第13話 銭の重さ
腹は、もう何度か黙っていた。
ロウは、市場の縁の建物の影にいた。
夜は、路地裏の子供たちの隙間に身体を入れた。誰も名前を聞かなかった。ロウも、誰の名も聞かなかった。
何日が過ぎたのか、ロウは数えなかった。
その朝、市場の音が、いつもより多かった。
市が立つ日だ、と路地の子供の一人が、誰にともなく言った。ロウはその声で、市が立つ日だと知った。
商人たちは、布の上に物を並べていた。
野菜。乾いた魚。古い金具。子供の靴。それぞれに、声がついていた。
「三枚」
「半分でいい」
「同じ値段だ、まけられない」
数字が、空気の中を飛び交っていた。
ロウは、自分が知っている値段を思い出した。
檻の中で、ロウたちは値段だった。子供一人につき、銀貨何枚、銅貨何枚。
その値段は、動かなかった。買い手が声を荒げても、モルデンの指は台帳の上で止まらなかった。
ここでは違った。
同じ乾いた魚が、向こうの店では二枚、こちらの店では三枚だった。声をかけるたびに、値段が少しずつ形を変えた。
ロウは、市場の縁を歩いた。
人が多かった。足音は重なって読めなかった。それでも、肩と腰の高さは見えた。
買う者は、立ち止まる。歩く者は、立ち止まらない。
財布を握る者は、肘を内側に寄せる。
ロウは、肘を寄せていない子供を見つけた。
その子は、籠を抱えていた。籠の中に、銅貨が幾枚か入っていた。手を入れずに歩いていた。
人混みの隙間で、銅貨が一枚、籠から落ちた。
ロウは、足を出さなかった。
足を出せば、銅貨を踏むことになる。踏めば音が変わる。音が変われば、誰かが見る。
子供は気づかずに歩いていった。
ロウは、銅貨が地面に落ちたまま、しばらく見ていた。それから、しゃがんで、銅貨を拾った。
冷たかった。少し重かった。
ロウは、銅貨を握って、食い物の店の前に立った。
板の上に、固いパンが積んであった。一つ、二つ、三つ。
ロウは、銅貨を一枚、店主の前の板に置いた。
店主は、銅貨を見た。それから、ロウを見た。
ロウは、パンを指した。
店主が笑った。
大きな笑いではなかった。だが、周りの客が振り返るには十分だった。
「一枚かよ」
「半分でも四枚だ。パンを指すな」
足が動かなかった。
客の視線が、首と肩に当たっていた。
「あの子」
「耳」
ロウは、銅貨を板の上に残したまま、振り返って走った。
走って、また路地に入った。
息が荒くなった。腹が、久しぶりに鳴った。
ロウは、しばらく動かなかった。
銅貨は、店主の板の上に置いてきた。
一枚では、パンに届かなかった。
一枚を出すと、笑われた。笑われると、見られた。
見られれば、捕まる。
それも、値段のうちだった。
息を整えてから、ロウは、もう一度、市場の縁に戻った。
今度は、影の中から、商人たちの手を見た。
銭が動いていた。
布の上で、銀貨と銅貨が、いくつも積まれては減り、減っては積まれていた。
商人たちは、銭を見ずに数えていた。指の腹で、縁をはじき、重ね、分けた。
そのあとで、声を出した。
ロウは、その指の動きを見ていた。
よく売れる店では、銭が長く布の上にいなかった。
客の手から商人の手へ。商人の手から、小さな箱の中へ。
売れない店では、銭は布の上で長く光っていた。
ロウは、その違いを見た。
檻で見ていたのは、印章だった。
ここで動いているのは、銭だった。
どちらも、手が先に動いた。
ロウは胸に手を入れた。
頁があった。濡れていない。
ロウの指が、黒い印と赤い印の上をなぞった。
商人の手を見たあとだった。ロウは、自分の手が同じように何かを確かめていることに気づいた。
頁を、胸に戻した。
その日の夕方、ロウは別の場所で、もう一枚の銅貨を手に入れた。
店の前ではなかった。市場の閉じる時間に、踏まれて泥に押し込まれていた銅貨を、爪の先で掘り出した。
爪の間に泥が入った。
二枚になった。
ロウは、手の中で銅貨を握った。二枚なら、板の上に置いてもいい気がした。
だが、ロウは置かなかった。二枚でも、笑われる気がした。
ロウは、銅貨を布の奥に入れた。
胸ではない。頁の場所ではない。腰の布の、別の折り目だった。
頁の場所には、頁だけを置く。
それだけは、檻の外でも変えなかった。
夜が来た。
ロウは路地裏に戻った。子供たちの隙間に身体を入れた。
二枚で、たぶん、明日のパンの欠片が買える。
命は、一日伸びる。
門は、少しも動かない。
手の中で銭は重かった。
その重さでは、鍵にならなかった。




