反応は悪くない。この劇の主演たちが揃ったことで、盛り上がりも最高潮に達しようとしていた。
「……あらあら、アストレアの令嬢ともあろうものが品のないことをしますのね。さすがは、長年我が一族に立ちはだかってきた家系ですわ。ラフィエラ」
「重ねてお詫びします。ルミア様のお声は、どうしても私に届きやすいので。だからこそ、あなたを止めなくてはなりません」
くるりとラフィエラは身を翻し、私たちの前に立つようにして、客席に向かって宣言する。その堂々とした演技は、役者というよりも『ラフィエラとして生まれてきた少女』に見えた。
……だからこそ不安になるのは、『本当のこの子』を知っているからこそなのでしょう……頼みますわよ、本当に。
「リオネ様は守るべき存在です。しかし、本人の意思をないがしろにしたまま周囲が庇護を決めるだなんて、それこそあなたが普段から糾弾している存在と変わらないのではありませんか?」
「笑止。わたくしは一度たりとも、私腹を肥やすために動いたことはありませんわ。そのような輩と違い、わたくしはすべてを掌中に収め、そのすべてに責任を負う覚悟がありますもの。綺麗事を振りかざすあなたとは違うのです」
私も立ち上がり、ラフィエラへ向かい合うように舞台の中央へ歩く。近くで見ると人懐こい猫のような目がきらきらと輝いていて、表情こそ演技にふさわしい真剣なものであっても、私の胸の内では、嫌な予感が薔薇の蕾のように膨らんでいった。
……頼みますわよ……あなたならできますから……!
「……素晴らしい……そうですルミア様、あなたこそ誰よりも正しく、美しい……私の中の名言集がまた更新されました……」
「ちょ……! 今はわたくしを糾弾する場面でしょう!? この“厄介ファン”……!」
薄く開いたラフィエラの口からは、ぎりぎりで客席に届かない程度の、感嘆の声がまろび出てきた。私もそれを諌めるため、舞台にいる人しか聞こえないような声量で注意する。
でも、この厄介……もとい、ライバルの令嬢は「ああっ、ルミア様に怒られちゃいました……!」と浮かんでくる笑みを堪え切れずにいた。どうしてこうなりましたの……。
「ふん、何をにやついておりますの? まさか、すでにわたくしを退けたおつもりで? あなたはいつもそう、へらへら笑って周囲を当たり障りなく取りまとめようとして……気に入りませんわね」
「……うふふ、私のこと、いつも見てくださっているようで嬉しいです。だって私も、ルミア様ばかり見ていますから」
浮かんでくる汗を堪え、あえて大仰に扇子を開き、口元を隠しつつ即興で演技を続ける。するとラフィエラも「あっ」みたいな表情を一瞬浮かべ、台本にあってもおかしくない、それでいて宿敵へ向けるものとは思えないほど好意的なセリフで切り抜けた。
……これも私たちの未熟さゆえのトラブルなのに、客席から「やっぱり、ルミア様とラフィー様はこうでなくっちゃ……」みたいな囁きが聞こえたような……気のせいですわよね。
リオネはそれをはらはらと見守っていたけれど、その姿さえ演技とも素とも取れた。もしかすると、三人のなかで一番自然に見えたのはこの子だったかもしれない。
どうにか本来の台詞へ戻り、三人で最後の一礼をする。降り注いだ拍手は、少なくともお客様にとって、今の騒動が失敗ではなかったことを教えてくれた。
*
「ちょっと安海さん! 先ほどのはなんですの!?」
「なにって……今のシーンは私の資料によると、『聖女に言い寄るルミア様に嫉妬するラフィエラ』ですね」
「あなたの解釈は聞いてませんけど!? あとその分厚い資料、休憩室のテーブルに置くと悪目立ちするからしまってください!」
学院の回廊という名の扉をくぐれば、悪役令嬢の王国は終わる。その向こうにあるのは、休憩用の簡易的な机と椅子が目立つ、ただのアルバイト先だった。
このお店……“コンセプトカフェ”では、表向きの日常要素を徹底して排除している。私たちキャストが届けるのは、あくまでも非日常だ。
だからこそ、脚本には存在しないやらかしをした以上、反省点の共有はしなくちゃいけない。それを目の前の同僚に伝えると、どこからか取り出したお手製の資料──軽く百ページは超えていそう──をめくりつつ頷いていた。
「いいですか? この劇の主役はあくまでもあなた、そしてわたくしは悪役です。となれば、あなたは悪役令嬢を裁くライバル令嬢として、わたくしに対する友好的な態度を出しては」
「ですがルミア様、どう考えても先ほどはあなたのほうが正しいことをおっしゃってました! 私が言うことは正しいだけで人は救えない、それなら悪の謗りを受けても実行するあなたのほうが民衆を助けられるでしょう!」
「わたくしは『そもそもの役割を放棄しないで』と伝えているのですけど!? なんで物語の解釈の話になってますの!?」
「……えっと……まだお客さんもいるから、声の音量は落としたほうが……」
ライバル令嬢役……安海文香さんは真顔で、それでも熱を込めて悪役令嬢を讃える。本当に中世ヨーロッパめいた異世界なら、この会話もひとかどのドラマになっただろう。けれど、ここは現代日本。段ボールと裁縫箱が押し込められ、四人立てば窮屈になる、コンカフェの楽屋でしかない。
安海さんはそんな現実が見えていないかのように、今も『ルミア様の金言ベストセレクション』を語り続け、リオネ役……高町理緒さんは、椅子の上で小さくなりつつも正しい指摘をしていた。
「みんな、お疲れさま。今日もよかったよ……まあ、安海さんはいつも通りアレだったけど。それ込みで盛り上がったってことで」
「店長、アレとはなんですか。私は店長の脚本にこれでもかと目を通して、その上で『ラフィエラはルミアリエルに対して複雑怪奇で重量感のある感情』を持つと判断してですね」
「うーん……ここの仕事を始めてそこそこ経つけれど、世界観に関する解釈をずっと語ってくるのは安海さんが初めてだよ」
「店長、それがわかっているのなら止めてくださいまし……」
「こんなだけど、演技は申し分ないからね。それに、複雑で重い感情っていうのも間違いとは言い切れないから」
このまま悪役令嬢に関する解釈講座で日を跨ぐのではないかと不安になっていたところへ、脚本家を兼任する店長こと、小野田真里奈さんが入ってきた。焦げ茶の長い髪をなびかせる姿は、相変わらず「この人、店長業務よりも役者のほうが向いているような……」と思うくらい整っている。
その性格にもよく馴染む涼やかな声のおかげで、安海さん率いるルミアリエル革命軍──構成員は一人だけ──も少しだけクールダウンした。それでも、口は止まらなかったけれど。
(……本当に、なんでですの……なんでライバル令嬢が、“悪役令嬢の厄介ファン”になってしまったんですの……)
そう、悪役令嬢ことルミアリエルを演じるわたくしのライバル役は……なぜか、わたくしの厄介ファンだったのです。
これはルミアリエルとラフィエラから始まった、私と安海さんの、演劇だけでは終わらない物語。




