Suite.7「国道を駆け抜ける彩舞駆とサル共」
「『お嬢』ま──────っじに残業ありがとうございました、本当に助かったっす!」
「あぁ、ついでにパコ太郎も…お疲れっす」
控え室から出てきた俺たちを見つけるなり、フロントの窓口から生気のない疲れきった顔をひょっこりと出した卯月が、見事なまでに温度差のある労いの言葉を投げかけてきた。
「……うん。愛姫さん、また夜ね」
「卯月。その扱いの差は、世間が許しても俺だけは絶対に許さないからな――って、もう居ないし……」
俺の抗議を聞く前に、卯月はさっさと小窓のロールカーテンをピシャリと下ろして奥へと引っ込んでしまった。
まったく、あいつは……。
などとぼやきつつ、手にした六角レンチをポケットにしまい込みながらため息をつく俺の横で、詩七美さんは長い髪をさらりと揺らし、朝の光が差し込む駐車場へと早足で歩いていく。
ちなみに、217号室に置いてきたあの『自認・美少女。自称・ちとせちゃん』なる正体秘匿のミニスカポリスには、「急用ができたからもうしばらく戻らない、大人しくしていろ」と内線で伝えておいた。
『包み焼きハンバーグ!!』とその昔耳が擦り切れるほど某猫型ロボットが声高にCMを務めていたそれを、珍妙かつ端的な明るい声でもって発声してきたが、頭の中を「あの」キャッチーなリズムが占めてしまいそうなので、それ以上深くは考えないことにする。
「タロ、こっち。乗って」
「あ、はい。お邪魔します……」
案内された黒の軽自動車におずおずと乗り込み、助手席でシートベルトを締める。
車内はふんわりとホワイトムスクの清涼感のある香り。
あまり人のプライベートな空間をジロジロ見るのは良くないと思いつつもサッと視線だけで一周見回せば、フロントミラーを始め、車内随所にはファンシーかつパンクなデザインの動物のぬいぐるみが飾ってあり、彼女の意外な少女趣味を感じさせる。
彼女の周りからのイメージと、その実態とのギャップに、なんだか少し嬉しさに似た気持ちに包まれる。
それにあの、機械のように正確無比な仕事ぶりを誇る詩七美さんの事だ、きっと運転も、教習所の見本のようにスムーズで、安全運転に違いない。
――そう思っていた時期が、俺にもありました。
――グォンッ!!
「うおっ!?」
駐車場を出た瞬間、前触れもなくアクセルが床まで踏み抜かれた。
店の敷地外へと出て、国道に合流する迄の側道、加速する急勾配。
強烈なGが俺の身体をシートに力強く押し付ける。
「(俺は、やはりいつの間にやら眠っていて、夢の中にでもいるのだろうか…?)」
などと弱音が頭の中で繰り返されている間、合流した国道は朝のラッシュも少し落ち着き始めていた。
されど、行き交う車の数は決して少なくない。
ふと前方の信号が黄色から赤へと変わるのが見えた。当然、トルクを弱める為にアクセルを離して、緩やかに減速するはず――。
――キィィィッ、ガクンッ!!
「ぐえっ!?」
減速など…一切なかった。
右折の矢印信号を待っていた大型トラックの運転手も、止まる素振りを見せない彼女の運転に、大きく目を見開いているのが見えた。
それもそのはず、赤信号の停止線ギリギリまで加速し続け、最後の数メートルでブレーキペダルを思いっきり踏み抜いたのだ。
シートベルトが鎖骨と肋骨に深く食い込み、俺の首から先がヘッドレストに打ち付けられ、前後に激しく波打った。
「し、詩七美さん……!? あの、エンジンブレーキってご存知ですか……!?」
「……? ブレーキは…踏めば止まるよ?」
(何言ってんだこいつ…って顔してるな…)
「いや、そうなんですけど! ブレーキパッド全頼りすぎますって!!」
必死の抗議は全くもって届かず、それどころかお出かけに際してはしゃぎ騒ぐ子供を見るような生暖かい目をしている。
そこからの十数分間は、まさに絶叫マシンそのものだった。
急加速、急減速、カックンブレーキのオンパレード。常にインコースを攻め、その癖車間距離だけは律儀にしっかりと守っている。
本人は涼しい顔でハンドルを握っているが、助手席の俺は全くもって生きた心地がしない。
そして極めつけに…見るに見かねて運転を代わりましょうかと尋ねてみれば…
「私…人の運転する車って…信用出来ないんだ」
などと犯人は供述しており…。
***
「……好きなだけ、食べてね」
「……あ、ありがとうございます……」
目的地のファミリーレストラン『ココス』に到着した頃には、俺の空腹は恐怖と車酔いによって完全にどこかへと吹き飛んでいた。
前払い式のバイキング形式。財布を出す間もなく 彼女が手慣れた様子で俺の分まで支払ってくれており、慌てて現金を差し出すも受け取っては貰えなかった。
真っ青な顔でグラスの水をちびちびと啜りながら、テーブルで一人待機する。
しばらくして、料理を取りに行っていた詩七美さんが、トコトコとテーブルへと戻ってきた。
その両手に抱えたトレーを見た瞬間、俺は思わず目を疑った。
白米用の丼に盛られた山盛りのスクランブルエッグに、大皿にはカリカリのベーコンとウインナーの山。クロワッサンが四つに、隣にはもうひとつ丼に入った大盛りのカレー。さらに別皿にはサラダとは言い難いポテサラやパスタをマヨネーズで和えたものやコールスロー、自分で焼いてきたと思しきクリームにトッピングたっぷりのワッフルまで鎮座している。
「……一回で全部持ってくるタイプなんですね」
「うん。お腹、空いたから初陣はこのくらい…」
「初陣…だと?」
前菜に過ぎなかった目の前の山盛りのプレート。
華奢でスレンダーな彼女のどこにそんな容量があるのか。
詩七美さんは小さな手でフォークとナイフを持つと、相変わらずの無表情のまま、まるで書類を処理するかのような一定のペースで、しかし確実に山盛りの料理を口へと運び始めた。
もぐもぐ、もぐもぐ。もきゅ…ごくん。
一切の迷いもなく次々と皿が空になっていく様は、どこか小動物のようでもあり、見ているこちらの胸焼けが不思議と治まっていくような爽快感すらあった。
「……タロ、食べないの?」
「俺は、このクロワッサンとコーヒーだけで十分です……運転の余韻が、まだ胃に残ってまして……」
「そっか。……ここ、ワッフルも美味しいよ」
生クリームを少し口元につけながら淡々と呟く彼女を見ていると、俺の中でずっと燻っていた疑問が、自然と口を突いて出た。
「あの……詩七美さんって、どうしてあのホテルで働いてるんですか? 詩七美さんみたいに仕事ができる人なら、もっと条件の良い職場なんていくらでもありそうですけど」
俺の問いかけに、彼女はフォークを動かす手を少しだけ止め、窓の外――遠くに見える緑豊かな丘陵の方へと視線を向けた。
「……昔ね、あそこはなにか『お城』のようなものだと思っていて。一度、入ってみたかったの」
「お城、ですか」
確かに、ホテル『VEGA』の外観は中世のヨーロッパの城を模したような、ラブホテルによくあるけばけばしくも幻想的なデザインをしている。
「小さい頃、両親とよくホテルの裏にある森林公園に遊びに来てたの。その帰りに、誕生日とかには近くの焼肉屋さんに寄ったりして……その道中でいつもあのお城が見えて。『あそこに入りたい』って、よく駄々をこねてた」
「あぁ……それは、ご両親もさぞ返答に困ったでしょうね」
「うん。思えば、両親をすごく困らせていたなって思う。……大人になってからしか分からない事って、たくさんあるから」
そう言って、彼女はほんの僅かに、目元を柔らかく細めた。
――ドクン、と。
俺の心臓が、不意に大きく跳ねた。
森林公園。少し下がった目元が、笑うとふわりと弧を描くシルエット。
みんなが口を揃えて言う『無機質なサイボーグ』などという言葉とは程遠い、穏やかでどこか懐かしい彼女の接し方に――俺は一瞬、自分がずっとキャンバスに描き続けている『初恋の彼女』の面影を見たような気がして、息を呑んだ。
(……いや、まさかな。あの公園なんて、近所の子供なら誰でも行く場所だし……)
頭を振って、都合のいい妄想をかき消す。
すると詩七美さんは、空になった皿を重ねながら、ぽつりと付け加えた。
「それに……あそこは、夜に働けるから。今は、あの子のためにも、たくさん稼がないといけないし」
──────『あの子』。
その言葉に、俺の脳裏にあの浴室で見た『鮮やかな蝶のタトゥー』がフラッシュバックした。
詩七美さんの言うあの子が、小さな子犬や子猫などでは無いということは、容易に想像が着く。
つまりは、彼女には小さな子供が居る、そういう事だろう。
(子供のため……そして、あの背中の墨……やはり、詩七美さんには……)
(────カタギじゃない凶暴な旦那がいるに違いない!)
せっかくの穏やかな空気は一瞬で霧散し、俺の厄介な反芻思考がフル回転を始めた。
ちょっと待てよ。だとしたら、今のこの状況は極めてマズいんじゃなかろうか?
朝のファミリーレストランで、自分の女(しかもこんな美人の奥さん)が、どこの馬の骨とも知れないバイト先の、それも血気盛んな年頃の若い男と二人きりで朝食バイキングを楽しんでいる。
もし、その『怖い旦那』にこんなところを見られたりしたら……!?
「……タロ。どうしたの、顔色…悪いよ?」
「い、いや! なんでもないです!本当に、やましい事はなにもありませんからっ!!」
俺は店内の入り口や窓の外に黒塗りのセダンが停まっていないか、気が気じゃないまま周囲に視線を走らせ、味もしない香りばかりの冷めたコーヒーを一気に喉奥へと流し込んだ。




