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第1話 カメラマンの仕事

 探索者協会の受付を出たところで、山陰 映斗(やまかげ えいと)は小さく息を吐いた。

 

 今日の撮影は、かなり良かった。


 いつものように撮影機材を確認しながら、そう思った。カメラ本体に目立った傷はない。レンズも問題なさそうだ。長時間の撮影だったが、バッテリーにもまだ余裕がある。


 映斗が所属しているBランクパーティー『風翔(ふうしょう)』のメンバーたちは、剣士(アタッカー)でありリーダーの高城 玲(たかじょう れい)を先頭に、映斗の少し先を歩いていた。


 玲は何も言わず、手にしていた装備をまとめ直している。盾士(タンク)の御堂 拓真(みどう たくま)も黙ったまま荷物を整理していた。魔法士(メイジ)の橘 緋奈(たちばな ひな)はスマートフォンを眺めているが、画面を見ているというより、ただ視線を落としているだけに見える。


 支援士(プリースト)の月島 灯里(つきしま あかり)だけが、何度かこちらを振り返っていた。目が合うと、灯里はすぐに視線を逸らした。その反応を受け、映斗は少しだけ首を傾げる。


 疲れているのだろうか。


 今日は二十層のフロアボスを相手にしたのだから、無理もない。帰還後の手続きも終わったばかりだ。自分も少し疲れている。そう考えながら、映斗はカメラをバッグへ収めた。


 ふと、今日撮った映像のことが頭に浮かぶ。


 あの場面は良かった。玲さんが踏み込んだ瞬間と緋奈さんの魔法が重なったところは、かなり綺麗に収まっているはずだ。拓真さんがグランドウルフの動きを受け止めたところも悪くない。


 ただ、一か所だけ。もう少しだけ、早く動けていれば。


 映斗はそんなことを考えながら、今日の探索を思い返した。



◇ ◇ ◇



 数時間前。


 東京に存在し、二十五層からなる指定ランクB級『奥多摩ダンジョン』の、十九層から二十層へ続く階段を、四人の探索者と一人のカメラマンが下っていた。


 先頭を歩くのは拓真だった。大きな盾を背負い、その腰には片手剣を差している。続いて玲、緋奈、灯里が進み、最後尾を映斗が歩いていた。


 階段は緩やかに下へ続いている。壁面には淡い光を放つ鉱物が点在しており、足元を照らしていた。


 映斗はカメラを構え、前方を歩く四人を画面に収めている。配信はすでに始まっていた。画面の隅には視聴者数とコメントが流れている。今日は二十層のフロアボス討伐が目的ということもあり、普段よりも視聴者は多い。


 『20層きた』

 『今日ボス戦か』

 『玲たちなら普通にいけそう』

 『緋奈の火力楽しみ』


 玲が前を向いたまま口を開いた。


「もうすぐだ」

「あぁ、そうだな」


 拓真が短く返す。


「二十層まで来ると、さすがに雰囲気違うね」


 緋奈が壁を見上げた。フロアボスのいる階層に入る前の独特な空気を感じ取っているのか、少しだけ声が弾んでいる。


 灯里はその後ろで小さく頷いた。


「はい。……でも、今日は二十層のフロアボスを倒して帰るんですよね」

「その予定だ」


 玲がそう答えると、緋奈が少し意外そうに眉を上げた。


「珍しいじゃん。玲が欲張らないなんて」

「二十層を攻略できれば十分だ。無理して進むのも良くないしな」


 軽く笑った玲の横顔を、映斗はファインダー越しに追った。画面の中で四人が自然に並んでいる。長く一緒にいるだけあって、歩く速度も距離もほとんど揃っていた。


 やがて階段が途切れ、視界が一気に開ける。二十層は、これまでの階層とは明らかに違っていた。


 円形に近い巨大な空間が目の前に広がっている。天井も高く、壁際まで視線を伸ばしても、その先に通路らしいものは見えない。ここには普通の探索路がない。フロアボスのためだけに用意された空間だ。


 映斗はカメラをゆっくりと動かした。


「広いな」


 玲が呟く。


「これなら動きやすい」


 拓真が盾を手に取った。緋奈も右手に持つ杖を握り直す。赤みを帯びた髪が揺れ、視線だけが広い空間を走った。灯里は三人から少し離れた位置に立った。


 そのときだった。低い唸り声が、洞窟全体に響いた。


 映斗は反射的にカメラを向ける。奥の暗がりから、灰色の影が一つ、二つと姿を現した。


 グランドウルフ。


 二メートルを超える巨体の狼型モンスターが、こちらを睨んでいる。その後ろから、さらに一体が姿を現した。


 三体。


 映斗は画面の中に三体すべてを収める。玲が剣を抜いた。


「来るぞ」


 グランドウルフが地面を蹴った。最初に飛び込んできた一体を拓真が盾で受け止める。大きな衝撃音が響き、拓真の身体がわずかに後ろへ流れた。その横を玲が抜ける。風をまとった剣が、グランドウルフの前脚を狙って振り抜かれた。巨体が身を捻る。


 緋奈の手元に赤い光が集まり、そのまま火球となって飛んだ。炎が狼の横腹をかすめ、灰色の毛を焦がす。


 戦いが始まった。映斗は少しずつ後ろへ下がりながら、ファインダーの中で四人の位置を確認していく。


 拓真が前。玲が右。緋奈が少し後ろ。灯里はさらに後方。


 悪くない。ただ、グランドウルフの一体が玲を追って右へ寄りすぎている。このままだと、緋奈が狙いにくい。映斗は少しだけ身体をずらした。


「玲さん、もう少しだけ下がってください」


 玲が一瞬だけこちらを見る。映斗はカメラを動かしながら、続けた。


「その位置なら、緋奈さんが入ります」

「分かった」


 玲が半歩下がった。その瞬間、緋奈の炎が横から滑り込む。グランドウルフが身を捻って避けたため、炎は完全には当たらなかった。それでも玲の前から外れたことで、画面の中では二人の動きが重ならず、それぞれの攻撃がはっきりと見える。


 映斗は少し満足した。


 今のはいい。


 カメラを持ったまま、さらに位置を変える。戦闘中のカメラマンにとって、立つ場所は重要だった。近すぎれば全体が見えない。遠すぎれば迫力がなくなる。誰かの背中が別の誰かを隠してしまうこともある。だから、動く。戦っている四人の動きを見ながら、自分が次にどこへ行けばいいのかを瞬時に判断する。


 それだけだ。


 グランドウルフが咆哮した。身体を覆う魔力がわずかに乱れ、動きが変わる。映斗はファインダーの中でそれを捉えた。この動きは知っている。体力が減ってくると、あの攻撃が来る。


 グランドウルフの口元が開いた。


「拓真さん、左です」


 映斗の声に拓真が反応した。ほとんど同時に、グランドウルフの口から石礫が吐き出される。大量の小石が弾丸のように飛び、拓真の盾を激しく叩いた。


 映斗のカメラには指向性の強いマイクが取り付けられており、前方の音を拾う代わりに、横や後ろから入る音はかなり抑えられる。映斗は撮影位置と声の向きにも気を遣っているため、カメラの背後から発する自分の声が配信に乗ることはほとんどなかった。


 コメント欄には、戦闘の様子だけが流れている。


 『拓真うまい』

 『今のブレス受けるのすげえ』

 『玲いった!』


 映斗はコメントをちらりと確認して、すぐに視線を画面へ戻した。グランドウルフが一体、拓真の正面から離れた。別の一体が玲へ向かう。もう一体は緋奈のほうへ回ろうとしている。


 映斗はカメラを動かした。


「緋奈さん、まだです」

「はいはいっ!」


 少し苛立ったような声が返ってくるが、映斗は気にせず画角を調整した。


 緋奈が魔法を放つには、もう少しだけ待ったほうがいい。今撃てば玲の動きと重なる。次に玲が踏み込むタイミング。その直後なら、炎の軌道まできれいに入る。


 映斗はその瞬間を待った。


「……今です」


 炎が走った。玲の剣とほとんど同時にグランドウルフへ叩き込まれる。爆ぜた炎の向こうで、玲が身体を回転させた。灰色の巨体が大きく吹き飛ぶ。映斗は思わずカメラを追った。


 いい。

 今の一連は、かなり綺麗に撮れたはずだ。


 だが、次の瞬間、別の唸り声が響いた。今度は一つではない。遠くから複数の鳴き声が重なった。映斗がカメラを向けると、暗がりから小型の狼が次々と姿を現した。


 グレイウルフ。

 

 グランドウルフのような巨体はない。それでも数が多い。玲が舌打ちした。


「チッ……。子分が湧いてきやがった」

「後ろからも来ます!」


 灯里の声が響く。拓真が振り返り、盾を構えた。


 戦場が一気に広がった。グランドウルフが玲と緋奈を狙い、グレイウルフがその隙を突こうと周囲から入り込んでくる。


 映斗はカメラを動かした。忙しい。けれど、こういうときほど、どこを映すかが重要になる。画面の中に四人を入れながら、敵の位置も確認する。


 右。左。後ろ。映斗の視線が動いた。


 一体のグレイウルフが、こちらへ回り込もうとしている。距離は近い。カメラを下ろしている暇はない。映斗はほんの少しだけ身体を引いた。


 グレイウルフが飛びかかる。その身体が画面の端を横切った。映斗はカメラを持ったまま半身になり、伸びてきた爪をかわす。次の瞬間には、もうグレイウルフの姿はなかった。


 映斗は何事もなかったようにカメラを戻した。画面の中では、玲がグランドウルフと斬り結んでいる。


「玲さん、右です」

「分かってる!」


 映斗の声に反応し、玲が踏み込んだ。風が弾ける。剣が振り抜かれ、グランドウルフの巨体が崩れた。映斗はその瞬間を逃さず追いかける。


 今度は、かなり良い。


 玲の背後から緋奈の炎が抜け、拓真が別のグレイウルフを盾で弾き飛ばしている。その奥では灯里の光が三人の身体を包み、動きが一段軽くなっていた。


 映像としては申し分ない。ただ、映斗の視界の端で、別の影が動いた。グレイウルフが一体、拓真の背後へ回り込んでいる。


「拓真さん、後ろです」


 拓真が振り返った。盾が間に合う。グレイウルフの牙が盾へ食い込み、拓真がそのまま押し返した。


「助かる!」


 その声に安堵し、映斗はカメラを少し引いた。


 戦況は落ち着き始めている。グランドウルフは残り一体。グレイウルフも、いつの間にか数が減っていた。玲が最後の一体へ向かい、緋奈が炎を構える。


 映斗は二人の位置を見た。


「緋奈さん、少しだけ待ってください」

「……分かったわよ」


 玲が踏み込み、風をまとった剣がグランドウルフの足元を捉えた。


「今っ!」


 その瞬間、緋奈の炎が重なる。大きな爆発音が洞窟に響いた。


 炎が消えたあと、グランドウルフは地面へ倒れていた。遅れて、周囲に残っていたグレイウルフも倒れていく。騒がしかった空間が急に静かになった。


 映斗はカメラをゆっくりと動かした。四人とも立っている。大きな負傷はない。


 玲が剣を下ろし、長く息を吐いた。


「終わったな」

「うん」


 緋奈が髪をかき上げる。拓真は盾についた傷を確認し、灯里は三人の様子を順番に見ていた。そのとき、倒れたグランドウルフの身体が光の粒子となって浮かび上がった。するとその場所へ、小さな石が転がる。


 魔石だ。


 同時に、少し離れた場所の床が淡く光った。やがて光が収束し、二つのものが現れる。一つは、さらに下へ続く階段。もう一つは、淡い光に包まれた円形の魔法陣だった。


 転移ゲート。


 玲がそちらを見る。


「今日はこれで終わりだな」


 拓真が頷いた。


「あぁ、そうだな」


 今日の目的は達成した。倒したグランドウルフの近くへ移動し、玲たちが魔石を拾っていく。グレイウルフの小さな魔石も一つずつ回収していく。その間も配信は続いており、視聴者からは討伐を喜ぶコメントが流れ続けていた。


 『おつかれ!』

 『20層突破おめでとう』

 『今日の戦闘よかった』

 『玲の最後かっこよかった』


 映斗はコメントを見ながら、画面を少しずつ動かした。


 玲が最後の魔石を拾い上げる。


「これで全部っと」


 玲は立ち上がり、そして、カメラを見る。いつものことだった。配信の最後には、玲がカメラへ向かって締めの言葉を言う。


 映斗はカメラを玲へ向けた。しかし、玲はすぐには笑わなかった。


 ほんの一瞬だった。口元は動かず、視線だけがカメラの横を通り過ぎる。その先にいる映斗を見たようにも見えた。何かを考えているような、困っているような、あるいは苛立っているような。


 映斗には、その表情の意味までは分からなかった。ただ、珍しい顔だと思った。


 次の瞬間には、玲の顔にはいつもの笑みが浮かんでいた。


「というわけで、今日は二十層のフロアボス討伐まで無事に終わりました。これから帰還します。今日も最後まで見てくれてありがとう。また次回!」


 画面の中で玲が手を上げる。


 映斗は配信を終了した。同時に、カメラの表示が切り替わる。それだけで、周囲の空気が少し変わった気がした。


 玲の笑顔が消える。緋奈も何も言わない。拓真は黙って荷物を持ち上げ、灯里は一度だけ映斗を見た。


「じゃあ、戻るか」


 玲が短くつぶやいたその言葉は、静かな空間にやけに響いた気がした。


 映斗はカメラをバッグへしまいながら、今日の撮影を頭の中で振り返る。


 最後の戦闘はかなり良かった。特に玲と緋奈の攻撃が重なった場面は、配信映像としても見応えがあるはずだ。だが次は、もう少しだけ早くカメラを動かせるかもしれない。そうすればもっと迫力のある映像が撮れる。


 そんなことを考えながら、映斗は転移ゲートへ向かった。四人の背中を追う。いつもと同じように。


 淡い光が、五人の身体を包み込む。

 次の瞬間、二十層の広い円形の空間から、五人の姿が消えた。


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