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四十七歳、現役ラノベ作家。オリコンランカーだけれど生活はまだ会社員のままだ  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第70話 削った説明のぶんだけ、主人公は少しだけ残酷に残る

 高梨から返信が来たのは、翌日の午後だった。


 しかも、いかにも高梨らしいタイミングだった。

 こちらが仕事に一番集中しなければならない時間帯を、たぶんまったく狙っていないのに、結果としていちばん効く時間に送ってくる。


 営業管理課の島では、午後二時台特有の鈍い疲れが広がっていた。


 昼の会議は終わった。

 営業部は相変わらず夢見がちだったが、部長が数字を現実へ戻し、榎本がそのあとの修正を無言でこなしている。三浦は先方への文面の結びに「引き続き」を入れるかどうかでまた悩み、本城は共有フォルダへ上げる一覧の最終確認をしていた。


 私は営業部から戻ってきた資料へ赤を入れながら、昼の会議で削りきれなかった言い回しを一つずつ整えていた。


 その時、私物スマホが短く震えた。


 私は一拍だけ迷ってから、机の陰で画面を見た。

 高梨だった。


 件名もなく、本文だけの短いメッセージ。


『今回の直し、かなり良いです。

 削った説明のぶんだけ、主人公が少しだけ残酷に残るようになりました。

 そこが良いです。

 今夜、少しだけ話せますか』


 私はその文面を見て、しばらく動けなかった。


 主人公が少しだけ残酷に残る。


 高梨は時々、こちらが自分でまだ言葉にしきれていない核心を、あっさり先に言ってしまう。

 今回もそうだった。


 説明を削った。

 主人公を守るために先回りしていた言葉を消した。

 その結果、主人公は少しだけ不親切になり、少しだけ危うくなり、少しだけ残酷に見えるようになった。


 でも、それが良い。


 私はその評価に、かなり深いところで救われた気がした。

 削りすぎたのではないか。

 嫌な人間に寄せすぎたのではないか。

 読者が置いていかれるのではないか。

 そういう不安が、完全ではないにせよ少しだけ整理されたからだ。


「係長」


 榎本が資料を持ってくる。

「この案件、先方の返答待ちの注記ここでいいですか」


 私はスマホを伏せ、すぐに仕事の顔へ戻した。

「ああ、そこはそれでいい。日付だけ入れて」


「了解です」


 榎本が去っていく。


 私は資料へ目を戻したが、頭の中ではもう高梨の一文が何度も繰り返されていた。


 少しだけ残酷に残る。

 そこが良い。


     ◇


 その日の午後は、妙に長かった。


 仕事そのものは特別重くない。

 だが、一つひとつの処理のあいだに、どうしても高梨の言葉が差し込まれる。


 主人公が残酷に残る。

 良い。

 今夜話せるか。


 話せる。

 もちろん話せる。

 むしろ、いま一番話したい相手は高梨かもしれなかった。

 ただ、その“話したい”が少し悔しいのも事実だった。


 結局私は、いま書いているこの企画を、自分一人ではもう完全には握れていないのだ。

 高梨の赤が入り、

 高梨の言葉で整理され、

 高梨の戦い方で会議へ出される。


 それをありがたいと思う一方で、少しだけ怖くもある。

 作品が“自分のものだけではなくなる”感じは、やはりあるからだ。


 だが、そこまで行かなければ商業にはならない。

 それもまた、四十七歳の私はもう分かっている。


「今日は、少し機嫌いいですね」


 不意に本城が言った。


 私は資料から目を上げた。

「そう見えるか」


「悪い疲れではないです」


 彼女はいつものように、あまり大げさな顔をしない。

 ただ一覧を揃えながら、ごく自然に言う。


「でも、安心してる感じでもないので」


 私は少しだけ笑った。

「細かいな」


「今日はたぶん、“少しだけ報われたけど、まだ怖い”顔です」


 私はそこで、本気で返事に詰まった。


 少しだけ報われたけど、まだ怖い。

 それは今日の私をかなり正確に言い当てていた。


 高梨に肯定された。

 会議で一度止まったあと、改稿の方向も間違っていなかった。

 それはたしかに報われた感じだ。


 でも、まだ怖い。

 再提出もしていないし、その先の結果も分からない。

 主人公をどこまで危うくしていいかも、まだ完全には掴みきれていない。


「……そんな顔か」


 私が言うと、本城は小さくうなずく。

「今日はかなり分かりやすいです」


 私は思わず苦笑した。

「最近、ほんとに便利なんだか不便なんだか分からないな」


「係長にとっては、ずっと不便だと思います」


 その返しに、私は少しだけ声を出して笑った。

 榎本が何ですかとこちらを見たが、私は「いや、何でもない」とだけ返した。


 何でもない、わけではない。

 だが、会社で説明する種類の何かでもない。


 ただ、本城のその言い方もまた、新企画へ確実に流れ込んでいく。

 この人はもう、本当にそういう存在になってしまっている。


     ◇


 夜、帰宅して夕食を済ませ、風呂から上がると、私は約束通り高梨へ連絡した。


 電話は二十二時を少し回っていた。

 真由美も結衣も、もうそれぞれの部屋にいる。家の中は静かで、書斎のドアを閉めると外の生活音が少し遠くなった。


「もしもし」


『お疲れさまです』


 高梨の声はいつも通りだ。

 だが、今日はどこか少しだけ機嫌がいいようにも聞こえる。


「さっきのメッセージ、見た」


『はい』


「残酷に残る、って言い方、好きだな」


 私がそう言うと、高梨は少しだけ笑った気配を混ぜた。

『よかったです』


「どういう意味で使った?」


 私は椅子へ座りながら聞いた。


『主人公が、自分で自分を早く説明しなくなったんです』


 高梨はすぐに答えた。


『前の稿だと、この人はこういう防御の癖があって、こういうふうに傷つく人で、だからこうなんです、って、先生が少し先回りして守ってた感じがあったんです』


「うん」


『でも今回、それが減った。

 だから読者は、この人の嫌なところや危ういところを、説明ではなく行動で受け取るしかなくなった。

 それって少し残酷なんですけど、そのぶん残るんですよね』


 私は黙って聞いていた。


 正しい。

 かなり正しい。


 自分でも分かってはいた。

 だが、こうして言葉にされると、改稿の意味がはっきりする。


「読者に優しくないかな、とも思った」


 私は正直に言った。


『優しくはないと思います』


 高梨はあっさり言った。


『でも、優しくないことと、読めないことは違うので』


 その一言が深く入る。


 優しくない。

 でも、読めないわけではない。


『今回の直しって、先生の主人公を丸くするんじゃなくて、“この人、嫌だけど目が離せない”の状態へ持っていくためのものなんです』


「うん」


『そこへかなり近づいたと思います』


 私は椅子にもたれ、目を閉じた。

 ようやく、少しだけ安心する。


 まだ結果は何も出ていない。

 再提出もこれからだ。

 だが、少なくとも方向は見えている。


 主人公を好かせるためではなく、

 主人公を残すために削る。

 その方向が間違っていない。


「会議で強く推してくれた人も、たぶんそこを見てたのか」


『そうだと思います』


 高梨が言う。


『“嫌われるかもしれないけど残る”って、要するにそういうことだと思うので』


 私は息を吐いた。

 第四章の最後から、ずっと自分の中にあったテーマが、ここでもまた別の形で返ってきている。


 残る。

 名前が残る。

 主人公が残る。

 作品が残る。


 会議を通るだけではなく、残るほうへ行く。


 たぶん今の私は、ようやくそこを本気で欲しがり始めているのだろう。


     ◇


「じゃあ、再提出版としては」


 私は少しだけ前へ身を乗り出した。

「もう一段だけ詰めれば出せる感じか」


『はい。かなり』


「どこを最後に詰めるべきだと思う」


 高梨は少し考えてから言った。


『ホテルの夜のあと、会社へ戻ってきた主人公が“何をまだ分かっていないか”を、もう半歩だけ強くしたいです』


「まだ分かっていないこと」


『はい。

 いまの稿だと、主人公はもうかなり自分の危うさに近づいてるんですけど、読者のほうが少しだけ先に気づける余白が、あと半歩あるともっと強いと思います』


 私はその指摘に、深くうなずいた。

 昨日から考えていたところだ。


「反省をもう少し遅らせるか」


『たぶん、その方向です』


「嫌なやつの時間を、もう少し長くする」


『そうです。

 でも嫌なやつにしすぎるんじゃなくて、“この人まだ整理できてないな”の時間を長くする感じで』


 その整理が、いかにも高梨らしかった。

 単純な毒強化ではない。

 読者が主人公を見捨てないぎりぎりの線で、危うさの滞在時間を伸ばす。


 それが今のこの作品の勝ち筋なのだろう。


「わかった」


 私は言った。

「そこ、やる」


『お願いします』


 少し沈黙が落ちる。

 悪い沈黙ではない。


「高梨」


『はい』


「今回のこれ、たぶん俺、一人だとまた守りに戻ってたと思う」


 私はかなり素直に言っていた。

 高梨はすぐには返さなかったが、やがて静かに言った。


『先生は、守りに戻るのが悪いわけじゃないと思います』


「うん」


『ただ、今回は戻るとたぶん残らないです。

 だから戻さないように、こっちも戦ってる感じです』


 私はその言い方に、少しだけ胸が熱くなった。


 通すためじゃなく、

 残すために戦っている。


 それは編集としてかなり厄介で、かなりありがたい立場なのだろう。


「助かる」


 私が言うと、高梨は少しだけ笑った。

『こちらこそです』


     ◇


 電話を切ったあと、私はしばらく机の前で動かなかった。


 デスクライトの下には、見本誌と会社の手帳と健康診断の紙。

 いつもの机だ。

 だが、いまの私はそこに少し違う温度で座っている。


 会議で一度止まり、

 高梨の赤が入り、

 改稿し、

 その改稿が“残酷に残る”と言われた。


 ここまで来て、ようやくはっきりすることがある。


 この企画は、もう次を決めるためだけの案ではない。

 自分が何を残したいか、その形そのものに近づいている。


 だから怖い。

 でも、怖いだけではない。

 少しだけ、嬉しい。


 私はメモ帳を開き、今日の最後の一文を書いた。


 高梨は、会議を通すためじゃなく残すために戦っている。

 だから、こちらも自分を守るための嘘へ戻れない。


 そこまで書いて、私は静かにうなずいた。


 次にやることは見えている。

 主人公がまだ分かっていないことを、あと半歩だけ長く残す。

 読者のほうが少しだけ先に気づく時間を作る。

 その直しができれば、再提出版はかなり強くなるはずだ。


 今夜の私は、その方向をかなり信じられていた。

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