第3話 「……撮ってみたい」
探索者協会を出た映斗は、そのまま駅へ向かった。
今日はもう、ダンジョンへ戻る予定はない。いつものように帰りの電車に乗り、空いている席を見つけて腰を下ろす。肩に掛けたバッグの重さを感じながら、映斗はスマートフォンを取り出した。
画面を開けば、いつも見ているダンジョン配信サイトが表示される。普段なら、今日撮った映像を思い返しながら、次の撮影に使えそうな配信を探すところだった。けれど、今日はなかなか画面に集中できない。
『風翔』の四人と一緒にダンジョンへ入るようになってから、もう何年になるだろう。初めの頃は、ただ撮影についていくだけだった。それが少しずつ撮り方を覚え、どうすれば戦っている人間の動きが見やすくなるのかを考えるようになっていった。
今日まで、楽しかった。だからこそ、帰り道に一人でいると、いつもより静かに感じる。
先ほど、玲に言われたことを思い返す。
「カメラマンとして良い映像を撮ろうとするあまり、戦闘中に口を出しすぎている」
そう言われれば、思い当たるところはある。
あそこに立ったほうが玲の動きが綺麗に撮れる。緋奈は今なら魔法を撃ちやすい。拓真が少し右に寄れば、後ろの敵まで画面に入る。そう考えていると、どうしても言葉が出てしまう。
「……楽しかったんだけどな」
映斗はそう呟いて、少しだけ笑った。寂しさがないと言えば嘘になる。それでも、カメラを置くつもりはなかった。良い映像を撮りたいという気持ちは、今日まで何も変わっていない。ただ、今後どうするかは考えなければならない。
映斗はスマートフォンの画面を見つめた。
「これからどうしようかな……」
そう呟いてから、いつものように配信一覧を指でスクロールしていく。その中に、見慣れない配信タイトルがあった。
『Eランク・高尾ダンジョン探索配信』
映斗は何となく画面を止めた。サムネイルには、三人の探索者が映っている。三人ともまだ若い。恐らく二十歳に満たないのではないだろうか。装備も、それほど高価なものには見えなかった。
しかし映斗には、探索者たちよりも気になることがあった。
「これ、ドローンで撮ってるな」
映像そのものは悪くない。ただ、ドローンの動きには限界がある。探索者が動けば追いかけることはできるが、どこを中心に撮れば三人の動きが一番分かりやすくなるのかまでは判断できない。
映斗は画面を見ながら、無意識に頭の中でカメラの位置を変えていた。
大剣を持った剣士の少年が前に出る。その後ろで、魔法士の少女が小さな水の魔法を使う。もう一人、斥候の少女は、二人とは少し離れた位置を動きながら、敵の横へ回ろうとしている。
「……ここ、もう少し寄ればいいのに」
映斗がそう呟いた直後、少年が大剣を振り下ろした。
粗い。けれど、思い切りがいい。
大きな身体を使って振り切る動きには、映像としての迫力があった。その横を、小さな水の塊が飛んでいく。少女の魔法は派手ではない。それでも、敵の動きを止めるには十分な精度がある。さらに画面の端では、もう一人の少女がいつの間にか敵の側面へ回り込んでいた。
「この位置なら、三人とも入るのにな」
映斗は思わず画面を指でなぞった。もし自分が撮るなら、少しだけ前へ出る。大剣を振る少年を中心にしながら、後ろの魔法士も画面へ入れる。もう一人の斥候の動きは、画面の端から外さない。三人が別々に動いているように見えて、実際には互いの動きを補っている。そういう場面を撮るのが好きだった。
やがて画面の中で、三人が一斉に動いた。
大剣が敵を吹き飛ばし、水の魔法が追い打ちをかける。その隙にもう一人が横から入り込み、両手で持っている短剣を振る。
映斗は少しだけ目を細めた。
「もったいない……」
そんな感想が、自然と浮かんだ。
映斗自身、この配信を最後まで見るつもりはなく、そのまま次の配信へ画面を送る。次に表示されたのは、先ほどとは少し雰囲気の違う配信だった。
『現役アイドルのEランクダンジョン探索配信!~Dランクパーティーが完全サポート~』
映斗は何となくその配信を開いた。画面には、四人の探索者が映っている。そのうち一人は、テレビや動画サイトで見かける現役アイドルだった。残りの三人はDランク探索者らしく、装備も先ほどの三人より整っている。映像を見る限り、こちらには人間のカメラマンが付いているようだった。
カメラの動きが自然だ。戦闘が始まると、前衛だけに寄りすぎず、後衛の魔法もきちんと画面へ収める。敵が横から回り込めば、その動きを予測するようにカメラが先に動く。
映斗は少し感心した。自分とは違う撮り方だ。けれど、これは上手い。コメント欄にも、カメラマンについての書き込みが流れていた。
『このカメラマン芸能関係の人なんだよな』
『ライブ撮影とかやってた人だっけ』
『やっぱり動きが違うな』
映斗はコメントを眺めながら、カメラマンの動きを追った。そして、ふと気づく。
「あれ、さっきと同じダンジョンだ」
画面の端に表示された場所を見れば、ここも高尾ダンジョンだった。しかし、先ほど観た三人よりも深い階層にいるらしい。配信画面の表示では、六層。映斗は何気なく画面を見つめた。六階層なら、普段はコボルトが出る階層だ。
予想通り、映像の奥から何体かのコボルトが姿を現す。しかし、その中に一体だけ毛色の違う個体が混じっていた。
黒い。
映斗の目が止まった。
「……ブラックコボルト?」
コメント欄にも、すぐに反応が流れ始めた。
『ブラックコボルト?』
『え、六層だよね?』
『普通、八層に出てくるモンスターじゃなかったっけ』
『なんでここに?』
ブラックコボルトは、通常ならもっと深い階層で見かけるモンスターだ。ただし、六階層に現れること自体が、絶対にないわけではない。迷い込んだ個体。そう考えれば説明はつく。
実際、Dランクの三人は慌てていなかった。前衛がブラックコボルトの攻撃を受け止め、別の一人が横から斬り込む。アイドルの少女も少し離れた場所から攻撃を行い、ほどなくしてブラックコボルトは倒れた。
「びっくりしました! さっきの、普通のコボルトと色が違いましたよね?」
「ああ、ブラックコボルトだ。普段はもう少し下の階層にいるんだけどな」
「そうなんですね……。でも、皆さんがいてくれてよかったです!」
アイドルが胸を撫で下ろすと、探索者の一人が軽く笑った。コメント欄はさらに流れていく。けれど、映斗は画面から目を離さなかった。
このブラックコボルト、何かがおかしい。何がと言われるとはっきりとは分からないが、どこか違和感が拭えない。そう感じながら見ていると、配信はそのまま七階層へ進んだ。
七階層に入った直後だった。今度は、ブラックコボルトが一体ではなかった。
「また……?」
画面の奥から、何体もの黒い影が現れる。探索者たちも、さすがに表情を変えた。しかし、それだけではなかった。暗い通路の奥から、別のモンスターが姿を現した。
鹿に似た姿。頭から伸びた角は、三日月のように湾曲している。
コメント欄が一気に流れる。
『はっ!? ルナホーンディア?』
『七層で出るっけ?』
『出ない。こいつは九層』
ルナホーンディア。七階層で見かけるモンスターではない。やはりこのダンジョン、いつもと何かがおかしい。
画面の中では、ルナホーンディアが角に魔力を集めており、次の瞬間、角の先から魔法が放たれた。真っ直ぐ飛んできた攻撃に対し、探索者たちは左右へ散ることで回避する。だがどこか、攻撃そのものが荒い気がした。狙いも正確ではない。
しかし、映斗は別のところを見ていた。
「……?」
ルナホーンディアが、こちらへ追撃してこない。探索者たちの間を抜けて上の階層へ行こうとする。
「なんだ?」
探索者の一人が声を上げる。別の一人が追いかけるように武器を振り、走り去ろうとするルナホーンディアを倒した。ついでに、ブラックコボルトも危なげなく討伐する。
ところがその直後、奥からさらに二体のルナホーンディアが現れた。
探索者たちを見つけると、先ほどの個体と同じように角へ魔力を集める。魔法攻撃が飛んできて、それを探索者たちが左右へ避ける。そしてその二体もまた、追撃するわけでもなく、彼らの間を通って上の階層への階段に向かって駆け出そうとする。
しかし、一体は倒された。もう一体は、そのまま探索者たちの横を抜けていった。
画面から消える。探索者たちは一瞬、追うべきか迷ったようだった。映斗も画面を見つめたまま動かなかった。
「……あの、今のモンスター、私たちから逃げていきませんでした?」
「そう見えたな」
「でも、どうして……? 何かから逃げてるんでしょうか?」
アイドルの問いに、探索者たちはすぐには答えなかった。映斗も画面を見つめたまま、先ほどの光景を思い返していた。
さっきから、何かがおかしい。モンスターが増えている。普段とは違うモンスターも出ている。そしてあのルナホーンディアは、探索者たちを倒そうとはしていなかった。
「なぜか上に行こうとしてる……」
映斗は画面を見つめた。探索者たちは六階層から七階層に降り、そして今は八階層へ向かっている。
「……下で、何か起きてる?」
もちろん、確証はない。ただ、映斗の中では少しずつ一本の線につながり始めていた。配信画面の中では、コメント欄が異常な勢いで流れていた。
『これどうなってんの?』
『ブラックコボルト多くない?』
『ルナホーンディアがこっちスルーして逃げるの意味わからん』
『さすがに何かのイベント?』
そして、画面の端に表示された視聴者数が、少しずつ増えていた。探索者の一人が、その数字を確認する。
「……結構、増えてるな」
「マジ?」
「さっきからずっと増えてる」
誰かが笑う。
「じゃあ、もうちょっと行ってみるか?」
「でも、これ……」
迷う声が返ってくる。危険かもしれない。それは彼らも分かっている。それでも、今ここで戻れば、この異常が何なのかを知ることはできない。何より、これまでにない光景を見ている視聴者がいる。
「八層までなら、まだ大丈夫だろ」
しばらくして、探索者たちは進むことを選んだ。映斗は画面を見つめたまま、何も言わなかった。そして、配信画面が八階層へ切り替わる。
おかしかった。八階層まで来たというのに、モンスターがほとんどいない。さっきまであれほどいたブラックコボルトの姿もなければ、ルナホーンディアの姿もない。
「……なんで?」
探索者たちも、さすがにこの光景には驚いていたが、警戒しつつ通路を進む。静かだった。あまりにも静かで、足音だけが妙に大きく聞こえる。
そのときだった。
画面が、わずかに揺れた。最初は気のせいに思えた。だがすぐにもう一度、地面が震える。
ドスン……。
さらに一度。
ドスン……。
今度は明らかだった。
「地震?」
「ダンジョンの中で?」
探索者たちが周囲を見回す。揺れは少しずつ大きくなっていった。
壁が震える。天井から細かな砂が落ちてくる。カメラマンも足元を確認しながら、カメラを構え直していた。
次の瞬間。
「グオォォォォォォォォォォォ――ッ!!」
凄まじい咆哮が、ダンジョン全体に響き渡った。直接体にビリビリと電流が流れるような、けたたましい咆哮に、探索者たちが耳を塞ぐ。
「おいおいおい、さすがにこれはやばいんじゃねぇ!?」
探索者の一人が顔に焦りを浮かべ、ダンジョンの奥の暗闇を見つめる。
その直後、暗闇の奥から巨大な影が飛び出してきた。何かから逃げるように、こちらへ向かって駆けてくる。
やがて、その姿が明らかになった。通常のルナホーンディアよりも明らかに巨体。頭部から伸びた角もルナホーンディアとは比べ物にならないほど大きく、月のように湾曲している。
その姿を見た瞬間、三人の探索者が息を呑んだ。
「キングルナホーンディア……?」
探索者の一人が呟いた。それは本来、高尾ダンジョンの十階層にいるはずのダンジョンボス。もちろん映斗も知っている。そして、画面の中の三人も知っているようだった。
「なんでここにいるんだよ……」
「でも、こいつなら……」
恐怖だけではない。三人の動きに、戦うための覚悟が見えた。どうやらこの三人は、キングルナホーンディアと戦ったことがあるようだ。十階層まで到達したことがあるDランク探索者なら、当然なのかもしれない。
「だ、だ、大丈夫なんですかっ!?」
ただ一人、このパーティーで戦闘経験の浅い現役アイドルだけが状況をつかめず、目の前の巨大な敵に圧倒されている。
「大丈夫だ! キングルナホーンディアなら過去に倒したことがある!」
Dランクの探索者たちが武器を構える。同時に、カメラマンも距離を取る。そのとき、キングルナホーンディアがもう一度、低い唸り声を上げた。
探索者たちの表情が変わった。
「……待て」
「何?」
「こいつって、あんな凄まじい咆哮をあげるようなモンスターじゃ――」
言い終わるより先に、暗闇の奥から別の光が走った。
一瞬だった。炎が一直線に走り、キングルナホーンディアの身体に直撃し、巨大な身体が吹き飛んだ。
「ひゃっ!?」
突如、目の前で起こったとてつもない光景に驚いたカメラマンが、持っていたカメラを落としてしまう。鈍い音がしてレンズにヒビが入り、画面の半分は暗転してしまった。
しかし、配信は続いている。半分しか見えなくなった映像の中では、地面に叩きつけられたキングルナホーンディアが一度だけピクリと身を震わせ、光の粒子となって消えていた。
「……え?」
誰かの声が漏れた。
「何だよ、今の……!」
「さ、さっきのおっきいモンスター、ダンジョンボスなんですよね!?」
Dランク探索者たちとアイドルの焦りに満ちた声が聞こえる。カメラは地面に落ちたまま、炎が飛んできた暗闇を映し続けていた。
――ドスンッ! ドスンッ!
フロアに、先ほどよりも大きく鋭い地鳴りが響き、地面が揺れる。その暗闇の向こうから、何かが姿を現した。
最初に見えたのは、二つの赤い目だった。続いて、巨大な影が現れる。まだ身体の一部しか見えていない。それでも、先ほどのキングルナホーンディアよりも大きいことだけは分かった。
「やべぇ! 逃げるぞ!!」
「急げ! 絶対止まるな!」
探索者たちは体を翻し、来た道を全速力で駆けだした。一目散に、後ろは振り返らない。
――その刹那、暗闇の中から再び炎が放たれた。
轟音。画面が大きく揺れる。落ちたカメラにも炎が届き、映像が白く染まり、ノイズが走る。そしてそのまま画面が暗くなり、そこで途切れた。
けれど、配信そのものは終わっていない。コメントだけが、凄まじい勢いで流れ続けていた。
『今の何!?』
『ボス一撃?』
『カメラ落ちた!?』
『誰か見えてた?』
『キングルナホーンディア倒したの、何だよ』
『まだ配信切れてないぞ』
『みんな大丈夫なの!?』
映斗はスマートフォンを持ったまま、しばらく動かなかった。頭の中では、今見た映像が何度も繰り返されている。
六階層にいたブラックコボルト。七階層へ現れたルナホーンディア。上へ向かおうとしていたモンスターたち。八階層にほとんどモンスターがいなかったこと。そして、十階層にいるはずのキングルナホーンディア。最後に現れた、見たことのない何か。
「……なんだ、今の」
答えは出ない。配信はまだ続いている。けれど、映像はもう何も映していなかった。
映斗は真っ暗になった画面を見つめる。普通なら、怖いと思うのかもしれない。未知のモンスター。それも、キングルナホーンディアを一撃で倒すほどの存在だ。探索者として考えれば、近づきたくない。けれど、映斗の中にあったのは、それとは少し違う感情だった。
見たことがない。知らない。
だからこそ、もっと見てみたい。
もしあれを、ちゃんとカメラで撮ることができたら。どんな姿をしているのか。どう動くのか。どんな攻撃をするのか。そして、あのとき何が起きていたのか。
映斗は、暗い画面を見つめたまま、小さく呟いた。
「……撮ってみたい」
自分の中で、カメラマンとしての好奇心が昂るのを感じる。そのとき、車内アナウンスが流れた。
『まもなく高尾、高尾。お出口は左側です』
映斗は顔を上げた。高尾ダンジョンは、もうすぐそこだ。しばらく画面を見つめたあと、映斗はスマートフォンをしまい、席を立った。




