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四十七歳、現役ラノベ作家。オリコンランカーだけれど生活はまだ会社員のままだ  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第66話 高梨の赤は、否定じゃなくて前進のために入る

 翌朝、通勤電車の中で高梨から返信が来た。


 かなりいいと思います。

 入口を会社側へ寄せたのは正解です。

 夜のホテルパートも、後ろに回したぶん効いてます。

 今日中に、気になったところだけ赤を入れて返します。


 私はその短い文面を三回読み返した。


 かなりいい。

 正解。

 効いてます。


 そこまでは素直に嬉しい。

 だが、その次の一文が、やはり作家としては少しだけ身構えさせる。


 気になったところだけ赤を入れて返します。


 赤。

 編集の赤。

 それはたいてい正しい。

 たいてい正しいが、自分の文章の呼吸へ他人の手が入る感覚でもある。

 しかも今回は、ただの現行シリーズの調整ではない。会議で一度止まり、再提出を前提にした、かなり大事な改稿だ。


 私は吊り革につかまりながら、窓に映る自分の顔を見た。

 少しだけ緊張している。

 でも、悪くない緊張だ。


 高梨の赤は、たぶん今回、敵ではない。

 そこまではもう分かっている。

 問題は、その正しさをどこまで自分の熱と両立させられるかだ。


     ◇


 出社すると、営業管理課は朝から少しだけ慌ただしかった。


 榎本が営業部から戻ってきた見込み表を見て、無言で口をへの字にしている。

 三浦は先方への返信文の最後に“引き続き”を入れるかどうかで悩んでいた。

 本城は一覧の差し替えを終え、会議資料のページ番号まで揃えている。

 部長はまだ来ていない。


「おはようございます」


 本城が言う。

「おはよう」


 私は返しながら席へ座った。


 今日は、昨日までとは少し違う頭の使い方をする日だと分かっていた。

 仕事をしながら、高梨の赤を待つ。

 そして届いたら、その赤を“ただの直し”ではなく、“前進のための修正”として受け止めなければならない。


 気が重い。

 でも、どこかで少し楽しみでもあった。


     ◇


 十時半過ぎ、本城が一覧を机へ置いた。


「午前会議、これで大丈夫だと思います」


「ありがとう」


 私は受け取り、ざっと目を通す。

 相変わらずきれいだ。順番も、見出しも、補足の入れ方も無駄がない。


「今日は昨日より少しましですね」


 本城が言った。


 私は資料から目を上げる。

「何が」


「待ってる感じはあるけど、悪いほうじゃないです」


 またそれだ。

 疲れ方、待ち方、その分類。

 いまや私はそれに半分慣れてしまっている。


「今日は何の分類なんだよ」


 本城は少しだけ考えてから答えた。


「結果を待つというより、返ってくるものを受け取る準備をしてる顔です」


 私は一瞬だけ黙った。

 その言い方は、やけに正確だった。


 待つ、ではなく、受け取る準備。

 たしかに今日の私はそうだ。


 企画会議の結果そのものはもう一度受け取っている。

 今度来るのは、高梨の赤だ。

 それは否定ではない。

 でも、こちらの原稿へ他人の手が入ることには変わりない。

 だから、少しだけ構えている。


「便利なのか不便なのか、やっぱり分からないな」


 私が言うと、本城は淡々と返した。

「係長にとっては、たぶん不便なほうです」


「だろうな」


 本城はそれ以上踏み込まず、自席へ戻った。

 私は資料を見ながら、頭の中でその一文をメモする。


 返ってくるものを受け取る準備をしてる顔。


 いい。

 かなりいい。

 本城はやはり、こういう“名前のついていない待ち方”に小さな名前を与えるのがうまい。


     ◇


 午前の会議はいつも通り、少し長かった。


 営業部は“悪くない反応”をまた“前向きな感触”へ寄せたがり、部長はそれを止める。私はその中間で、“どこまでなら言い過ぎじゃないか”を調整する。


「“前向き”は消したほうがいいです」


 私は資料を見ながら言った。

「今の段階では、“継続協議”だけで十分かと」


 営業部の課長が苦笑する。

「佐伯さん、最近ほんと、入り口の見せ方に厳しいですね」


 その一言に、私は少しだけ内心で反応した。


 入り口の見せ方。

 まさに昨夜からやっていることだ。

 新企画の主人公のみっともなさを守ったまま、読者が半歩だけ長く見ていられる入口を作ること。

 それを、今ここで仕事の会議でもやっている。


「入り口で期待値を上げすぎると、後がきついんですよ」


 私はそう返した。


 言ってから気づく。

 それは仕事の話でもあり、企画の話でもある。

 高梨の赤が入る前から、私はもう“入口”という言葉で考え始めている。


 会議を終えて自席へ戻る頃には、頭のどこかが少しだけ熱を持っていた。


     ◇


 昼休みの少し前、私物スマホが震えた。


 高梨だった。


 私は一瞬だけ指先を止め、それから画面を開く。


 添付ファイル付きの短いメッセージ。


『赤入れしました。

 かなり細かいですが、基本は前進方向の修正です。

 “壊すための赤”ではないので、その前提で見てもらえると』


 私はその最後の一文に、小さく息を吐いた。


 壊すための赤ではない。


 そこを先に書いてくるあたりが、高梨らしい。

 たぶん彼も分かっているのだろう。いまの私が、この企画にかなり神経を使っていることを。会議で一度止まったあとだからこそ、赤が“否定”に見えやすいことを。


 私は昼休みまで待とうかと思った。

 だが無理だった。

 気になる。

 しかも、こういうものは早く見たほうが変な想像を育てなくて済む。


 私は社内メールを最小化し、添付を開いた。


 Wordのコメント欄が右に並ぶ。


 最初の赤は、冒頭の一文の少し下だった。


 「ここ、主人公の“少しおかしい日”は伝わるが、読者が“何が起きたのか”へ興味を持つ一押しがもう半歩ほしい」


 私はそれを読んで、まず安心した。

 否定ではない。

 しかも正しい。


 次。


 「本城由来の女の気配がかなり効いている。ただ、一話目で察しがよすぎると“便利”に見えるので、視線は残して台詞を一つ減らしてもいいかも」


 これも、正しい。

 かなり正しい。

 私が直しかけていたところだ。


 次。


 「ホテルの夜のパートは良い。削らないで、読者が“いまのこの人は何を持って翌朝へ来ているのか”が分かる順番へ並べ替えたい」


 私はそこで、ようやく肩の力を少し抜いた。


 これは本当に、壊すための赤ではない。

 高梨は、この企画の熱を残したまま通る形へ寄せようとしている。


 私はコメントを一つずつ追いながら、だんだん冷静になっていった。

 直すべき場所はある。

 でも、それは“ここが弱いから”ではない。

 “ここが強いから、もっと届くようにする”ための赤だ。


 その違いは大きかった。


     ◇


「係長」


 声をかけられて、私は慌てて画面を閉じた。


 三浦だった。

「昼、行かないんですか」


「あ、行く」


 私は立ち上がった。

 少しだけ心拍が早い。

 だが、それは悪いものではない。


 社員食堂へ向かう途中、榎本が言う。

「今日はなんか、朝より顔がいいですね」


「そうか?」


「はい。なんか“削られてる”より“噛み合ってきた”顔です」


 私はその言い方に少し驚いた。

 最近の営業管理課は本当に人の顔を見すぎる。


 本城は少し後ろを歩きながら、静かに言った。

「返ってきたんですね」


 私は一瞬だけ黙った。

 だが、もう完全にはとぼけなかった。


「返ってきた」


 本城はそれ以上聞かない。

 ただ、小さくうなずく。


「悪い返り方ではなさそうです」


 私はそこで少しだけ笑った。

「そう見えるか」


「はい。今日は“傷ついた顔”じゃなくて、“直す場所が見えた顔”なので」


 その分類は、今日いちばん正確だったかもしれない。


 直す場所が見えた顔。

 まさにその通りだ。


     ◇


 夜、書斎へ戻ると、私は高梨の赤入り原稿を改めて開いた。


 デスクライトの下で見ると、昼間よりさらに分かる。

 一つひとつの赤が、たしかに前進のために入っていることが。


 主人公を綺麗にするためではない。

 ホテルの夜を薄めるためでもない。

 みっともなさを消すのではなく、みっともなさへ読者が入ってこられる道幅を少し広げるための赤だ。


 私はコメントを見返しながら、いちばん上へ新しく書いた。


 編集の赤は、否定じゃなくて前進のために入ることがある。

 それを信じられるかどうかで、直しはだいぶ違う。


 そこまで打ってから、本文へ戻る。


 本城由来の女の台詞を一つ削る。

 視線を一つ残す。

 ホテルの夜のパートを少しだけ後ろへ動かす。

 主人公の“何かあった感”を冒頭で半歩だけ強める。


 すると、不思議なくらい流れが良くなる。

 高梨の赤はやはり、間違っていない。


 私は改稿しながら、少しずつ気持ちが前へ向くのを感じていた。


 会議に通らなかった。

 でも、そこで終わらなかった。

 高梨の赤が返ってきた。

 しかも、壊すためではない赤として。


 それだけで、この企画はまだちゃんと進んでいる。


 私は最後にメモ帳へ、短く残した。


 褒められたあとほど直しは難しい。

 でも、褒められたものを壊さずに前へ押す赤があるなら、そこからもう一段行ける。


 そこまで書いて、私は深く息を吐いた。


 今夜の私は、少なくとも前の案群へ戻ってはいない。

 それだけはかなり確かだった。

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