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家族ではない私に、一族の約束だけ覚えていろとおっしゃるのですか  作者: 九葉(くずは)


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第八話 娘に戻れと言われても

認証式の朝、ミレイユは銀の名紐を衣装の内側へ収めた。


家系図へ戻すためではない。今日、証言官として読み上げられる名が、自分のものだと確かめるために。


王立証言院の大証言室には、半円形の席が三段並んでいる。中央には王妹シャルロット。左右に上級証言官と法務官。来賓席にはヴァレ侯爵、アルノー、ローデン子爵家の三人が座っていた。


父と目が合う。


エドガールは立ち上がりかけ、式官に制されて座り直した。母エレーヌは扇を持っていない。セレネは膝の上に白い紙を置き、自分の名と今日の日付を書いている。


ミレイユは控えの間へ戻った。


ベルナール院長が候補者名簿を確認している。黒い正装の胸元に、証言院の銀章。机の上には式次第と青い証言札が一枚ずつ置かれていた。


「ご家族から、式中に申し立てを行いたいと申請がありました」


「承知しています」


「受けますか」


認証式の申し立ては公の記録へ残る。父が何を謝り、何を求めるか。ミレイユが答えを拒んだことも消えない。


「受けます」


「途中で中止できます」


「はい」


ベルナール院長は中止を勧めなかった。答え方も教えない。


「私が話せなくなった時だけ、式を止めてください」


「止めます。その後に続けるかどうかは、あなたが決めてください」


その約束を、ミレイユは青い札へ記した。話せなくなったと判断するのは院長ではなく、自分。欄外へ小さく補う。


扉の向こうで開始の鐘が鳴る。


大証言室へ入ると、客席の空気が動いた。


以前なら、誰がどの噂を知り、どの言葉に傷ついたかまで拾っただろう。今は足元の白い石を数える。中央まで十二歩。


式官が名を読み上げた。


「証言官候補、ミレイユ・ローデン」


遠縁の記録係ではない。


ローデン家の長女とも呼ばれない。


一人の候補者として、自分の名だけが高い天井へ返った。


王妹シャルロットが問いを始める。


「証言とは、他者の記憶を国へ差し出す行いですか」


「いいえ。本人が定めた範囲を、定めた目的に限って言葉へする行いです」


「撤回によって国が不利益を受ける時は」


「不利益を説明し、再考を求めます。本人の意思を奪う理由にはいたしません」


「あなた自身の記憶を、家族や所属先が所有すると主張した場合は」


客席で父の肩が動いた。


ミレイユは青い証言札へ自分の署名を置く。


「私の同意がない限り、誰にも渡しません」


王妹は頷いた。


上級証言官が職務規程を読み、銀章を運ぶ。式は滞りなく進んだ。


最後の署名前に、ベルナール院長が式次第を閉じる。


「申し立てが一件あります。候補者は聴取に同意しています」


父が立った。


同じ場所で、以前は娘を遠縁と紹介した。今日は王妹、証言官、ヴァレ侯爵家の前で、自分の言葉を使う。


「申し立ての前に、私から話させてください」


母も立ち上がった。


父が振り向く。母は夫の許可を待たなかった。


「私が先に話さなければ、またこの人の言葉の後ろへ隠れます」


声は震えていない。母は来賓席を出て、証言台の手前まで進んだ。


「ミレイユ」


呼びかけられ、ミレイユは母を見る。


「あの日、あなたの名を家系図から外すと決めた時、私は反対しませんでした。あなたなら分かってくれる。セレネのためなら耐えてくれる。そう考えました」


言葉の途中で、母は父を見なかった。


「その夜、私はあなたを愛していると泣きました。朝になれば忘れると知って、あなたに覚えさせました」


母の両手が空のまま重なる。


「あの朝、黙ったのは私です。愛しているという言葉まで、娘に働かせました」


大証言室は静かだった。


ミレイユは、母の謝罪を感情ごと覚える。今日の母が、自分を主語にして最後まで話したことも。


「ローデン子爵夫人。お言葉は受け取りました」


母の顔に痛みが浮かぶ。それでも、母とは呼び直さなかった。


エレーヌは一礼し、来賓席へ戻る。セレネが母のために場所を空けた。


次に父が証言台の前へ立った。


「ミレイユ。私は、お前が残した札を読んだ」


「はい」


「二十年分すべてではない。それでも、私たちが何を忘れ、何をお前から返されていたか数えた」


父は一枚の青い朝札を取り出した。六歳のミレイユが書いた、父が誕生日へ帰れなかった朝の札。


「私はこれを読み、謝ったはずだ。その後、謝れる父親だと思って生きてきた。お前が悲しみまで言葉にしてくれたことを、一度も仕事として数えなかった」


札を持つ指が下がる。


「家を守るためだと言って、お前を家族から外した。外した後も、家族だから務めを果たせと命じた。矛盾していると分かった」


父の言葉は、これまでより遅い。誰かが次を整えるのを待たず、自分で選んでいる。


「お前は私の娘だ。家系図も公的記録も訂正する。遠縁と紹介した者へは、私から謝罪する」


客席の一部が動いた。父が最も守ろうとした信用が、今ここで本人の口から修正されている。


「二十年を返すことはできない。だが、これからは私たちが自分で記録する。お前へ朝札を求めない」


セレネが白い紙を持ち上げた。そこには今日までの謝罪が、自分の文字で続いている。


母も頷く。


父は一歩、ミレイユへ近づいた。


「ミレイユ、今度こそ娘として戻ってほしい」


その声に、命令はなかった。


父は謝った。母も自分の沈黙を認めている。セレネは仲介を求めず、自分で記している。


変わろうとしているのだろう。


ミレイユは証言台から一歩降りた。


父の顔に、かすかな安堵が広がる。話が届いたと思ったのだ。娘が近づいた。家族の名を認めた。謝罪も受け取った。


もう一歩進めば、父の手が届く距離になる。


ミレイユはそこで止まった。


「ローデン子爵様」


父の安堵が消えきる前に、視線を合わせる。


「家族ではない私に、一族の約束だけ覚えていろとおっしゃるのですか?」


父の口が開く。


「違う。もう記憶を求めているのではない。私はただ、お前に家族として」


「私も、記憶だけのお話をしているのではありません」


声を強くする必要はなかった。


「私は二十年、皆様の昨日を返しました。私の昨日を尋ねる人がいなくても、役に立てば家族でいられると考えていました」


青い証言札を机へ置く。


「遠縁と紹介されたことで、その考えが違うと分かりました。私は家族だったから覚えたのではありません。覚え続ければ、いつか家族として選んでもらえると思っていたのです」


父は札を持ったまま動かない。


「今、選ぶと言っている」


「はい。ですが、私はもう、その選択を待っていません」


王妹の席から衣擦れの音がした。上級証言官たちは誰も書く手を止めない。今日の言葉は、ミレイユが明朝に返さなくても公の記録へ残る。


アルノーは父を見ている。ヴァレ侯爵は、外した手袋を膝へ置いたまま。セレネは紙に何も書き足さず、姉の返事をそのまま受けていた。


ベルナール院長は証言台の横に立っている。


代わりに断らない。父へ正論を加えない。ただ式次第を閉じたまま、ミレイユの言葉が終わるまで待っている。


父が最後に頼んだ。


「一度だけ、家へ来てくれないか。お前の部屋も、名も戻す。何もさせない。ただ、家族としてやり直す機会を」


条件が減っている。


それでも、求めているのは帰ることだった。父が変わったと証明する場所に、ミレイユの姿を置くこと。


彼らが自分で築き直すなら、ミレイユはその証明にならない方がよい。


「皆様が変わろうとなさることを、私は否定しません」


父が顔を上げる。


ミレイユは母とセレネにも目を向けた。


「謝罪されたことも、今日の言葉も覚えています。忘れたふりはいたしません」


胸の内側で、銀の名紐が衣装へ触れた。


父は札を下ろした。母は立ち上がらず、セレネも姉を呼ばない。


ミレイユの呼吸は、十二歩を歩いてきた時より深く入った。


王妹シャルロットが記録官へ合図する。


「ローデン家の信用認証は保留とします。呪いを理由とした処分ではありません。家族自身が、記録と同意の仕組みを作り、娘の労働を前提とせず約束を守れると示した後、再審査します」


父は反論しなかった。


爵位は残る。家も領地も失わない。ただ、ミレイユから借りていた信用は、今日ここで返された。


王妹はミレイユへ向き直る。


「あなたは認証を続けますか」


「はい」


ベルナール院長が式次第を開く。


ミレイユは証言台へ戻り、最後の署名をした。銀章が胸元へ留められる。


家族の名を消した跡を埋める印ではない。自分で選んだ仕事の名だ。


式官が認証の完了を告げる。


ミレイユは父へ向き直った。


父の期待はもう残っていない。それでも謝罪を取り消さず、立っている。


だからこそ、返事も変えない。


「お詫びは受け取ります。ですが、私は戻りません」

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