第4話 売られる順番
モルデンの指が台帳の上を降りていった。
頁の左端に、番号が並んでいた。指はその番号を一つずつ押さえ、止まり、また下へ滑った。
ロウは檻の格子のあいだから、その指を見ていた。
モルデンの隣に、買い手が一人立っていた。
痩せて、背の高い男だった。檻の子供を見るとき、顔ではなく、腕と肩を見ていた。
モルデンは台帳を開いたまま、買い手に何かを言っていた。日付。場所。ロウに読めない言葉。
ロウに読めるものは、番号と、日付の数字と、印章の形だった。
指がロウの番号で止まった。
ロウは自分の番号を知っている。檻の子供は、自分の番号だけは覚える。
番号の横に、日付があった。明日の日付だった。
その横に、印章が一つ。黒い、潰れた虫のような形。ロウはその形を覚えていた。二日前の夜、檻の前に来た買い手の印だった。
明日、ロウはあの男に引き渡される。
台帳の上では、それは番号と、日付と、虫の形だけだった。
買い手が檻の奥へ目を移した。
ガロを見ていた。
ガロは熊系の半獣で、檻の子供のなかでいちばん体が大きい。買い手の目がガロの腕と肩で止まった。
買い手がモルデンに何か言った。モルデンは台帳の頁をめくり、ある行を指で叩いた。
それから、その行の日付を別の数字に書き換えた。
ロウには、書き換えられた数字が読めた。
ガロは檻の奥にいた。台帳を見ていない。何が書き換わったのかも、知らない。
買い手の目が、もう一度ガロの腕で止まった。
ガロの引渡しが早くなっていた。
グレムが檻の戸の鍵を開けた。
鍵束には、鍵が五つと、小さな鈴が一つついていた。グレムは戸を開けた。腰の鍵束を外して、戸の横の壁の釘に掛けた。
グレムが檻の奥へ入っていった。ガロのところへ。
ガロは動かなかった。
体は大きい。グレムより重い。それでも、ガロは壁に背をつけたまま、動けなかった。
グレムがガロの腕をつかんだ。
ガロの足が後ろの桶に当たった。
桶が倒れた。水がこぼれ、桶が石の床を転がっていった。
桶は壁に当たって止まった。戸の横の壁だった。
その衝撃で、壁の釘が震えた。釘に掛かった鍵束が揺れた。
小さな鈴が鳴った。
ロウはその音を聞いた。
桶の音ではなく、鈴の音を。鈴が戸からどれだけ離れて鳴ったか。壁のどのあたりで鳴ったか。
ロウはそれを覚えた。
ミラは別のものを見ていた。
ミラは猫系の半獣で、檻の中でいちばん静かに動けた。桶が倒れた音に、誰もがそちらを見た。グレムも、モルデンも、買い手も。
その隙に、ミラは鍵束を見ていた。
鍵が五つ。鈴が一つ。鍵の頭の形まで、ミラは見ていた。
グレムがガロを引き起こした。
ガロは抵抗しなかった。引かれるまま、戸口のほうへ何歩か歩いた。
ロウは動かなかった。
だが、ガロは連れていかれなかった。
買い手はガロの腕をもう一度つかみ、離した。それだけだった。モルデンが台帳の新しい日付を指で示すと、買い手はうなずいた。
引渡しは、台帳の数字の日だった。
グレムはガロを檻の奥へ押し戻した。
モルデンが台帳を閉じかけた。
その前に、キールが見ていた。
キールは人間の子供で、檻の中では珍しかった。半獣ではない。なぜ檻にいるのか、ロウは知らない。
キールの目が台帳の開いた頁を追っていた。左から右へ。文字を追う目の動きだった。
キールの唇がわずかに動いた。声は出なかった。出かけて、止まった。
ロウはキールの目がどの行にあるかを見た。
その行の番号を、ロウは読めた。ロウ自身の番号だった。
キールはロウのほうを見なかった。台帳から目をそらし、檻の壁を見た。
ロウはキールが字を読めることを知った。
モルデンが台帳を閉じた。買い手と一緒に、檻の前から離れていった。
グレムが戸の釘から鍵束を取り、戸を閉めて、鍵をかけた。
鈴が鳴った。
◇
桶の水はまだ床に残っていた。
夜になっても、誰も拭かなかった。拭く布はなかったし、拭いたところで床は乾かない。水は石のくぼみに溜まったまま、薄く光っていた。
ガロは檻の奥にいた。膝を抱えると、肩の大きさだけが余った。
檻の奥で、咳がした。乾いた咳。間はまた少し短くなっていた。
ミラがロウの隣に来た。
「鍵は五つ」とミラは言った。声をひそめもしなかった。「鈴が一つ」
ロウは答えなかった。
「鈴ね」ミラはもう一度言った。「あれ、親切なんだよ。鍵を持ってる奴が、自分の鍵がどこにあるか、いつでも分かる」
ミラの指が自分の膝の上で、何かを押さえるように丸まった。
「持ってない奴にも、分かるけどね」
ガロが奥から小さな声を出した。
「……桶、ごめん」
誰に言ったのか、はっきりしなかった。檻じゅうに言ったようでもあったし、自分に言ったようでもあった。
ガロがもう一度言った。
「動けって、思ったんだ」
声が震えていた。
「思ったのに、足が」
ミラが肩をすくめた。
「足は賢いよ。逃げ場のないときに動いても、損なだけだから」
ガロを慰めているようにも、慰めていないようにも聞こえた。
ロウは檻の壁ぎわにいるキールのところへ行った。
「お前、字が読めるな」
キールは答えなかった。それが答えだった。
「さっき、俺の番号の横を読んだ」
キールは膝の上で手を組んだ。組んだ手を見ていた。
「読んでない」とキールは言った。
「読んだ」
キールはしばらく黙っていた。それから、小さく言った。
「読めると、知らなくていいことまで知る」
言葉はそれだけだった。組んだ手の指が白くなっていた。
ロウはそれ以上は訊かなかった。
知りたかったのは、横の言葉の意味ではなく、キールが字を読めるかどうか、それだけだった。
読める目が一つあった。
夜になり、檻に灯りが落とされた。
ロウは横になって、足音を聞いた。
巡回の足音は覚えている。グレムの歩き方、間隔、戻ってくるまでの時間。ロウはそれを、自分の中の時計にしていた。
その夜、足音が一つ多かった。
グレムの足音のあとに、知らない足音が続いた。重さが違う。間隔も違う。
二日前に子供が一人売られてから、巡回が変わっていた。
ロウの時計が少し狂った。
ロウはモルデンの台帳を思い出した。薄かった。いまいる子供の分しか、あの厚さには入らない。
ロウの前にも、番号はあった。売られて、消えた番号が。それは別の場所にある。
檻の奥の壁の向こうから、ときどき乾いた紙の匂いがした。インクと、埃。モルデンはそこから台帳を持って出てくる。
事務室だ。
明日、ロウの木札は釘から外される。
ロウは床に耳をつけた。
床下の水音はまだそこにあった。だが、今夜は、その音がどこへ流れているかを聞いた。
音は事務室のある側で太くなっていた。水は檻の下から、そちらへ流れている。




