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第11話 鼠だけが通る

水が、ロウを外へ吐き出した。


肩が泥に沈んだ。膝も沈んだ。指のあいだにも泥が入った。


下水の本流が、街の縁で泥になって終わる場所だった。


ロウは咳をした。水を吐いた。もう一度咳をして、もう一度吐いた。


喉の奥に、檻の水の味が残っていた。


肩が痛んだ。鉄格子に擦った傷だ。


布が裂けて、肉が見えていた。血はもう止まっていた。乾いた泥が、傷の縁にこびりついていた。


ロウは胸に手を入れた。


頁があった。濡れていない。


それだけ確かめて、手を抜いた。


身体を起こした。膝が震えた。腹に力が入らなかった。


それでも四つ這いで、泥から這い出した。


泥の先は、崩れた石段だった。誰かが昔ここに来て、それから来なくなった場所だった。


ロウは石段を上がらなかった。石段の脇に身体を寄せた。


鼠は、石段の上を通らない。脇を通る。


それから、空を見た。


空は、ロウの上で薄く明るくなりかけていた。


雲は低く、灰色がかっていた。星はもう見えなかった。鳥はまだ鳴かなかった。


天井がなかった。


それが、ロウを立たせなかった。


檻の中では、天井は低く、湿って、黒かった。それが屋根だった。


ここには、屋根がなかった。


ロウは、屋根のない場所の怖さを、初めて知った。


耳を澄ました。


足音はあった。多すぎた。


何人の足が、どの方角に、どの速さで動いているのか、ロウには数えられなかった。


檻の足音は、いつも数えられた。


グレムの足音は一つ。子供たちの足音は、数で分かった。


ザハルの足音は、聞こえないことで分かった。


ロウは耳を地面に近づけた。


それでも、足音は一つずつにならなかった。


水音を追おうとした。檻では、水位の上がる音、跳ねる音で、ロウは位置を読めた。


ここの水音は、どこから来てどこへ行くのか分からなかった。水路は、いくつもあった。


ロウは、水路の縁に手を伸ばした。


流れの向きが、指で分からなかった。


腹が鳴った。


檻では、飯は時間が来れば来た。誰がくれるのでもなかった。時間が来ると、椀が前に置かれた。


ここには時間がなかった。椀もなかった。誰もロウを見ていなかった。


ロウは何か食べられるものを探した。


石。泥。割れた瓶。錆びた釘。


食えるものはなかった。


水たまりに何か浮いていた。ロウは指でつついた。


何かの皮だった。腐りかけていた。


匂いを嗅いだ。鼻を引いた。口には入れなかった。


入れたら吐く。吐いたら声が出る。声が出たら、ロウは見つかる。


腹が鳴っても、ロウは黙っていた。


ロウはまた、胸に手を入れた。


頁はあった。濡れていない。


指の腹で、頁の隅をなぞった。紙の感触は覚えていた。


頁には、二つの印があった。黒いほうと、赤いほう。


黒いほうは、セオの番号の上に押された印。もう戻らない印だった。


赤いほうは、ニナの番号の上に押された印。泣く子につけられた印だった。


ロウは、その文字は読めなかった。だが、印の形は覚えていた。


頁を、胸に戻した。


水路の向こうに、街があった。


街のどこかにキールがいるはずだった。台帳を抱えて、ニナを連れて。


ヴェラの匂いは、もうしなかった。ジグの羽音もしなかった。


ミラの鈴は、止まったまま戻ってこなかった。


ガロの手が、最後に残っていた。ロウは、それを考えなかった。


ロウは、誰の名も呼ばなかった。呼んだら、見つかる。


「散れ」と命じたのはロウだった。


ロウが先に呼べば、その言葉が嘘になる。


それは、できなかった。


空が、もう少し明るくなった。


ロウは石段の下で身体を縮めた。膝を抱えて、肩を内側に丸めた。耳を伏せ、尻尾を膝の下に押し込んだ。


石段の上を、子供の足音が通った。


一つ。二つ。荷を引く音。荷物を背負う音。


朝の仕事に出ていく子供たちだった。


朝の街は、その子供たちのものだった。ロウは、その朝の中には入れなかった。


半獣の子供が、昼の通りに出るには、紙が要る。名前の紙。保護する者の印。


ロウには、どちらもなかった。


どちらもない子供は、昼の通りで捕まる。檻の中で、それだけは覚えていた。


ロウは石段の脇に伏せたまま、子供たちの足音が遠ざかるのを聞いた。


水が、ロウの足首のあたりまで来ていた。


夜明け前に上がった水位が、まだ下がりきっていなかった。冷たかった。


だが、ロウは動かなかった。石段の上を、まだ足音が通っていた。



胸の頁は、まだ濡れていなかった。



水は、ロウの脛まで来た。


それでも、ロウは石段の下から出なかった。


檻の戸は、もう開いていた。


それでも、ロウは昼の光のほうへは出られなかった。

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