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この物語の作者を当ててください  作者: 週休七日


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6/7

清書ではありません

「待って、紬さん。どこへ行くの」


 真壁が言った。


「古い原稿があります。台所に」


 犬飼が立ち上がった。


「警察の人に、一緒に確認してもらいましょう」


 犬飼が廊下の刑事を呼んだ。


 私が原稿のことを説明すると、刑事は手帳を閉じ、台所まで来てくれた。

 引き出しの中には、折り畳んだ原稿が、そのまま残っていた。


 刑事がそれを確認し、写真を撮った。


 犬飼は広げられた原稿の最後に目を落とした。


「こちらが、古い結末ですね」


「はい」


「この文章を、いつまで使うつもりでしたか」


「九時十分までは、そのまま写すつもりでした」


 犬飼が赤い書き込みを見た。


 〈これで終わり。紬、清書〉


「書斎へ届けたものには、別の一行を書いた」


「はい」


 犬飼は、私の顔を見た。


「その一行は、誰が考えたんですか」


 台所の蛍光灯が、かすかに音を立てていた。


 そんなことを聞かれたのは、久しぶりだった。


 どれくらいで書けるか。

 何時までに終わるか。

 先生に確認したか。


 そういう質問なら、いくらでもされた。


 誰が考えたのか。


 その質問だけが、ずっと、なかった。


「私です」


 犬飼はうなずいた。


「では、それを、あなたの言葉で説明してください」


 居間へ戻ると、真壁が立ち上がった。


 古い原稿は透明な袋に入れられ、テーブルに置かれた。

 刑事が、その横に立った。


「八時五十五分の結末は、こちらです」


 私が言うと、真壁は原稿をのぞき込んだ。


「それは、清書前の——」

「清書前ではありません。書き換える前です」


「同じことだろう」

「違います」


 声が大きくなった。


 夏帆が身じろぎした。


 私は、一度息を吸った。


「同じ文章をきれいに書き直すのと、別の文章を考えて書くのは、違います」


 真壁は黙っていた。


「あの一行を、私は九時十分に考えました。それから新しい一枚を書いて、九時十五分に兄へ渡しました。あなたには見せていません。読み上げてもいません」


「先生が先に、似たような——」


「表札を裏返して、自分の名前を書く文章ですか。私が考えたのと、同じ文章を?」


 真壁の唇が動いた。


 言葉は出なかった。


「兄に教わったんじゃありません。兄の書いたものを写したんでもありません。私が考えたんです」


 私は、自分の指先を見た。


「私が考える前に、あなたは、どうやって読んだんですか」


 雨が窓をたたいた。


 真壁は刑事へ顔を向けた。


「混乱しているんですよ。この状況ですから。紬さんは、いつも先生の原稿を——」


「原稿を読んだ経緯について、改めて伺います」


 刑事は手帳を開いた。


「先ほどは、家を出る前に読んだとおっしゃいましたね。その説明に変更はありませんか」


「書斎で読んだんです」


「それは、九時より前ですか」


 真壁は答えなかった。


 犬飼は腕を組み、黙っていた。

 夏帆は、原稿と私を交互に見ていた。


 やがて真壁が、私に顔を向けた。


 食卓で唐揚げを残してくれたときと、同じ顔だった。

 玄関で、兄は私を頼りにしていると言ったときと、同じ声を使った。


「紬さん。いまは、先生のためにできることを考えよう」


 私は、ゆっくり首を振った。


「考えています」


「先生の原稿を、君が勝手に書き換えたなんて話は——」


「私の原稿です」


 今度は、声を大きくしなかった。


 真壁が口を閉じた。


「最初の三冊は、兄が書きました。四冊目からは、私が初稿を書いていました。兄はそれに手を入れて、自分ひとりの作品として出していました」


 夏帆の手から、携帯電話が滑り落ちた。

 膝の上に落ちただけなので、音はほとんどしなかった。


「……四冊目から、ずっとですか」


「はい」


 四冊目が出たとき、私は十九歳だった。


 最初から、兄の名前で書いたのではない。

 自分の小説を読んでほしくて、兄に渡した。


 何度も感想を聞いた。

 兄は、そのうち読む、と答えた。


 その原稿は、兄の名前で本になった。


 書店に並んだ本を持ち帰り、私は兄を問い詰めた。

 兄は、自分の原稿として真壁へ渡したことを認めた。


 怒った。

 泣いた。

 返してほしいと言った。


 兄は言った。


 おまえの名前では、ここまで読んでもらえなかった。

 次は、自分の名前で出せばいい。

 その前に、今回の続編だけ書いてくれ。


 続編の次にも、続編があった。


 兄宛てに届いた感想を、私は読んだ。

 主人公の続きを待っています、という手紙があった。


 その人たちに、続きを届けたかった。


 私の名前ではなくても、私の書いた物語が誰かに届いたことは、本当に嬉しかった。


 その嬉しさと、悔しさを、うまく分けられなかった。


 次の一冊で名前を返してもらう。

 そう思って机に向かううち、また次の締切が来た。


 兄の注文に逆らうと、いつも話は同じところへ戻った。


 俺の名前で売るんだ。

 最後は、俺が決める。


「先生と君との問題は、あとで話そう」


 真壁が言った。


 私は、袋の中にある原稿の折り目を見た。


「兄とは、もう話せません」


 真壁の手が、椅子の背に掛けていたコートへ伸びた。

 そこに触れ、離れた。


 刑事が言った。


「九時にこの家を出てから、十時に戻るまでの行動を、もう一度確認させてください」


 犬飼が、私の方を向いた。


「紬さん。ここでわかったのは、原稿を読んだ時刻の説明がおかしい、ということです」


 私はうなずいた。


「それだけで、誰が殴ったかまで決まるわけではありません。あとで原稿を見たのか、誰かから内容を聞いたのか。そこから先は、調べてもらいましょう」


「はい」


 刑事は真壁を別の部屋へ案内した。


 私は椅子に座った。


 夏帆が隣へ来た。

 私の肩に手を置こうとして、少し迷い、やめた。


 代わりに、テーブルの原稿へ目を落とした。


「私、あの四冊目が好きで、書店員になったんです」


 私は彼女を見た。


「犯人がわかったあと、主人公が、すぐには立ち直れないでしょう。周りがよかったって言っても、本人はちっともよくないって。あそこが、好きで」


 返事をしようとした。


 うまくできなかった。


 夏帆は待ってくれた。

 それから、原稿ではなく、私の方へ向き直った。


「書いてくれて、ありがとうございました」


 その言葉を、兄の横で聞いたことは何度もあった。


 自分に向けて言われたのは、初めてだった。

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