Suite.6「217号室のミニスカポリスとサル共」
泥のような疲労を引きずり、俺はようやく自分の城――もとい、オンボロの仮住まいである『217号室』の前へと辿り着いた。
時刻は朝の九時過ぎ。
早く泥のように眠りたい、心ゆくまで睡眠を貪りたい。
いや、その前に汗と埃と…誰のとも知れない体液にまみれた身体をシャワーで流さなければ……。
そんなことを考えながら、俺は重い外扉を抜け、部屋の内扉のドアノブを握り、手前に引いた。
――ガコンッ。
「…………は?」
乾いた金属音と共に、俺の右手には冷たい真鍮の塊だけが残された。
ドアノブが、根元からすっぽ抜けたのだ。
「オンボロ極まれり…だな」
深夜の過労で幻覚でも見ているのかと目を擦ったが、手元のそれは紛れもなく現実だった。
なんとか四角い芯棒の穴にノブを無理やりねじ込み、ガタつくそれを慎重に回しながら、異様に重たくて床に引っかかる内扉を、肩で押し開ける。
いつもならここで、玄関の人感センサーが反応してパッと頭上のダウンライトが点くはずなのだが……今日はうんともすんとも言わない。オンボロ故の接触不良だろうか。
やむなく薄暗い玄関で靴を脱ごうとした、その時だった。
――ガタッ、ゴソゴソッ……。
奥の居室の方から、何やら物音が聞こえてきた。
間違いなく室内に誰かいる……。
まさか盗っ人だろうか!?
或いは、この辺りは自然が多い為に、野生動物も――タヌキにハクビシン、ネコなんかも毎日の様に見る。盗っ人か野生動物か、どちらかと言ったら後者の方が可能性は高い。どこかから忍び込んだ可能性も十二分にある。
どちらにしても瞬間的に背筋が凍りついたが、すぐにもう一つの可能性に思い至った。
(……あぁ、もしかして詩七美さんか?)
数時間前、過労で倒れた彼女をこの部屋で休ませた。何か忘れ物でもして、取りに戻ってきたのかもしれないと。
だが、それにしてはやけに音が騒がしい。まるで部屋の隅々をひっくり返しているような……。
あの機械のように精密な『彩舞駆〈サイボーグ〉』にしては、随分と抜けた真似をするものだな。
「詩七美さん? まだ居たんですか? 何か探し物なら手伝い――」
わざとらしく大きく声をかけながら、居間の入り口へと足を踏み入れた俺は、そこにいた『ソレ』の姿を見て、ピタリと動きを止めた。
それは詩七美さんではなかった。
猫でも、タヌキでもない。
ソファーと壁のわずかな隙間に頭を突っ込み、小ぶりな尻をこちらに向けてモゾモゾと珍妙なポーズで蠢いている、見知らぬ小柄な少女。
しかもその服装は、ホテルが五百円で貸し出している、テカテカとしたエナメル素材の『ミニスカポリス』のコスプレ衣装だった。
「……え〜っと」
「んっしょ……んっしょ……」
少女はブツブツと独りごちながら、不意にひょっこりと隙間から顔を出した。
色素の薄い、艶やかペッタンサラサラな髪。まだあどけなさの残る小さく端正な顔立ち。
俺と目が合うと、少女はキョトンと大きな瞳を数回瞬かせ――次の瞬間、何事も無かったかの様に再度ソファの裏へと消えた。
「なんだ〜…?誰だろあの人。新人? こんなボロ部屋に…一体何しに?」
そんな独り言を呟きながら、こちらの事など意に介さず。
「――おいお前は誰だ」
眠気も疲労も、件のタトゥーに対する恐怖も、すべてが一瞬で吹き飛んだ。
「どこから入った。 客か? いや、ここには客は入れないはず…ていうかその服、先週発注した備品のコスプレ衣装だよな?」
「?」
「キョトン? ってするな! ……あぁヤバいな、俺も過労でついに幻覚が……」
俺は混乱の極みで頭を抱えて俯いた。
そんな現実逃避に思考を逃がし、直ぐ様今一度前へと視線を移せば……やはり幻覚などではなく、居る。
確かに、やたら丈の短い不埒な格好のミニスカポリスが、そこに。
よくよく見れば、どう見ても未成年……高校生くらいにしか見えない。
ラブホテルの一室に、えっちなミニスカポリス姿の未成年の少女と二人きり。もし今ここに警察が踏み込んできたなら、俺の人生は完全に終わりを告げる、それは主に社会的に。
それこそ彼女の供述次第では、ある事ない事でっち上げられ、言い逃れなど出来ないだろう。
法律が許すなら一向に構わないが、犯罪者になるのは真っ平ごめんだ。それも性犯罪者なんてのはなおさら。
「いいから、とにかく一度フロントへ行くぞ。 ほら出て…」
「あっ……ちょっと……」
俺は少女の華奢な肩を掴んで連れ出そうと、手を伸ばした。
しかし。
「あーっと! おさわりはNGだよ、不法侵入のお兄さん!」
少女はまるでこちらの動きを完全に予知していたかのように、軽やかなステップでくるりと後ろへ飛び退き、俺の手を華麗に躱した。
指先ひとつ、彼女の服にすら掠らない。
「オプション料金、払ってないでしょー? 警察官への公務執行妨害で逮捕しちゃうぞー?」
チャカチャカと、腰に付いた安っぽいプラスチックの手錠を鳴らす少女。
「…ッ!やかましいわ! 不法侵入の現行犯はお前の方だろ! いったい何者なんだよ!?」
息を切らす俺をよそに、少女はベッドの端にぽすんと腰を下ろし、太ももをぺちん、ぺちんと手で鳴らしながら得意げに胸を張った。
「ふっふっふ。わたしが何者かって?」
「ああ。名前と……侵入経路を言え。すぐに対策する…──────対策、出来るかな…?」
「どうしよっかなぁ〜? ……そんなに知りたい?」
「いや、別に知りたくない、出てってくれればそれでいい」
「そうつれない事言いなさんな…わたしは世を正すせいぎの美少女ミニスカポリス…!かっこ本日限定!」
「あっちなみに…せいぎは正義じゃなくて性技の方ね。これめちゃ重要っ!」
「……ああそうか、じゃあ親御さんに迎えに来てもらうしかないな」
茶化す様にケラケラと笑う彼女へ、あまりにも当たり前の事実を俺が真顔で即答すると、少女は「あれっ」と拍子抜けしたように目を泳がせた。
「そっ……それはちょっと反則かも……」
「じゃ、じゃあえっと……素性の代わりに豆知識プレゼント!────── うさぎって、子宮がふたつあるらしいよ?」
「家の電話番号を教えろ」
「えぇ!これでもダメぇ〜?じゃあ取っておきを…」
「────犬のちんちんには骨があるっ!これは知らなかったでしょ?」
「よし先ずは、とりあえず店長に連絡を…部屋に珍妙かつ変態なマセガキが出たので殺虫剤を…」
「害虫じゃないよっ!益虫だよっ……!?」
「虫は虫なんだな」
俺が内線電話に手を伸ばそうとすると、少女は「ぷっ、くふふふっ」と楽しそうに肩を揺らして笑った。
「いいよー、呼んでごらんよ。『この部屋はいつでも好きに使っていい』って私に言った張本人はおじさ…店長だから」
「……店長が?」
「うん。でもまぁ、もしお兄さんが『部屋にミニスカポリスの幼げな「美・少・女」がいるんです!』なんて警察や他の人に報告したら、間違いなくあの店長は法に裁かれて社会的に死ぬだろうし、そしたらこのお店もいよいよヤバいと思うけどね〜」
「……なんて出口の無い話だ」
詩七美さんの深淵に続いて店長までも人に言えない深淵を…それも未成年誘拐なんて…きっとやむにやまれぬ理由があるのだろうが…。
それに彼女の言葉が妙に説得力を持っているのが腹立たしい。
あの、一日中パチンコで魚群を追いかけているいい加減な気質の店長なら、未成年の家出?少女を囲って住まわせるなんて事…本当にやりかねない。
(……強引にでも摘み出すか? いや、摘み出してどうする?その後は?もし公になれば…それこそ。それに触れようとすると異常な身軽さと反射神経で避けられるし……もし本当に店長が犯罪に関わって居るとしたら…下手に騒ぎ立てて薮蛇になるのもマズい……)
またしても、俺の厄介な反芻思考と打算が頭をもたげる。
ここで無理に追い出して後悔するくらいなら、一旦様子を見るのが得策ではないか……?
「……俺に危害を加えたり、物を盗んだりしないか?…あと…なんだ、美人局とか…」
「しないしないよ!! お兄さん、ちょっとドラマの見すぎじゃない?」
実はもう既に玄関先には柄の悪い男が待ち構えていて『俺の女に何してんだ』からの『未成年に手を出した』──手は出していないが──事を弱みにゆすられるのでは…と危惧していたがどうやらその心配は無さそうだ。
「う〜ん……お兄さんもしかしてここの従業員さん?」
「あぁ、この217号室を借りて住んでる」
「あれ〜? そんなのわたし知らない……あのダメおやじめ……」
「でもそっかぁ……ここに住んでるならまぁ、名前くらいは教えておいてもいいかも?」
「じゃあっ、えっと新人? のお兄さん! 私の名前はちとせ! たった今からお兄さんと同棲する事になった美・少・女! 親しみを込めてちとせちゃんって呼んでくれていいよ!」
「美少女を自認するとはまた大きく出たな…って」
「……ちょっと待て…同棲?」
「もう分からない人だなぁ〜鈍感過ぎてダチョウっぽいって良く言われない?脳みそちっちゃくて痛みに対する感覚が弱いって意味で」
「とても初対面でしていい誹謗中傷じゃないな」
「だって話が通じないんだもん」
「こんな訳分からんコスプレ変質者にだけは言われたくなかった……」
「だから!こ・こ・に!お兄さんは住んでるんでしょ? ラブホに住むって……ちょっと意味わからんけど……」
「でもここは私が先に住んでいたので、仕方な〜く! お兄さんも半分位なら使ってもいいよって、そういうお話」
「美少女と暮らせるなんて、やくとくやくとく〜!って奴だね!」
「ダメだ、終始意味が分からない……」
脳が、疲れ切っている事を差し引いても、目の前の事象への理解を拒んでいる。
なし崩しにも…程があるだろ…。
だが、限界を迎えた俺の脳みそは、この珍妙なコスプレ少女・素性不明の自称美少女ちとせちゃんとの『秘密の隠匿同棲関係』を、一旦保留という形で受け入れるという選択を下した。
と言うより、半日以上仕事をした後の半ば機能不全な脳みそが、それ以外の選択肢を提示してはくれなかった。
「……はぁ。もういい。とにかく、まずはこのぶっ壊れたドアノブを直さないと、鍵すら閉められない」
「それこそ、こうやって又ミニスカ痴女がカサカサと迷い込んで来るかもしれないしな」
「誰が痴女だって〜。それにまた虫扱い…逮捕するよ?」
かちゃかちゃとわざとらしく手錠を鳴らす彼女を他所に、俺は手の中のすっぽ抜けたドアノブを見つめ、深くため息をついた。
根元のネジを締め直すには、六角レンチが必要だ。確か控え室の工具箱に入っていたはずである。
「控え室に工具を取りに行ってくる。いいか、俺が戻るまでに勝手な真似はするなよ。特にベッド下なんかは男の秘密そのもの……絶対に見るなよ」
「振り…?」
「親御さんへ連絡」
「わかりゃっしたっ!」
ベッドの上でうつ伏せになり、足をパタパタと揺らす自称ちとせちゃんとやらに釘を刺し、俺は夢か現か、不明なまま重い足取りで再び217号室を後にした。
***
朝の冷たく澄んだ空気を吸い込みながら次第に冷えていく体を確認すると共に、これは確かに現実なのだと再認識しつつ、俺は控え室へと戻った。
棚の奥から工具箱を引っ張り出し、六角レンチを探していると――ガチャリ、と奥の更衣室の扉が開いた。
出てきたのは、制服から私服へと着替え、帰り支度を終えた詩七美さんだった。
彼女の身体に彫られた『蝶の墨』の記憶がフラッシュバックし、俺の身体がビクリと強張る。
「あ、お、お疲れ様です、詩七美さん! 体調は、もう大丈夫なんですか……?」
「……うん。タロのおかげ」
すっかり顔色も良くなった彼女は、普段はお団子に纏めた髪を解き、その腰先までの長い髪を揺らしながら、トコトコと俺の前まで歩み寄って。
そして、相も変わらず無表情のまま、俺の顔をじっと見上げて――ポツリと言った。
「タロ……お腹、空いてない?」
「え?」
予想外の質問に俺が目を丸くしていると、ちょうど俺の腹の虫が『グゥ〜……』と情けない音を立てて鳴いた。
確かにこの十六時間の勤務の間、飲み物以外なにも口にしていなかった。
「今から……ご飯、行こっか」
「──────ココスの……朝食バイキング」
ラブホテルの激務明け、朝の九時半。
見た事もない程に目をキラキラと輝かせる背中に巨大な蝶を背負った無表情な『彩舞駆〈サイボーグ〉』からの、あまりにも庶民的で唐突なお誘いだった。




