第三章 売られる娘と銀の首
町へ向かう道は、思っていたよりも乾いていた。
山を下れば畑が増え、水路が増え、人の声が増えるものだとミリアは思っていた。村の近くではそうだった。森と山の境を越えると、畑が広がり、ところどころに小屋があり、鶏が鳴き、子供が走っている。そういう景色を、当たり前のように想像していた。
だが、三人が歩いている道の両側にあったのは、ひび割れた土だった。
畑はある。
しかし、作物はまばらだった。麦は低く、葉は黄ばんでいる。豆の支柱は立っているのに、絡む蔓は細く、実はほとんどついていない。水路には水が流れていた跡だけがあり、底の泥が白く乾いていた。
風が吹くと、土埃が上がる。
ミリアは布で口元を押さえた。
首元には、いつものように薬草を包むための布を巻いている。その下に首飾りがある。隠しているのに、隠しきれていない気がした。布越しにも、喉の奥に冷たい輪があるとわかる。
「このあたりは、水が少ないんですか」
ミリアが聞くと、先を歩くガルナは周囲を見回した。
「昔はそうでもなかった」
「昔?」
「私が山にいたころ、このあたりには川が二本あった」
「今は?」
「一本は上流で堰き止められた。もう一本は鉱山へ引かれた」
「鉱山」
ミリアは遠くを見た。
道の先、低い丘の向こうに、黒い煙が上がっている。
村の煮炊きの煙ではない。もっと重く、地面に近く、空に溶けずに滞るような煙だった。
「銀を掘っている」
ガルナが言った。
「銀?」
「そうだ。人間は光る石が好きだな」
「銀は薬にも使います」
「なら、薬だけに使えばよい」
ガルナの声には、軽い棘があった。
ミリアは言い返せなかった。
銀が金になることも、金が人を動かすことも知っている。村の薬草でさえ、市場で売れば値がつく。値がつけば欲しがる者が増え、欲しがる者が増えれば、どこかで誰かが泣く。
それでも、銀のために川を変えるというのは、ミリアにはうまく飲み込めなかった。
水は流れるものだ。
川は勝手に道を選ぶものだ。
それを人が止め、別の場所へ向かわせる。
首輪と似ている。
そう思ってしまい、ミリアは喉に触れた。
「痛むのですか」
後ろからネリスが聞いた。
ミリアは手を下ろした。
「痛くありません」
「そうですか」
「あなたこそ、歩けるの?」
聞いてから、少し強すぎたと思った。
ネリスは朝から、何度か白蛇の姿に戻っていた。少女の姿を保てる時間が短くなっているように見える。今は白い髪の少女として歩いているが、足取りは軽いというより、体重が足りないように見えた。
「歩けます」
ネリスは答えた。
「無理をしているなら」
「無理はしています」
正直に言われ、ミリアは言葉に詰まった。
ネリスは少しだけ微笑んだ。
「でも、歩けます」
「そう」
ミリアは前を向いた。
それ以上聞くと、心配していることになる。
心配してはいけない、とまではもう思わない。けれど、心配していると悟られるのは嫌だった。
ガルナが振り返った。
「昼前には村に着く」
「宿がありますか」
「ないだろうな」
「なら、なぜ寄るんですか」
「水を補う」
「水路は干上がっていました」
「井戸ならある」
ガルナはそう言ったが、声には確信が薄かった。
やがて道の先に、村が見えてきた。
村というより、乾いた土地にしがみつくような家の集まりだった。
土壁の家が十数軒。屋根は藁葺きだが、ところどころ穴が開いている。畑の周りには低い柵があり、その柵にも隙間が多かった。村の中央に井戸がある。だが、人々が集まっているのは井戸ではなく、その少し手前だった。
言い争う声が聞こえた。
「また遅れるのか」
男の声だった。
太く、湿っている。怒鳴っているのに、どこか楽しそうでもある。
「先月もそう言った。来月には払う、次の収穫には払う、娘が働きに出れば払う。いつまで待たせる気だ」
「本当に、次の月には」
別の声がする。
年配の女の声だった。掠れて、切羽詰まっている。
「今度こそ、少しは返せます。だから、その子だけは」
「その子だけは?」
男が笑った。
「その子が一番値になるんだよ」
ミリアは足を止めた。
村の中央に、数人の男がいた。
身なりはこの村の者よりずっといい。革の胴衣に、磨いた靴。腰には短剣。商人にも見えるが、商人というには目が荒い。彼らの後ろには荷車があり、荷車の横には鉄の輪や縄が積まれていた。
男たちの前に、年配の女が膝をついている。
そのそばに、若い娘が立っていた。
ミリアと同じくらいか、少し下だろう。
痩せていた。頬がこけ、腕は細い。けれど、目だけは大きく、まっすぐだった。茶色の髪を後ろで一つに結び、色の抜けた青い服を着ている。服は古いが、襟元だけはきちんと縫い直されていた。
娘は泣いていなかった。
泣いていないことが、かえって痛々しかった。
「行きます」
娘が言った。
「リィナ!」
膝をついていた女が叫ぶ。
「母さん、もういいよ」
リィナと呼ばれた娘は、母親の肩に手を置いた。
「これ以上、待ってもらえないよ」
「でも」
「弟たちがいる」
その言葉に、母親は声を失った。
ミリアは、胸の奥が重くなるのを感じた。
借金。
売られる娘。
弟たち。
聞かなくても、大体のことはわかってしまう。
ガルナが少しだけ顎を上げた。
「行くぞ」
「待って」
ミリアは言った。
「見ていく必要はない」
「見たくて見ているわけじゃありません」
「なら、なおさら行け。人間の揉め事だ」
「あなたも今は人の姿をしてます」
「姿だけだ」
ガルナは淡々と言った。
「それに、これは珍しいことではない。貧しい村には借金があり、借金には担保があり、担保にできるものが尽きれば、人が担保になる」
「珍しくないなら、放っておいていいんですか」
「珍しいかどうかと、放っておくべきかどうかは別だ」
「じゃあ」
「おまえに何ができる」
その言葉は鋭かった。
ミリアは口を閉じた。
何ができる。
薬草を採ることならできる。
傷に苔を当てることならできる。
熱を下げる煎じ薬を作ることならできる。
でも、借金を消すことはできない。
男たちを追い払う力もない。
この村の干上がった畑に水を戻すこともできない。
自分にできることなど、ほとんどない。
ミリアはそれを知っている。
それでも、足は動かなかった。
「見てるだけなら、邪魔だよ」
声がした。
リィナだった。
彼女はいつのまにか、ミリアたちを見ていた。
村人たちもこちらに気づき始めている。ガルナの黒髪と金色の目、ネリスの白い姿は、こんな村では目立ちすぎた。ミリアだけなら旅の娘で済んだかもしれないが、この三人では無理だった。
借金取りらしい男が、ミリアたちを見た。
「何だ、おまえら」
ガルナが一歩前へ出た。
それだけで、男は少し身を引いた。
人の姿とはいえ、ガルナは背が高い。肩も広い。黙って立つだけで、剣を抜く前の戦士のような圧がある。金色の目で見下ろされると、普通の人間なら言葉を選びたくなるだろう。
「旅の者だ」
ガルナは言った。
「水をもらいに寄った」
「水?」
男は鼻で笑った。
「この村に水が余ってるように見えるか」
「見えぬ」
「なら、通り過ぎろ」
「そうしたいのは山々だ」
ガルナはミリアを見た。
「だが、うちの娘が足を止めた」
うちの娘。
ミリアは思わずガルナを睨んだ。
「誰が」
「では何だ。首輪の持ち主か」
「黙ってください」
小声で言ったつもりだったが、ガルナには聞こえたらしい。少しだけ笑った。
リィナがミリアを見ている。
その目は警戒していた。助けを求める目ではなかった。むしろ、余計なことをするなと言っているようだった。
「あなた」
ミリアはリィナに声をかけた。
「本当に行くの?」
「行くしかないから」
「どこへ連れていかれるの」
リィナは笑った。
乾いた笑いだった。
「知ってどうするの」
「知りたいから」
「銀山の町。女中か、洗濯か、運が悪ければ坑夫たちの宿の仕事」
母親が泣き崩れた。
リィナは見なかった。
見れば、決心が崩れるからだろう。
「借金はいくら」
ミリアが聞くと、借金取りの男が声を荒げた。
「旅の娘に関係ない」
「聞いているだけです」
「聞くな」
男はリィナの腕をつかんだ。
その瞬間、ガルナの目が細くなった。
空気が変わった。
男は気づかなかった。
だが、ミリアにはわかった。ネリスもわかったのだろう。白い顔をさらに白くし、ガルナを見た。
ガルナは、まだ動いていない。
けれど、その内側で何かが起きかけている。
魔物だ。
ミリアは初めて、隣にいる女が本当に魔物なのだと思い出した。
「離せ」
ガルナが言った。
低い声だった。
男は顔をしかめた。
「あ?」
「その娘の腕を離せ」
「何様だ」
「今は、ただの旅人だ」
「なら口を出すな」
男がリィナの腕をさらに強く引いた。
リィナが顔を歪める。
ミリアが一歩踏み出そうとしたとき、ガルナの手が動いた。
速かった。
男の手首をつかむ。
ただそれだけだった。
骨が軋む音がした。
男が悲鳴を上げた。
ガルナは表情を変えない。握り潰すのではなく、逃げられない程度に締めているようだった。それでも、男の顔は青くなった。
「離せと言った」
ガルナが言う。
男の指が開き、リィナの腕から離れた。
ガルナも手を放す。
男は後ろへよろめき、仲間たちが慌てて支えた。
「この女」
一人が短剣に手をかけた。
ミリアは息を呑んだ。
ガルナが笑った。
笑っただけだった。
だが、男たちは動けなくなった。
金色の目が、ほんの少しだけ人のものではなくなった。
瞳孔が縦に裂け、口元から白い牙が覗いた。黒い髪が風もないのに持ち上がる。彼女の背後に、山ほどもある影が一瞬だけ立ち上がった。
借金取りたちは凍りついた。
村人たちも、声を失った。
ミリアも動けなかった。
ガルナは静かに言った。
「剣を抜くなら、こちらも少しだけ本気を出す」
少しだけ。
その言葉が、いちばん怖かった。
男たちは短剣から手を離した。
先ほど手首をつかまれた男が、脂汗を浮かべながら呻く。
「魔女か」
「違う」
ガルナは言った。
「魔物だ」
なぜ正直に言うのか。
ミリアは頭を抱えたくなった。
男たちはさらに青ざめた。
村人の何人かが悲鳴を上げる。子供が泣いた。母親が娘を背に庇う。
リィナだけが、ガルナを見上げていた。
怖がっていないわけではない。
体は震えている。
だが、その目は逸れていなかった。
「魔物でも」
リィナは言った。
「借金は消えないよ」
ガルナがリィナを見る。
「度胸があるな」
「度胸じゃない。知ってるだけ」
リィナは自分の腕を押さえた。
「この人たちが帰っても、また来る。別の人たちが来るかもしれない。もっと悪い人たちが来るかもしれない。魔物が一度脅かしたくらいで、帳面の字は消えない」
その言葉に、村人たちが俯いた。
ミリアはリィナを見た。
この娘は、全部わかっている。
自分が連れていかれることも、逃げられないことも、助けられても一時しのぎにしかならないことも。
だから泣かないのだ。
泣けば、自分が可哀想になってしまうから。
「帳面はどこ」
ミリアは借金取りに聞いた。
男は答えなかった。
ガルナが一歩近づいた。
「帳面はどこだそうだ」
男は慌てて荷車の中を指した。
仲間の一人が革袋から帳面を取り出す。
ガルナはそれを受け取り、ミリアに渡した。
「読めるか」
「少しは」
ミリアは帳面を開いた。
数字と名前が並んでいる。村の家々の名前。借りた銀貨の額。利子。返済日。遅延。追い貸し。知らない言葉も多い。
だが、一つだけわかった。
「多すぎる」
ミリアは呟いた。
リィナの家の借りた額は、最初はそれほど大きくない。
干ばつの年に種麦を買うための銀貨。弟の熱の薬代。母親の足の怪我で働けなかった月の食料。
だが、利子が重なっている。
返せないからまた借りる。
借りるからさらに増える。
首輪だ。
ミリアはそう思った。
一度かかると、外せない。
外すために別のものを差し出す。
差し出しても終わらず、むしろ強くなる。
違う形の首輪が、この村にもある。
「この利子はおかしいです」
ミリアが言うと、男は鼻で笑った。
「契約だ。本人たちが指印を押してる」
「読めない人たちに?」
「読めないなら、読める者に聞けばよかったんだ」
「ひどい」
「ひどいかどうかじゃない。契約だ」
男は痛む手首を押さえながら言った。
「銀山の商会は、こういう村に種も薬も貸してやってる。返せないなら、働いて返す。当然だろう」
「娘を売るのが当然なんですか」
「売るんじゃない。奉公に出すんだ」
「戻れるの?」
男は笑った。
「働き次第だな」
戻れない。
その笑い方でわかった。
ミリアは帳面を握りしめた。
ガルナなら、ここにいる男たちを追い払える。
荷車を壊し、帳面を燃やし、短剣を折ることもできるだろう。
でも、それで終わるのか。
リィナの言う通り、別の者が来る。
商会が来る。
もっと強い武装をした者が来る。
それでも、今リィナを連れて行かせることはできない。
ミリアは首元の布を押さえた。
その下で、首飾りが冷たく光った気がした。
ガルナがこちらを見た。
「どうする」
「どうするって」
「渡すか」
ミリアは顔を上げた。
ガルナの声は低かった。
だが、村人には聞こえないほどではない。ネリスが息を呑んだ。
「何を」
「首飾りだ」
ミリアは凍りついた。
「今、その話をするんですか」
「今だからする」
ガルナはリィナを見た。
「この娘はここから出たい。おまえの首飾りは美しい。力もあるように見える。欲しいと言わせるのは難しくない」
「最低です」
「首輪を外すとは、そういうことだ」
ガルナの目は揺れなかった。
「目の前に都合のよい相手が現れる。苦しんでいる相手なら、なおよい。相手は自分から欲しがる。こちらは譲るだけで自由になる。罪の形は、少しだけぼやける」
「ぼやけません」
「そうか?」
ガルナは静かに言った。
「おまえは今、考えなかったか。この娘が欲しがってくれれば、と」
ミリアは、すぐに否定できなかった。
その沈黙が、自分で怖かった。
考えなかったわけではない。
一瞬だけ、思った。
この娘が欲しいと言えば。
自分が譲れば。
首輪は外れる。
そうすれば、自分は自由になる。
同時に、この娘は別の場所へ行けるかもしれない。
首輪の力で、売られずに済むかもしれない。
この村から出られるかもしれない。
そんな都合のいい言い訳まで、ほんの一瞬で浮かんだ。
首輪がそうさせたのか。
それとも、自分の心がもともとそうだったのか。
ミリアにはわからなかった。
布の下で、首飾りが少し温かくなった。
「ミリア」
ネリスが言った。
その声は、かすれていた。
「だめです」
ミリアは振り返った。
「あなたが言うの?」
ネリスは唇を噛んだ。
「はい」
「あなたが、だめって言うの?」
「はい」
「私にそれをしたあなたが?」
ネリスの顔が歪んだ。
ミリアは自分の声がひどいとわかっていた。
でも止まらなかった。
「それとも、この子に渡されたら困るの? 私のそばにいられなくなるから?」
「違います」
「じゃあ何」
「あなたが、後悔するからです」
ミリアは息を止めた。
ネリスの目は潤んでいた。
泣きそうな目。
森で見た目。
嘘をつく前の目。
「あなたは、私を恨んでいます。それでいいです。恨んでください。でも、同じことをしたら、あなたは私を恨むだけではいられなくなる。自分も恨むことになります」
ネリスの声が震えた。
「それは、だめです」
ミリアは何も言えなかった。
リィナが、二人を見ていた。
「首飾り?」
彼女の目が、ミリアの首元へ向かう。
ミリアは反射的に布を押さえた。
だが、少し遅かった。歩いているうちに布がずれ、首飾りの一部が見えていたのだろう。銀とも骨とも石ともつかない細い輪が、襟元から覗いている。
リィナの目が、それに吸い寄せられた。
「きれい」
小さな声だった。
ミリアの喉が締まった。
首輪が反応したのではない。自分が息を止めたのだ。
リィナは一歩近づいた。
「それ、何?」
ミリアは答えられなかった。
ガルナは黙っている。
ネリスも黙っている。
借金取りたちも、村人たちも、何が起きているのかわからず見ている。
「首飾り?」
リィナは言った。
「うん」
ミリアはようやく答えた。
「首飾り」
「高そう」
「高くない」
嘘だった。
値段などつけられないだろう。
人の人生より高い。あるいは、人の人生そのものを値にするものだ。
リィナは笑った。
初めて、少しだけ年相応の顔になった。
「高くないわけないよ。そんなの、この村じゃ誰も見たことない」
彼女は自分の首に触れた。
細い首だった。日に焼け、少し埃に汚れている。そこには何も巻かれていない。
「私も、そんなものがあれば」
リィナは呟いた。
「ここから出られるのかな」
世界が、少し静かになった。
ミリアの首飾りが、布の下で脈を打った。
欲しい。
まだその言葉は出ていない。
けれど近い。
とても近い。
リィナは首飾りを見ている。
そこに宝を見ているのか、力を見ているのか、逃げ道を見ているのか、ミリアにはわからない。
いや、わかる。
リィナは首飾りが欲しいのではない。
ここから出たいのだ。
売られるのではなく、自分の足で。
誰かの帳面に名前を書かれない自分が欲しいのだ。
弟たちを人質にされない自分が欲しいのだ。
母親を泣かせずに済む自分が欲しいのだ。
首飾りは、その形に見えただけだ。
「欲しいか」
ガルナが言った。
ミリアは振り返った。
「ガルナ!」
ガルナはリィナを見ている。
「その首飾りが、欲しいか」
リィナは戸惑った。
村人たちもざわめく。
「何を言ってるんだ」
借金取りの男が言った。
「その娘の装飾品まで担保にしようってのか」
ガルナは男を見なかった。
リィナはミリアを見る。
そして、首飾りを見る。
その瞳に、痛いほどの羨望が浮かんだ。
ミリアは息ができなかった。
言わないで。
心の中で思った。
言ってくれれば外れる。
その声も同時に、胸の奥で囁いた。
言わないで。
言って。
言わないで。
どれが自分の声かわからない。
首輪が温かい。
いや、熱い。
布の下で、まるで生きもののように震えている。
リィナは唇を開いた。
「欲しい」
小さな声だった。
ミリアは目を閉じた。
条件は、一つ満たされた。
誰かが欲しいと言った。
あとは、今の持ち主が譲ればいい。
ミリアが言えばいい。
では、差し上げよう。
ただそれだけで、首輪は外れる。
喉が自由になる。
息が自分のものになる。
夢に出る輪も、声を食べる呪いも、自分から離れる。
そして、リィナの喉に巻きつく。
ミリアは目を開けた。
リィナは真っ直ぐこちらを見ていた。
期待している顔ではない。
何かをもらえると思っている顔でもない。
ただ、言ってしまった自分に驚いている顔だった。
欲しい。
その一言が、自分の口から出たことに、リィナ自身が戸惑っている。
ミリアは、一歩近づいた。
ネリスが息を呑む。
ガルナは見ている。
首飾りが、少し緩んだ気がした。
今なら外れる。
そんな感覚があった。
首輪がミリアを誘っている。言え、と。差し出せ、と。これは救いだ、と。おまえも助かり、この娘も何かを得るかもしれない、と。
ミリアはリィナの前に立った。
「リィナ」
名前を呼ぶと、リィナはびくりとした。
「何」
「あなたは、これが欲しいの?」
ミリアは布を外した。
首飾りが露わになる。
村人たちが息を呑んだ。
借金取りたちも目を見開く。
陽を受けた首飾りは、美しかった。
銀よりも白く、骨よりも滑らかで、石よりも冷たい光を放っている。細い輪なのに、見る者の目を縛るような力があった。
リィナの目が揺れた。
「……欲しい」
彼女はもう一度言った。
首輪がさらに熱くなる。
「これがあれば、あなたはどうなると思う?」
「わからない」
「ここから出られると思った?」
「思った」
「売られずに済むと思った?」
リィナは黙った。
「強くなれると思った?」
リィナの唇が震えた。
「思った」
ミリアはうなずいた。
「私も、そう思いそうになった」
「え?」
「あなたがこれを欲しいと言えば、私は助かると思った。あなたに渡せば、私が自由になれると思った。しかも、あなたもここから出られるかもしれないって、都合のいいことまで考えた」
リィナはわけがわからない顔をした。
ミリアは首飾りに触れた。
「でも、違う」
首輪が、喉を締めた。
言うな。
そんな声が聞こえた気がした。
ミリアは歯を食いしばった。
「あなたが欲しいのは、これじゃない」
リィナの目が見開かれる。
「あなたが欲しいのは、売られない自分だよ」
村が静まり返った。
リィナの顔が歪んだ。
「そんなの」
声が震える。
「そんなの、あるわけない」
「ある」
「ないよ!」
リィナが叫んだ。
「借金がある。畑はだめになった。弟たちは小さい。母さんは足が悪い。父さんは銀山で死んだ。あるわけないよ。売られない私なんて、どこにもない」
「なら、作る」
ミリアは言った。
言ってから、自分で驚いた。
何を言っているのだろう。
作る?
どうやって?
ガルナがわずかに眉を上げた。
ネリスがミリアを見ている。
リィナは、泣きそうな顔で笑った。
「旅の人は簡単に言うね」
「簡単じゃない」
「じゃあ、どうするの」
ミリアは借金取りを見た。
男たちは警戒している。ガルナには怯えているが、まだ逃げてはいない。帳面がある限り、自分たちは正しいと思っている顔だった。
契約。
借金。
帳面。
それらは、首輪に似ている。
なら、首輪と同じように考えればいい。
誰かが望み、誰かが譲る。
条件が揃って、呪いは移る。
この借金も、条件でできているはずだ。
帳面に書かれた字。利子。担保。奉公。商会の名前。
ミリアは帳面を開いた。
「この村の水を止めたのは、銀山の商会ですか」
借金取りの男が顔をしかめる。
「何の話だ」
「川を鉱山へ引いた。畑がだめになった。作物が採れない。だから村は借りるしかなかった」
「それは領主が許可したことだ」
「でも、この帳面では不作を理由に貸している」
「だから何だ」
「原因を作った商会が、困った村に高い利子で貸している」
男は鼻で笑った。
「小娘が、賢そうな口を利くな」
「小娘でも読めるくらい、わかりやすいです」
ミリアは帳面の一部を指した。
「ここ。リィナの家は最初の借り入れの倍以上をもう返している。それなのに元金が減っていない。利子が利子を生んでいるから」
「契約だと言った」
「この契約は、誰が読んで説明したんですか」
「村長だ」
村人たちの中から、老人がびくりと肩を震わせた。
村長らしい。痩せた老人で、目を伏せている。
ミリアは老人を見た。
「本当に説明しましたか」
老人は答えない。
「読めるんですか」
老人の唇が動いた。
「少しは」
「少し?」
ミリアは帳面を持ち上げた。
「これを少し読める人が、村中の借金を説明したんですか」
借金取りの男が苛立ったように舌打ちした。
「だから何だ。村長が印を押した。各家も押した。契約は成立している」
ガルナがミリアの横に来た。
「帳面を燃やすか」
「だめです」
「なぜ」
「それをしたら、この人たちはもっと悪い証文を持ってくる」
「では、男たちを埋めるか」
「もっとだめです」
「面倒だな」
「面倒なんです、人間は」
ミリアはそう言ってから、ガルナを見た。
「あなたも今は巻き込まれています」
「そうだったな」
ガルナは少しだけ楽しそうだった。
ミリアは深呼吸した。
考える。
何ができるか。
力で追い払うだけではだめ。
帳面を燃やすだけでもだめ。
借金を代わりに払う金もない。
なら、相手が困るものは何か。
「この村の人たちは、銀山で働いているんですか」
ミリアが聞くと、リィナが答えた。
「男の人は何人か。父さんも行ってた」
「亡くなったの?」
「坑道が崩れた。補償は出なかった。契約外の作業だったって」
リィナの声は乾いていた。
何度も自分に言い聞かせた言葉のようだった。
「女の人は?」
「洗濯や炊事に行ってる人もいる。でも、戻れなくなる人もいる」
「戻れなくなる?」
リィナは答えなかった。
答えなくてもわかる。
わかりたくないが、わかった。
ミリアは借金取りを見た。
「この人たちを全員連れて行くと、村はどうなりますか」
「知るか」
「畑はさらに荒れる。井戸を守る人も減る。あなたたちは来年、もっと貸すことになる」
「それが仕事だ」
「でも、働き手がいなくなれば、返す人もいなくなる」
男は少しだけ黙った。
ミリアは続けた。
「銀山に必要なのは、働く人ですか。それとも、逃げ出しそうな娘ですか」
「何が言いたい」
「この村から、季節ごとに働き手を出す契約に変えればいい。家ごとに一人ずつ、期間を決めて。借金はその賃金から引く。でも、娘を一人連れて行くのはだめです」
村人たちがざわめいた。
リィナも驚いた顔をしている。
借金取りは笑った。
「小娘が商売の話をするな。そんな条件、誰が飲む」
「あなたたちは飲まなくてもいい。でも、商会は考えるかもしれない」
「なぜ」
「この村には、魔物が来たからです」
ミリアはガルナを見た。
ガルナが片眉を上げる。
「私か」
「あなたです」
「私を使うのか」
「使えるものは使います」
ガルナは声を立てて笑った。
「よい。少し気に入った」
ミリアは借金取りに向き直った。
「銀山の商会に伝えてください。この村から娘を一人連れて行けば、魔物が怒る。けれど、村ごと働く契約に変えるなら、魔物は黙っている」
「そんな脅しが」
男が言い終える前に、ガルナが本当の姿の影を広げた。
姿そのものが巨大化したわけではない。
だが、背後の影だけが膨らんだ。山ほどの大女の影。雲を突く肩。金色の目。村の家々が、その影に呑まれる。
風が逆巻き、乾いた土が舞った。
男たちの荷車が軋む。
馬がいれば逃げ出しただろう。幸い、荷車を引いていたのは痩せた驢馬で、腰を抜かしてその場に伏せただけだった。
「怒るぞ」
ガルナが言った。
短い言葉だった。
十分だった。
借金取りたちは顔を引きつらせた。
「商会が信じると思うか」
「信じさせるものを渡します」
ミリアは言った。
「何を」
ミリアはガルナを見た。
「何か、魔物らしいものをください」
「雑な頼みだな」
「急いでます」
ガルナは少し考え、自分の黒い髪を一本抜いた。
その髪は抜かれた瞬間、細い黒蛇のようにうねった。ガルナが息を吹きかけると、髪は固まり、黒銀色の針になった。
「これを商会の帳場に刺せ」
ガルナは借金取りに投げた。
男は慌てて受け取り、すぐに悲鳴を上げた。針は冷たいのか熱いのか、彼の掌で煙を上げている。
「抜けば、煙は消える。捨てれば、私が行く」
「な、何を」
「商会に伝えろ。川を返せとは言わぬ。だが、村を殺して銀を掘るな。娘を首輪にして金を返させるな」
娘を首輪に。
ミリアはガルナを見た。
ガルナは、わざとそう言ったのだろうか。
借金取りは震えながら頷いた。
「わ、わかった。伝える。伝えるから」
「帳面は置いていけ」
ガルナが言った。
「それは」
「写しはあるのだろう」
男は言葉に詰まった。
あるのだ。
ミリアは苦く思った。
やはり帳面を燃やしても終わらなかった。
「置いていけ」
ガルナがもう一度言うと、男は帳面を投げ出した。
「今日のところは帰る。だが、これで済むと思うなよ」
捨て台詞は震えていた。
それでも言わずにはいられないのだろう。
男たちは荷車を引き、逃げるように村を出ていった。
驢馬だけが立ち上がるのに少し時間がかかり、最後に荷車をがたがた揺らして道の向こうへ消えた。
村には、静けさが残った。
誰もすぐには声を出さなかった。
リィナの母親が、リィナに抱きついた。
その瞬間、リィナの体から力が抜けた。泣いていなかった娘が、初めて泣いた。声を殺して、母親の肩に顔を埋めた。
ミリアはそれを見て、少しだけ息を吐いた。
終わっていない。
何も解決していない。
商会が本当に条件を変えるかどうかもわからない。もっと悪いことになるかもしれない。
それでも、今日リィナは連れて行かれない。
それだけは、確かだった。
ガルナがミリアの横に立った。
「おまえは自由になる気があるのか」
低い声だった。
ミリアは首飾りに触れた。
「あるよ」
「なら、なぜ渡さない」
ガルナはリィナを見た。
「あの娘は欲しいと言った。条件は揃いかけた。おまえが譲れば外れたかもしれぬ」
「揃いかけただけです」
「譲れば揃った」
「譲りません」
「なぜ」
ミリアはリィナを見た。
母親に抱かれ、ようやく泣いている娘。
さっきまで、自分の足で売られに行こうとしていた娘。
首飾りを見て、ここから出られるかもしれないと言った娘。
あの顔を知っている。
森の入口で、首輪が喉に巻きついたときの自分の顔。
何が起きたかわからず、助けたはずの相手に騙されたと知り、怒りと恐怖と絶望が一度に押し寄せた顔。
あんな顔を、誰かにさせるのか。
ミリアは首飾りから手を離した。
「私と同じ顔をする人を、見たくないから」
ガルナは黙った。
ネリスも、何も言わなかった。
少しして、リィナが近づいてきた。
目元は赤い。けれど、泣き顔を見られたくないのか、顎を上げている。
「ありがとう」
リィナは言った。
「まだ何も終わってない」
ミリアは答えた。
「そうだね」
リィナはうなずいた。
「でも、今日は連れて行かれなかった」
「うん」
「それは、ありがとう」
ミリアは返事に困った。
リィナの目が、ミリアの首飾りへ向かう。
もう布で隠していない。
リィナはゆっくり言った。
「さっき、欲しいって言った」
「うん」
「本当は、怖かった」
ミリアはリィナを見た。
「欲しいって言った瞬間、自分が自分じゃなくなる気がした。変だね。ただの首飾りなのに」
「ただの首飾りじゃないから」
ミリアは小さく言った。
リィナは、深くは聞かなかった。
聞かない優しさというものもあるのだと、ミリアはそのとき知った。
「でも、あなたの言ったこと、少しわかった」
「何を」
「私が欲しかったのは、それじゃないってこと」
リィナは自分の首に触れた。
「私は、私の首を誰かの帳面に書かれたくなかったんだと思う」
銀の首。
ミリアは、その言葉を思い浮かべた。
銀山の借金。
銀貨の利子。
銀のように光る首飾り。
そして、売られそうになった娘の細い首。
どれも同じところへ繋がっているようだった。
「これから、どうするの」
ミリアが聞くと、リィナは母親のほうを見た。
「村長に、帳面を読める人を探してもらう。できれば、隣町の書記に頼む。商会の人が来る前に、みんなで何を返して、何が増えてるのか確かめる」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
リィナは少し笑った。
「でも、売られるよりはまし」
その笑い方が、ミリアには眩しかった。
救った、などとは言えない。
ただ、時間を稼いだだけだ。
それでも、その時間の中でリィナは次のことを考えている。
売られない自分を、作ろうとしている。
リィナはネリスを見た。
「あなた、大丈夫?」
ネリスが驚いたように顔を上げた。
「私ですか」
「さっきから、顔色が悪いから」
ミリアは息を止めた。
ネリスは一瞬、ミリアを見た。
そして、リィナに微笑んだ。
「大丈夫です」
「嘘っぽい」
リィナは即座に言った。
ミリアは思わず吹き出しそうになった。
ネリスは困った顔をした。
「よく言われます」
「誰に?」
リィナが聞く。
ネリスは少し迷い、ミリアを見た。
「最近、よく」
ミリアは目をそらした。
ガルナが低く笑った。
村人たちは、まだガルナを遠巻きにしていた。
魔物だと名乗ったのだから当然だろう。だが、リィナだけはあまり怖がっていないようだった。
「あの」
リィナはガルナを見上げた。
「魔物さま」
「さまはいらぬ」
「じゃあ、魔物さん」
「それも妙だ」
「では、ガルナさん」
ガルナは少し考えた。
「まあよい」
「ありがとうございました」
「私は少し脅しただけだ」
「それが助かりました」
「そうか」
ガルナはリィナを見た。
「おまえは、あの首飾りを欲しがった」
リィナは緊張したように頷いた。
「うん」
「二度と欲しがるな」
「うん」
「美しいものが、すべて救いとは限らぬ」
リィナはミリアの首飾りを見た。
それから、ミリアを見た。
「わかった」
その返事は、真剣だった。
ミリアは首元に布を巻き直した。
村人たちが井戸の水を分けてくれた。
本当に余裕がないのだろう。桶に半分ほどの水だった。それでも、ミリアは深く頭を下げた。リィナの母親が乾いたパンを一つ持たせてくれようとしたが、ミリアは断った。断ると母親が悲しそうな顔をしたので、結局三分の一だけ受け取った。
「全部持っていって」
母親は言った。
「いえ」
「助けてもらったから」
「全部はもらえません」
ミリアはパンを三つに割った。
「これで十分です」
そのうち一つをネリスに渡そうとして、手を止めた。
ネリスは食べないと言っていた。
だが、ネリスはその小さな欠片を見ていた。
「食べられる?」
ミリアは聞いた。
ネリスは少し驚いたあと、うなずいた。
「少しなら」
ミリアは欠片を差し出した。
ネリスは両手で受け取った。
まるで、とても大事なものをもらったように。
「ありがとうございます」
「お礼じゃない」
「はい」
「食べないと、歩けないかもしれないから」
「はい」
ネリスは小さくかじった。
本当に小さく。
それでも、少しだけ頬に色が戻ったように見えた。
気のせいかもしれない。
ミリアはそう思うことにした。
村を出るとき、リィナが見送りに来た。
「ねえ」
彼女はミリアに声をかけた。
「あなた、名前は?」
「ミリア」
「ミリア」
リィナはその名を繰り返した。
「私はリィナ」
「知ってる」
「そうだった」
リィナは少し笑った。
「ミリア。あなたは、その首飾りを外したいんだよね」
ミリアは頷いた。
「うん」
「でも、私には渡さなかった」
「渡せなかった」
「渡さなかったんだよ」
リィナは言った。
「そこは、ちゃんと言って」
ミリアはリィナを見た。
リィナの目は、泣いたあとなのに強かった。
「渡さなかった」
ミリアは言い直した。
リィナはうなずいた。
「なら、きっと次も渡さないよ」
「わからない」
「わからなくても、私はそう思う」
そう言って、リィナは自分の首を指で押さえた。
「私、たぶん一生、今日のことを思い出す。きれいなものを見て、それが欲しいと思ったとき。誰かに言われたものが、自分の欲しいものだと思いそうになったとき。あの首飾りを思い出す」
ミリアは何も言えなかった。
「だから、あなたも思い出して」
「何を」
「私が、欲しいって言ったけど、欲しかったのはそれじゃなかったこと」
リィナはそう言って、村のほうへ戻っていった。
ミリアはその背を見送った。
ガルナが隣で言った。
「面白い娘だったな」
「売ろうとしてましたよね」
「売ろうとはしていない。渡せるか試した」
「同じです」
「違う」
「私には同じです」
ガルナは少し黙った。
「おまえは、あれでよかったと思っているのか」
「わかりません」
「助けたつもりか」
「それもわかりません」
「では、何をした」
ミリアは道の先を見た。
遠くには、まだ黒い煙が上がっている。
銀山の煙。
リィナの父が死んだ場所。
この村の水を奪った場所。
「今日は、渡さなかった」
ミリアは言った。
「それだけです」
ガルナは、珍しく何も言わなかった。
ネリスが少し後ろを歩いている。
パンの欠片を両手で持ち、少しずつ食べている。白い髪が風に揺れ、その輪郭は朝よりもいくらかはっきりして見えた。
ミリアは前を向いた。
首飾りはまだ喉にある。
外れていない。
冷たく、重く、離れない。
だが、ほんの少しだけ、首輪が機嫌を損ねたような気がした。
それでいい。
ミリアは思った。
私が苦しむのなら、せめておまえも思い通りにはならないで。
道は続いている。
町はまだ遠い。
次に誰が首飾りを欲しがるのか、ミリアにはわからない。
それでも、一つだけ覚えておこうと思った。
欲しいという言葉は、ときどき嘘をつく。
人は、自分が本当に欲しいものの名前を、いつも正しく言えるわけではない。
だから、聞かなければならない。
あなたが欲しいのは、本当にこれなのか。
自分自身にも、いつか同じことを聞かなければならないのだろう。
私は、何が欲しいのか。
首輪から自由になりたい。
村へ帰りたい。
祖母に会いたい。
ネリスを許したくない。
でも、消えてほしくもない。
その最後の一つを思い浮かべてしまい、ミリアは眉を寄せた。
まだ違う。
まだ、そこまで考える必要はない。
前を歩くガルナが言った。
「急げ。日が傾く前に、次の宿場へ入る」
「はい」
ミリアは歩き出した。
後ろでネリスが小さく咳をした。
ミリアは振り返らなかった。
ただ、歩く速さをほんの少しだけ落とした。




