第18話 高尾ダンジョンの主
十階層へ続く階段を降りきった映斗たちは、目の前に広がる光景に足を止めた。
これまでの狭い岩の通路とは違い、そこは天井の高い広大な空間だった。むき出しの岩肌が周囲を囲み、床には大小さまざまな亀裂が走っている。奥の壁まではかなりの距離があり、これまで探索してきた階層とは明らかに雰囲気が違っていた。
そして、広間の中央より少し奥に、一頭の巨大な鹿が立っていた。銀白色の毛並みは薄暗い空間でも不思議なほど鮮やかで、頭部には大きな三日月型の角が生えている。九階層で戦ったルナホーンディアとよく似ていたが、体格も角の大きさも比較にならない。静かにこちらを見据える姿には、神秘的な美しさと、近づきがたい威圧感が同居していた。
「……あれが、キングルナホーンディアか」
「大きいね。さっきのやつとは全然違う」
「見た目に騙されないで。あの角、かなり厄介そうよ」
岳の隣で凛花が短剣を抜き、瑞希もボスから目を離さずに答える。映斗はカメラを構え直し、広間の様子を確かめた。これだけ広ければ三人の動きを追いやすいが、相手の体が大きい分、近づきすぎると全体が画面に収まらない。まずは少し距離を取って撮影することにした。
「山陰さん、俺たちから離れててくださいね」
「はい。皆さんも気をつけてください」
岳が大剣を構えて一歩前へ出ると、それを合図にしたかのようにキングルナホーンディアが頭を低く下げた。
次の瞬間、巨体が地面を蹴った。
「来るぞ!」
岳が横へ跳ぶ。巨大な角が先ほどまで彼の立っていた場所を通り過ぎ、猛烈な勢いで岩壁へ迫った。しかし、ボスは壁に衝突する寸前で脚を踏ん張り、巨体を強引に反転させる。蹄が岩の床を削り、耳障りな音が広間に響いた。
「うわっ、止まれるのかよ!」
岳が大剣を振り上げたときには、すでにボスの頭がこちらへ向いていた。反撃を諦めて距離を取る岳の横を、凛花が素早く駆け抜ける。
「こっちもいるんだけど!」
側面へ回り込んだ凛花が後脚を狙う。しかし、キングルナホーンディアは首を大きく振り、三日月型の角で彼女を牽制した。
「っと、危ない!」
凛花が身を引いたところへ、瑞希の放った水弾が飛び込む。圧縮された水の塊はボスの肩をかすめ、銀白色の毛を散らしたが、巨体はほとんど揺らがなかった。
「硬い……!」
瑞希が顔をしかめる。その間にも、キングルナホーンディアは角の中央へ淡い光を集め始めていた。
「魔法が来る! 散れ!」
岳の声に三人が左右へ散開する。直後、角の間から一直線に魔力の光が放たれた。轟音とともに光が岩壁へ突き刺さり、砕けた岩片が広間に飛び散る。映斗はとっさに身を低くし、飛んできた小石を避けながらカメラを構え続けた。
九階層でも同じ攻撃を見たが、威力がまるで違う。壁に残された傷は深く、まともに受ければ無事では済まないだろう。
「こいつ、思った以上に速いぞ!」
「しかも、全然隙がない!」
二人が距離を詰めようとすると、ボスは素早く向きを変えて角を突き出した。瑞希も水弾を続けて放つが、巨体に見合わない身のこなしで急所への直撃を避けられてしまう。
映斗は三人の動きを追いながら、カメラの向きを細かく調整した。岳が正面で攻撃を引きつけ、凛花が側面から迫る。瑞希は二人の動きに合わせて魔法を放っていた。三人の連携は、青梅ダンジョンで初めて撮影したときよりもずっと滑らかになっている。それでも、ボスの動きが速すぎて決定的な一撃につながらない。
そんな攻防が何度か続いたあと、キングルナホーンディアが大きく後退した。角の中央に、再び魔力が集まっていく。
「また来るぞ!」
岳が声を上げ、三人が射線から離れようとした。だが、今度の攻撃は先ほどとは違った。
角から放たれた光が正面の岩壁を打ち抜いた直後、キングルナホーンディアが頭を横へ振ったのだ。魔力の光が、その動きに合わせて広間を薙ぎ払う。
「えっ、こっちまで来るの!?」
凛花が慌てて後方へ跳んだ。岳も大剣を構えて身を引き、瑞希は前方に水を集中させて迫る光を迎え撃つ。魔力の光と水がぶつかり、激しい衝撃が広間に響いた。
瑞希の水魔法は攻撃の勢いをわずかに弱めたものの、完全には止められない。三人は次々と後退し、凛花は岩壁の近くまで追い込まれた。
「くっ……!」
「凛花、大丈夫か!」
「平気! でも、あれはちょっと反則でしょ!」
ボスは魔法を放ち終えると、再び地面を蹴った。体勢を立て直す間もなく突進を受け、岳は大剣の腹で角を受け止める。強烈な衝撃が腕から肩へ伝わり、靴底が岩の床を滑った。
「ぐっ……重い!」
瑞希が横から高圧の水流を放ち、凛花も反対側から飛び込む。二人の攻撃を嫌ったボスが距離を取ったところで、岳は大きく息を吐いた。
「助かった……!」
「このままじゃ、こっちが先に疲れるわ」
「分かってる。でも、あの魔法をどうにかしないと……」
三人の表情には焦りが浮かんでいた。映斗も唇を引き結び、カメラを握り直す。これほど激しく動く相手を撮影するのは簡単ではない。特に厄介なのが、あの広範囲魔法だった。
ボスが正面から光を放つと、岳たちは画面の左右へ逃げてしまう。魔法の迫力は十分に撮れるものの、肝心の三人が映らなくなってしまうのだ。せっかくのボス戦なのに、これではもったいない。
映斗は次の攻撃に備え、カメラを少し横へ向けた。魔法を放つボスと、それに立ち向かう三人を同じ画面に収めるには、どうすればいいだろう。考えながら岳の位置を目で追い、ふと思いついたことを口にした。
「岳くん! 次は横から攻めてください! その方がいい画になります!」
「えっ、横からですか!?」
「はい! お願いします!」
「分かりました!」
岳は大剣を構え直し、ボスの側面へ向かって走り出した。映斗もそれに合わせてカメラを動かす。岳が横から入ってくれば、ボスの大きな角も、そこへ集まる魔力も、同じ画面に収められるはずだ。
キングルナホーンディアが再び角に光を集め始めた。岳は正面を避け、円を描くように側面へ回り込む。ボスは彼を追うように体の向きを変えかけたが、魔力の光が放たれた瞬間、その動きが止まった。
「……ん?」
岳が小さく声を漏らす。
ボスは頭を横へ振り、広間を薙ぎ払うように光を動かしている。しかし、その間、四本の脚は地面を踏みしめたままだった。岳がさらに側面へ移動しても、巨体は向きを変えない。
「そうか……!」
岳の表情が変わった。
「瑞希! 凛花! 魔法を撃ってる間、こいつ動けないぞ!」
「本当!?」
「だったら、今のうちに回り込める!」
凛花がすぐに反応し、光の届かない側からボスの後方へ走った。瑞希も射線の外へ移動し、両手を前に出して魔力を集め始める。
魔力の光が岩壁を削り、激しい音を立てる。ボスは首を振って攻撃を続けているが、脚は動かない。広間の端まで光を薙ぎ払おうとする間に、凛花は後脚へ届く距離まで近づいていた。
「凛花、今だ!」
「任せて!」
凛花が低い姿勢で踏み込み、後脚へ短剣を振るった。刃が食い込み、キングルナホーンディアの巨体がわずかに傾く。ボスは魔法を止めて振り返ろうとしたが、その前に瑞希の声が響いた。
「今度はこっちよ!」
瑞希の前方から、細く絞られた高圧の水流が勢いよく放たれた。水流はボスの肩を捉え、銀白色の毛並みを切り裂いていく。
キングルナホーンディアが苦しげな声を上げた。大きく体をよじって二人を振り払おうとするが、傷ついた後脚が思うように動かない。
それを見た岳が、地面を強く蹴った。
「これで……終わりだ!」
両手で握った大剣を頭上へ振り上げ、ボスの首元へ一気に振り下ろす。重い一撃が命中し、キングルナホーンディアの巨体が大きく揺れた。
ボスはなおも踏みとどまろうとしたが、傷ついた後脚が折れるように沈み、ついに岩の床へ倒れ込んだ。
岳はすぐに大剣を構え直した。凛花も距離を取り、瑞希は次の魔法に備える。三人が警戒を解かないまま見守る中、銀白色の毛並みが淡い光を帯び始めた。
やがて、その輪郭が崩れ、無数の光の粒となって宙へ消えていく。
あとに残されたのは、床に転がる大きな魔石だけだった。
「……倒した?」
凛花が息を切らしながら呟く。岳は大剣を下ろし、魔石を見つめたまま動かなかった。瑞希も構えていた両手を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。
そして、岳が大きく拳を握った。
「よっしゃあああ! 勝ったぞ!」
「やったー!」
凛花が勢いよく駆け寄り、岳の肩を叩く。瑞希も二人のところへ歩いていくと、ほっとしたように笑みを浮かべた。
「本当に……よかった。最後はちょっと危なかったけど」
「瑞希の魔法もすごかったぞ!」
「凛花が脚を止めてくれたからよ」
「えへへ、もっと褒めてもいいんだよ?」
三人が笑い合う姿を、映斗は少し離れた場所から撮影していた。さっきまでの緊張が嘘のように、三人の表情は明るい。岳は大剣を肩に担ぎ、凛花は両手を上げて喜んでいる。瑞希も、普段よりずっと柔らかい表情を見せていた。
映斗も自然と頬が緩んだ。戦闘そのものも迫力があったが、苦戦を乗り越えて喜ぶ三人の姿も、きっと良い映像になるだろう。
「山陰さん!」
岳がこちらへ振り返った。
「さっきはありがとうございました! 横から攻めたら、あいつが動けないことに気づけたんです!」
「えっ、そうだったんですか?」
映斗は少し驚いた。自分としては、横から攻めてもらった方が撮影しやすいと思っただけだった。実際、最後の連携は三人の動きがよく見える、満足のいく映像になったはずだ。
「はい! 山陰さんのおかげです!」
「いえ、倒したのは皆さんですよ。それに、最後の攻撃はかなり格好よく撮れたと思います」
「本当ですか!?」
「はい。編集するのが楽しみです」
「私も見たいです! 完成したら見せてくださいね!」
「もちろんです、凛花さん」
凛花が嬉しそうに笑い、岳も満足そうにうなずく。その横で瑞希が、床に落ちた魔石へ目を向けた。
「それじゃ、魔石を回収しようか」
岳が魔石へ歩き出した、そのときだった。広間の中央に、淡い光が浮かび上がった。
「あ、転移ゲート!」
凛花の声に、映斗はカメラを向けた。光はゆっくりと円を描き、床に複雑な紋様を浮かび上がらせていく。やがて、直径三メートルほどの円形の魔法陣が完成した。
淡い光に包まれた転移ゲートが、静かに輝いている。
映斗は少し角度を変えながら、その様子を撮影した。戦闘の痕跡が残る岩の床に、整った円形の紋様が浮かんでいる。光の強さも一定ではなく、紋様の一部がゆっくりと明滅していた。
「これで帰れるな」
岳は床に落ちていたボス魔石を拾い上げた。手のひらに収まりきらないほどの大きさがあり、九階層までに手に入れた魔石とは明らかに違っていた。
「これで二つ目ね」
「ああ! 青梅と高尾、両方のボス魔石がそろった!」
岳の声が弾む。
映斗もカメラを少し下げ、三人の顔を見た。青梅ダンジョンを攻略したときから、彼らが目指していたDランク。そのために必要な二種類のボス魔石が、ついにそろったのだ。
「やっとDランクになれるね!」
「まだ協会に提出してないでしょ」
「分かってるって! でも、もう嬉しくてさ!」
凛花の言葉に瑞希が笑い、岳も大きくうなずいた。
「じゃあ、早く戻ろうぜ!」
「ええ。魔石もそろったし、協会で手続きしないとね」
三人が転移ゲートへ向かう。映斗は最後にもう一度、広間を振り返った。さっきまでキングルナホーンディアが立っていた場所には、もう何も残っていない。岩壁には激しい戦闘の痕跡が刻まれ、広間の中央では転移ゲートが淡く輝いていた。
映斗はその光景を数秒だけ撮影し、録画を止める。
「山陰さん、行きましょう!」
「はい、今行きます!」
岳に呼ばれ、映斗も転移ゲートへ足を踏み入れた。淡い光が視界を包み、足元の感覚が一瞬だけ曖昧になる。次に目を開けたときには、四人は高尾ダンジョンの入口付近へ戻っていた。
外の空気を感じた岳が、大きく伸びをする。
「よし! それじゃ、協会に行こうぜ!」
「うん! 早く行こう!」
「慌てなくても、魔石は逃げないわよ」
瑞希の言葉に岳と凛花が笑う。映斗もつられて笑いながら、カメラバッグを肩に掛け直した。
今日も、いい映像が撮れた。
バッグの中には、キングルナホーンディアとの激しい戦闘も、勝利を喜ぶ三人の姿も収められている。帰ったら、まずは映像を確認しよう。どの場面を使い、どうつなげれば三人の戦いが一番よく伝わるだろうか。
そんなことを考えながら、映斗は探索者協会へ向かう三人のあとを追った。
読んでいただきありがとうございます。
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