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この物語の作者を当ててください  作者: 週休七日


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7/7

署名

 ここから先は、あの夜に見聞きしたことではありません。


 後日、担当刑事から受けた説明と、その後、私が傍聴した裁判で明らかになったことを記します。


 真壁の車から、二百一枚目の原稿が見つかった。


 一緒にあったのは、兄が保管していた支払いに関する資料だった。


 最後の一枚には兄の血が付着していた。

 そして、その血によって残された指紋が、真壁のものと一致した。


 レストランの記録も、彼の説明を裏づけなかった。


 入口の防犯カメラに真壁が映ったのは、九時三十二分。

 会計をした九時四十分という時刻は正しかったが、九時五分か十分には入店していたという話は、違っていた。


 真壁はやがて、九時を過ぎてから家へ戻ったことを認めた。


 裏口から入ったこと。

 書斎で兄と話したこと。

 そして、兄を殴ったことも。


 長いあいだ、真壁は出版社の金を不正に流用していた。


 兄に支払われたことになっている金額と、実際に兄が受け取った金額には食い違いがあった。

 兄は資料をそろえ、翌日、会社へ知らせると真壁に告げていた。


 あの夜、真壁が持ち去りたかったのは、その資料だった。


 だが、最後の原稿まで消えたのには、別の理由があった。


 裁判で、真壁は説明した。


 戻ったとき、兄は最後の一枚を手元に置いていた。

 真壁は、その文章を読んだ。


 その後、言い争いになった。


 兄を殴ったあと、真壁は資料を集めた。

 その際、血の付いた手で、机上の原稿に触れた。


「自分の指の形が残ったように見えました」


 真壁は、そう言った。


 だから、持ち去った。


 原稿を読んだのは、最初に家を出る前ではない。

 戻ってからだった。


 それでも彼は、もっと早く読んだことにした。


 なぜ、嘘を見抜かれるとは思わなかったのか。


 その質問に、真壁は少し間を置いて答えた。


「妹さんは、清書をしているだけだと思っていたので」


 私は、傍聴席でその言葉を聞いた。


 真壁にとって、私が台所で書き終えた時刻は重要ではなかった。

 文章を写し終えた時刻にすぎなかった。


 もとの文章は、兄の手元に、もっと前から存在している。


 そういうつもりの嘘だった。


 しかし、あの一行は、私が書くまでどこにもなかった。


 真壁が間違えたのは、時刻だけではない。


 誰が、その文章を生み出したのかということだった。



 兄が私の名前を返すつもりだったのかどうかは、結局、本人には確かめられなかった。


 書斎には、出版社宛ての手紙の下書きが残っていた。


 四冊目以降の作品を、私が執筆していたこと。

 今後の著者表示について、相談したいこと。


 兄の筆跡で、そう書かれていた。


 宛名も、日付もあった。


 署名は、まだなかった。


 その下書きや、家に残っていた初稿と修正の記録は、私が出版社に事情を説明するときの助けになった。


 私は兄の手紙を、何度も読み返した。


 九時十五分の兄は、最後の一行を見て、表紙も変えないとな、と言った。


 その言葉を、私は書いた。


 十九歳の私に、次は自分の名前で出せばいい、と言ったことも書いた。


 どちらか一方だけを残すことは、しなかった。



 あの夜の長編は、まだ世に出していない。


 先に、この短い物語を書いた。


 書いているあいだ、兄が赤い字を入れてくるような気がすることがあった。


 そこは長い。

 その女は、もう少し素直にしろ。

 最後は許した方が、読後感がいい。


 手が止まるたびに、私は最初のページへ戻った。


 この物語の作者を当ててください。


 犯人を見つけるためだけの問いではなかった。


 私は、誰の話を、誰の言葉で書いているのか。

 それを忘れないための問いでもあった。


 原稿を読み終えた新しい編集者は、最後のページに目を留めた。


「お兄さんへの言葉を、もう少し足しますか」


「いいえ」


 私は答えた。


 そのあとで、少しだけ緊張した。


 理由を説明しなければいけないと思った。

 説得しなければ、また別の結末を書かされると思った。


 編集者はうなずいた。


「では、このままで」


 それだけだった。


 私は、息を吐いた。


 雑誌の目次や扉で、著者の名前を先に明かさないでほしいというお願いも、受け入れてもらえた。


 名前を載せないのではない。

 最後に載せる。


 そこまで読んで、見つけてもらいたかった。



 原稿の最後には、一行だけ、空白を残してあった。


 そこへ、自分の名前を書いた。


 兄の名前を書くより、時間がかかった。

 見慣れているはずの三文字が、紙の上では、少しよそよそしく見えた。


 それでも、書き直さなかった。


 これは、誰かの原稿を写したものではない。


 私が、私の名前で世に出す、最初の小説だ。



                    蓮見紬

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


小説を読んでいると、登場人物の名前が書かれているだけで、その人物を外から眺めているような気分になります。


「紬は、こう考えた」


そう書かれていれば、物語の外にいる誰かが、紬の心を説明しているように読めます。

けれど、紬自身が、自分を「紬」と呼んで書いている可能性もある。


今回は、その小さな距離の取り方を、推理の仕掛けにしました。


作者がわかって初めて、文章の出所がわかる。

文章の出所がわかって初めて、何気ない証言が、成立しない証言へと変わる。


犯人が間違えたのは、一行を読んだ時刻だけではありません。

誰が、その一行を生み出せるのかということでした。


もうひとつ書きたかったのは、同じ「書く」でも、清書することと、自分の言葉を選ぶことは違う、という話です。


彼女が最後に選んだのは、表札を壊す結末ではなく、その裏に自分の名前を書く結末でした。

しかし、それは誰かを許したという意味ではありません。


許すかどうかを結論づけなくても、自分の名前で生き始めることはできる。

この物語の最後は、そこに置きました。


冒頭では「作者を当ててください」とお願いしましたが、最後には、当てるというより、名前を呼んでもらえるような話になっていれば嬉しいです。


普段なら表紙でわかることを、最後の一行までかけて書く。

今回は、そんな小説でした。

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