Suite.9「マイクロスロットなサル共」
夕方の冷気が少しずつ混じり始める頃、俺は次なる勤務に相も変わらず備えるために、再び217号室へと戻ってきた。
道中、出勤してきた東雲さんと髭乃くんに廊下で軽く挨拶を交わし、着替えを済ませようとドアを開けたのだが――部屋の中には、いつの間にか出かけていたはずのちとせが、すっかり我が物顔でベッドにでーんと陣取っていた。
「あ、お兄さんお帰り」
「お前なぁ、人の部屋を自分の家みたいに……」
「同棲なんだからどっちの家って事もないでしょー。どっちかと言ったらわたしの家に転がり込んでるのは〜…──────お兄さんっ!」
ビシッとキメ顔で指先を突き立てる彼女に呆れつつも、俺は今日これから始まる夜勤のシフトに思いを馳せて、思わず重い溜息を吐く。
フロントにはあんな調子で尖りまくっている卯月がいるし、東雲さんは元気だけどやたらハズレくじを引くし、髭乃くんは東雲さんの言う事しか聞かないし、詩七美さんは……色々と凄すぎて怖くてどうにも直視できそうにない。
今日の仕事もまた当然、一波乱ありそうだなと、一人で勝手に愚痴をこぼす。
「とゆうかお前、また…なんでそんな格好、競泳水着なんて着てるんだ?」
「競泳水着って……。お兄さんってばいくつ?」
「二十一歳、拳で語るお年頃だから、くれぐれも次の発言には気をつけてくれ」
「なんそれ怖かぁ……。二十一……って事はわたしの二つ……二十個下だね!」
「そのパターンで上にサバ読む事ってあるんだな」
「そんな事よりっ! これはスクール水着なんですけど。ほらっ! ホテルチャンネルでお兄さんが見てた……」
「おっとその話はそこまでにしようか」
そんな情報量過多の、かつ全く有意義ではない会話を繰り広げ、目のやり場に困った俺の懇願により彼女の纏うスクール水着と同様、貸し出しのコスプレ衣装、セーラー服を半ば強引に纏って貰った。しかし彼女の確固たる意志により、上だけ。
もはや諦めの境地、なるべく視線を上向きにしながらも、不随意に彼女のヒラメ筋辺りへと動く眼球をキュッと締め付けながら、ふと、テーブルの上を見れば、俺が昼間に投げ渡した駅前のパン屋の袋がそのままに置いてあった。
中を遠目に覗いてみると、ちとせは買ってきた菓子パンに全く手をつけた様子がなく、ただじっと、まるで穴が空くんじゃないかという勢いで、朝同様にその袋を見つめているだけだった。
「……どうした。食べないのか?」
「わたしってやつは何を隠そう、視覚情報から先んじて楽しむタイプなのですよ」
「スーパーのパンとは訳が違うんだ、賞味期限だってある」
「じゃあ、一体どうしろとっ…!?」
「食べればいいだろ…」
物欲しそうに、指を咥えながらパンを見つめる彼女を見るに見かねて、半ば奪うように一つ取り出す。
ワタワタと若干怒った表情で慌てて奪い返そうとする彼女を制止しつつ、代わりに袋の口をキュッと裂いて中身を取り出し、彼女の口元へと強引に近づけてやると、ちとせはビクッと肩を跳ねさせた。
「え…………? ──────うみゃっ!?」
「どうだ『オジ-パン』のパンは美味いだろ」
「うん……うん。死ぬほど美味しい……!!」
更にもう一口、口内の物が片付いたタイミングを見計らって少し強引に口元へ押し付けると、ちとせは勢いよく大きくかぶりついた。
もぐもぐと咀嚼するうちに、彼女の表情が少し前より和らいでいくのが分かる。さっきまでの小悪魔ぶった煽り気味の態度とは打って変わって、どこか照れくさそうな、年相応の少女の顔に見える。
こうして少しだけ余計なトゲが抜けると、彼女も案外悪くない同居人……なのかもしれない。
もし俺に妹がいたなら、こんな感じだったのだろうか。今どこで何をしてるのかも分からない千明先輩の過剰なまでのシスコン。
その片鱗の、ほんの先っぽだけは理解できた気がする。
「……はぁ──────ごちそうさまでしたっ!」
「こんなにお腹いっぱい食べたのなんていつぶりだろ?」
「なんだ、やっぱりネグレクトか」
「そんなんじゃないよっ!」
「そんなんじゃ……ないよ?」
「疑問形なのが引っかかるが厄介事はごめんだからな、深掘りはしないでおこう」
そんなやり取りをしつつ、ベッド脇のゴミ箱に既に食べ終えたパンの空袋を捨てる。
すっかり、上機嫌なちとせはホクホクとした満足気な表情を浮かべていたかと思えば、途端、その表情を変面よろしく神妙な面持ちに変えた。
「そう言えばさ、お兄さんはこのお店の売り上げを上げたいんだよね?」
「パンのお礼にさ、とっておきの情報あげちゃう」
「とっておきの情報…?いやそれより、なんでそんな事お前が知ってるんだよ」
「それはある筋の、ううん遠きものは音に聞け方式で耳にした情報なのですが」
「風の噂な。回りくどい」
「でもね? 真面目な話。このお店の問題はね……実は『人』にあるんだよ」
「知ってる」
「ありゃっ」
自信満々に口にした情報が既にして周知であった事に、昔懐かしいドリフの様なわざとらしいアクションでもって落胆する彼女。
まだ何か言いたげに、口をパクパクとさせている彼女の次なる言葉を腕を組んで待っていると。
「じゃあ……って立ち話はなんだし、座りなよ。ほらっちとせの横、空いてますよ?」
「全体的に、センスが古いんだよなぁ…」
ちとせは小さく息をつき、トントンと自らが腰を落とした横、ベッドのフットスローを叩いて俺を強引に座らせた。
再度、仕切り直した彼女が言うには、今のベガのスタッフたちは、それぞれが抱えている事情やトラウマのせいで、どこか歯車が噛み合っていないのだという。
「これはね…超絶トップシークレットな情報なんだけど。例えばさ、フロント社員の卯月ちゃん。彼女一見怖いものなしに見えるでしょ? 強面のお客さんでも老若男女問わず食ってかかって行って、取り分け『男』に対してはそのあたりは一層厳しいの」
「それこそお兄さんは身に染みてるんじゃないかな」
「あぁ、まったく毎日のように怒鳴られてるこっちの身にもなってほしいけどな」
「あれは一種の防御壁みたいな物なんだよ。あの子が本当に恐れてるもの……抱えている闇。それはね…」
「──────『男女の友情』って奴なんだよ」
「男女の友情……?」
予想の斜め上をいくワードに、俺は思わず間抜けな声を上げた。
ギャルの、ちょっと……いや大分高飛車で厚顔無恥、怖いもの無しの無鉄砲。そんな愛姫卯月が、まさかの『男女の友情』とやらに怯えているとは? 一体全体、どういうことだ……?




