第2話 思いがけぬ宣告
休憩スペースに入ってから、しばらく誰も口を開かなかった。
いつもなら、探索を終えた直後でも誰かが今日の戦闘について話し始める。玲が次の探索について口にすることもあれば、緋奈が今日の魔法について振り返ることもある。拓真が装備の確認をしながら、それに短く返すこともあった。
けれど、今日は違った。
映斗は少し離れた椅子に腰を下ろし、膝の上に置いたバッグを見つめていた。さっきまでダンジョンにいたせいか、身体にはまだ疲れが残っている。それでも、眠気があるわけではない。何となく、落ち着かなかった。
玲たちも同じなのだろうか。
そう考えていると、向かいに座っていた玲が顔を上げた。
「……今後の話をしよう」
静かな声だった。玲は一度、全員の顔を見回してから続ける。
「今日、二十層のボスを倒した。思ってたより苦戦もしなかったし、俺たちはもっと上を狙えると思う」
映斗は黙って聞いていた。
「奥多摩ダンジョンは二十五層まである。もちろん、最後まで攻略する。そこまでの実績を積めれば、Aランク昇格試験を受けるための条件も整ってくる」
Bランクの探索者として活動してきた中で、Aランクという言葉は何度も聞いてきた。それは、簡単に届くものではない。ただ強いだけではなく、より深いダンジョンでの実績や、継続した活動によって積み上げてきた評価も必要になる。奥多摩ダンジョンの完全攻略も、そのための大きな実績の一つになるはずだった。
「配信のほうも、最近は登録者が増えてるしな」
玲がスマートフォンを取り出し、画面を眺める。
「最初の頃とは比べものにならない」
「そうですね」
映斗も頷いた。
実際、最近の配信は以前より多くの人が見てくれるようになっていた。今日のように二十階層まで進み、フロアボスとの戦闘を配信できるようになったのも、パーティーが強くなったからだ。強いモンスターと戦えるようになり、より深い階層へ進めるようになった。戦闘そのものも以前より激しくなっている。映像を撮る側としても、撮影できるものが増えているのは嬉しかった。
「でも、理由は分かりやすい」
玲がスマートフォンから顔を上げる。
「俺たちが強くなったからだ」
「……そうですね」
映斗は素直に答えた。
「前より強いモンスターと戦えるようになりましたし、今日も二十層のボスを倒せましたから」
玲は小さく頷いた。
「だから、これからももっと上を目指せると思ってる」
そこで一度、言葉が途切れた。映斗は玲を見る。玲は何かを考えるように視線を落としてから、ゆっくり口を開いた。
「……そもそも、配信をやろうって言い出したのは俺だ。お前に声をかけたのも、そのときだった」
「はい」
映斗が答えると、玲は小さく息を吐いた。
「お前の撮影が悪いって言ってるわけじゃない。ちゃんと撮れてるし、今まで問題もなかった」
それは映斗にとって、少し意外な言葉だった。少なくとも、撮影について不満があったわけではないらしい。
「ただな……最近、ちょっと気になることがある」
玲の視線が鋭くなり、映斗に向いた。
「お前の指示だよ」
「指示……ですか?」
玲は椅子の背もたれに身体を預けた。
「お前、良い映像を撮ろうとすると、黙っていられないだろ」
映斗は少し考えた。
「……そう、ですかね?」
「そうだよ」
玲は苦笑するように言った。
「今まで何度も見てきた。撮りたい場面があれば、少しでも良い位置に持っていこうとする。危ないところがあれば、そこにも口を出す」
「それは……」
映斗は言葉を探した。
「良い映像を撮るためには、必要なことなので」
「だからだよ」
玲の声から笑みが消えた。
「お前に黙ってろって言っても、たぶん無理だ。俺たちだって、お前が何か言ったら無視できない」
映斗は黙って玲を見た。自分としては、あくまで撮影のために必要なことを伝えているだけだ。どこから撮れば戦闘が見やすいか。どのタイミングなら魔法と剣の動きが重なり、迫力のある映像になるか。モンスターの位置をどうすれば画面の中に収められるか。それを考えているうちに、危ない場所にいる仲間へ声をかけることもある。それはカメラマンとして当然のことだと思っていた。
「今日だって、拓真さんがグレイウルフに後ろを取られたとき、俺が伝えなかったら危なかったと思います」
「たしかに、あれは助かった」
拓真が静かに口を挟んだ。玲も頷く。
「それも分かってる」
「だったら――」
映斗が何かを言いかける。けれど玲は、その言葉を遮るように続けた。
「でも、それとこれとは別だ」
玲は真っ直ぐに映斗を見ていた。
「お前の言ってることが間違ってるとは思ってない。実際、助かった場面もある。ただ、これから先も上を目指すなら、俺たちは俺たちのやり方で戦いたい」
その言葉の意味を、映斗はすぐには理解できなかった。
「……俺たちのやり方……?」
「そうだ」
玲は少しだけ間を置いた。
「戦闘中に何をするかは、俺たちで決めたい」
緋奈が黙って腕を組み直した。
「私だって、自分で考えて魔法を撃ってる。自分の魔法のことくらい、自分が一番わかってる」
それまで黙っていた緋奈が、少し苛立ったように言う。
「今とか、まだとか言われると、こっちだってやりにくいんだけど」
「……すみません」
映斗は反射的に謝った。自分としては、魔法を撮影しやすいタイミングを伝えているだけだった。けれど、それが緋奈にとっては余計な指示になっていたらしい。
「だからって、戦闘中は黙ってろっていうのも違うと思うんだ」
玲が言った。
「お前は良い映像を撮ろうとすると、どうしても口を出す。それは今まで一緒にやってきたから分かってる。だが、俺たちはお前の操り人形じゃない」
その言葉を聞いて、映斗はようやく玲の考えていることが見えてきた。
「……そういうことですか」
玲は少しだけ視線を落とし、そして、静かに言う。
「……だから、俺たちはカメラマンを変えようと思ってる」
「っ……」
その言葉を予想していなかったわけではない。それでも、実際に聞かされると、映斗は一瞬、何を言われたのか分からなくなった。玲はそんな映斗を見ながら、続ける。
「別にお前の撮影が悪いって話じゃない。そこはさっきも言った通りだ。ただ、これから先も上を目指すなら、俺たちは俺たちのやり方で戦いたい」
「……」
「だから、次の探索からは別のカメラマンに頼む」
映斗は何も言わず、玲を見つめた。不思議と、怒りは湧いてこなかった。ただ、頭の中にぽっかりと穴が開いたような感覚だけが残っている。
そのときだった。
「私は、その……」
灯里が小さな声を出した。
玲が灯里を見る。灯里は一度だけ映斗に視線を向け、それからすぐに目を伏せた。
「映斗さんには、残ってもらったほうが……いいんじゃないかなって」
玲が尋ねる。
「どうして?」
「うまく、言えないんですけど……」
灯里は少し言葉に詰まった。
「映斗さんの指示があったほうが、魔法の支援がしやすい感じがして……」
それだけ言うと、灯里はまた視線を落とした。映斗はその言葉を聞きながら、何か言おうとして口を開いた。しかし、直前まで出かけた言葉を止める。
自分にも言いたいことはあった。けれど、それを口にしたところで、玲たちの考えが変わるわけではない。映斗は小さく息を吐き、その言葉を飲み込んだ。
「……俺が、出過ぎていたんだと思います」
映斗はそう言って、少しだけ笑った。
「カメラマンとして、もっと良い映像を撮りたいって考えすぎてました。みんなの戦い方まで変えてしまっていたなら……すみません」
誰からも、答えは返ってこなかった。
映斗は自分のバッグに目を向ける。この数年間、何度も一緒にダンジョンへ入った。撮影機材を準備して、探索者たちの後ろを歩き、戦闘が始まれば一番良い場所を探した。
楽しかった。今日の探索だって、撮影そのものは楽しかった。だからこそ、少し寂しい。
それでも、ここで何かを言い続けるつもりにはなれなかった。
「今までありがとうございました」
映斗が立ち上がる。灯里が顔を上げた。
「映斗さん――」
「これからも、頑張ってください」
灯里が何かを言いかけたが、映斗はそれを遮り、軽く頭を下げる。
これで、このパーティーと一緒にダンジョンへ入ることはもうないのだろう。そう考えながら、バッグを肩に掛け、休憩スペースを出た。
扉が閉まる。
しばらくの間、誰も口を開かずに、映斗が出ていったその扉を見つめていた。




