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四十七歳、現役ラノベ作家。オリコンランカーだけれど生活はまだ会社員のままだ  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第67話 直したはずなのに、まだ何かが足りない夜がある

 高梨の赤を受け取ったあとの数日は、たしかに前へ進んでいた。


 入口を会社側へ寄せる。

 ホテルの夜は削らず、順番だけ変える。

 本城由来の女の“近さ”は残しつつ、最初から察しがよすぎる便利さに見えないように、台詞を一つ減らす。

 主人公のみっともなさを薄めずに、でも読者がもう半歩だけ見ていられる導線を作る。


 どれも理屈としては見えている。

 実際、直せば直すほど稿はよくなっている感触もあった。


 だから、本来なら少しは安心していいはずだった。


 だが、安心と“足りている”は別の話なのだと、その週の木曜の夜、私はまた思い知ることになる。


     ◇


 その日は会社でも大きな問題は起きなかった。


 営業部はいつも通り少し強気で、

 榎本はその数字を現実へ戻し、

 三浦は先方への返信文に“前向きに”を入れたがり、

 本城は静かに一覧を整えていた。


 つまり、だいたいいつもの一日だった。


 会議も荒れず、

 部長の確認もいつもより短く、

 先方の返答も曖昧ではあるが悪くはない。


 仕事の側だけ見れば、今日はかなり“平和”な日と言っていい。

 本城の言い方を借りるなら、悪い疲れではなかっただろう。


 それなのに、夜、書斎へ入って新企画を開いた瞬間、私はすぐに分かった。


 まだ、何かが足りない。


 壊れてはいない。

 弱くもない。

 会議に出した最初のラフより、明らかによくなっている。

 主人公も立っているし、入口も広がった。

 本城由来の女の距離感も、前よりずっと効いている。


 でも、まだ何かが足りない。


 私は画面を見たまま、しばらく動けなかった。


 こういう時が一番厄介だ。

 完全に駄目なら直しようがある。

 具体的な問題が見えているなら、手も動く。

 だが、“かなりよくなっているのに、まだ足りない”という状態は、一番言葉にしにくい。


 何が足りないのか。

 熱か。

 意外性か。

 読者が一話目の最後で絶対に次を押したくなる“決定打”か。


 私はキーボードの前で少しだけ背を丸め、メモ帳を開いた。


 よくなっている。

 でも、まだ“これを絶対に読ませたい”という執念が一箇所足りない。


 打ってから、私は小さく舌打ちしそうになった。

 こういう抽象的な言い方しか出ない時は、だいたいまだ核心を掴めていない。


     ◇


 私は最初から読み返した。


 会社の朝。

 メール画面の前で一秒長く止まる主人公。

 本城由来の女の静かな視線。

 営業部の夢見がちな数字。

 主人公の中に残っているホテルの夜。

 そして、少しずつ見えてくる“昨夜何かがあったらしい”気配。


 読める。

 かなり読める。


 それでも、途中で私はふと画面から目を離した。


 たぶん問題はここだ。

 読める。

 でも、まだ“読む”の域を出ていない。

 “今すぐこの先が知りたい”まで、もう一歩だけ届いていない。


 投稿サイトアクセス数重視なら、そこはかなり大きい。

 毎話の最後に、小さくても強い引きが要る。

 しかもこの作品では、派手な事件や露骨な秘密バレではなく、半径数メートルの現実の中で引きを作らなければならない。


 それは分かっている。

 分かっているのに、今夜はその“一押し”がまだ見えない。


 私は椅子から立ち上がり、書斎の本棚の前まで歩いた。

 歩いたところで答えが落ちているわけではない。

 でも、こういう時に机の前へ座り続けると、文章がどんどん安全側へ固まっていくのも経験で知っていた。


 ホテルの夜で得た見栄や惨めさは、もうかなり入っている。

 会社の平日の削れ方も、たしかに書けている。

 家で真由美に“いい顔してる”と言われる生活側の圧も悪くない。


 じゃあ何が足りないのか。


 私は本棚へ指を沿わせながら、ふと気づいた。


 主人公がまだ、自分で自分の危うさを認めるのが早い。


 それだ、と私は思った。


 いまの稿の主人公は、見栄も優越感も持っている。

 でも、そのあとで比較的早く“こんな自分は嫌だ”と自覚してしまっている。

 それは誠実さではある。

 しかし、読者を引っ張る毒としては少し薄い。


 もっと遅らせたほうがいい。

 主人公が、自分の醜さを自覚する前に、読者のほうが先にその危うさへ気づく時間が必要なのだ。


 そうすると、一話の終わりの引きも強くなる。

 “この人、まだ自分がどこまで危ないか分かっていないな”と思わせるほうが、たぶん次を押させる。


 私は急いで机へ戻った。


     ◇


 メモ帳を開き、かなり速く打つ。


 主人公の反省が早いと、読者が先へ行く理由が少し減る。

 読者が先に“危ない”と気づいていて、主人公だけがまだそこへ名前をつけていない時間が必要。

 その時間が、次を押させる。


 そこまで打って、私は深くうなずいた。


 そうだ。

 いま必要なのは、主人公の誠実さを削ることではない。

 誠実さの出るタイミングを少し遅らせることだ。


 見栄を持つ。

 優越感を持つ。

 若い受賞者に刺される。

 売れていない同業へ一瞬安心する。

 そのあとすぐ“嫌な人間だ”とまとめてしまうのではなく、もう少しだけ生のまま泳がせる。


 その泳ぎ方が、たぶん今の読者には必要なのだ。

 綺麗に整えられた反省よりも、“この人まだ自分で自分を整理しきれてないな”という生々しさのほうが、次のページへ連れていける。


 私は本文の数段落を削り、独白の位置を後ろへ回した。

 反省を遅らせる。

 そのぶん、ホテルの夜の余韻を少しだけ長く残す。


 すると、驚くほど流れが変わった。


 主人公が少しだけ危うくなる。

 でも、その危うさのぶんだけ、目を離しにくくなる。

 嫌な人間ではある。

 でも、いま切るとこの男がどこまで自分を見誤るのか分からない。

 その感じが出る。


「……これか」


 私は小さく声に出した。


 答えは、派手な事件ではなかった。

 主人公が自分の醜さへ気づく“間”の取り方だった。


     ◇


 その時、スマホが震えた。


 高梨ではなかった。

 珍しく、結衣からだった。


『まだ起きてる?』


 私は少し驚きながら返す。


『起きてる』


 すぐに来る。


『リビングにプリンあるから食べていいよ

 お父さん今日たぶんまだ寝ない顔してたから』


 私はそのメッセージを見て、思わず少し笑った。


 寝ない顔。

 本城も真由美も結衣も、最近どうも人の顔に名前をつけすぎる。


 だが、その雑な優しさに少しだけ救われる。

 私はスマホを机に置き、しばらく画面を見つめたあと、メモ帳へ一行足した。


 家族は、作品の中身を知らない。

 でも、“今日はまだ寝ない顔”だけは見抜く。


 それもまた使える。

 いや、使えると思ってしまう時点で、私はちゃんとまだ作家なのだろう。


 仕事で削られても、

 企画会議に一度落ちても、

 再提出用の直しに詰まっても、

 こうして一行を拾ってしまう。


 そのしぶとさだけは、たぶんまだ残っている。


     ◇


 私はリビングへ行って、冷蔵庫のプリンを一つ取った。


 家の中は静かだ。

 真由美はもう寝ているらしい。

 結衣の部屋のドアの下から、わずかに光が漏れている。


 スプーンで一口食べる。

 甘い。

 ホテルのパーティーでも、会社の会議室でも、こういう甘さはない。

 それが少しだけ可笑しかった。


 キッチンの小さな明かりの中で、私はさっき掴んだものを反芻していた。


 主人公の反省が早すぎる。

 読者が先に危うさへ気づく時間が要る。


 それは、かなり大きな発見だった。

 いままでの私は、主人公を早めに自覚させることで“嫌われすぎないように”していたのかもしれない。

 でも、それでは毒が少し薄い。

 少なくとも、この作品の核には合わない。


 主人公は綺麗じゃない。

 そして、その綺麗じゃなさに自分で気づくのも少し遅い。

 その遅さごと読ませる。


 それでようやく、“次が気になる”が強くなる。


 私はプリンの空容器を流しへ置き、書斎へ戻った。


     ◇


 机の前へ座り直し、今度は迷わず本文を直した。


 ホテルの夜のあとで、主人公が自分の優越感へうんざりする一文を後ろへ送る。

 代わりに、若い受賞者を見た時の刺され方と、売れていない同業へ感じた一瞬の安堵を、もう少しだけ生のまま置いておく。


 すると、一話の終わりに向かう流れが急に強くなった。

 読者は、主人公より少しだけ先に“この人、まだ危ないな”と思える。

 でも主人公本人は、そこまで整理できていない。


 そのズレが、ちゃんと引きになる。


 私は最後に、一話の末尾へ新しく一文を置いた。


 その時の彼は、まだ自分がどこまでみっともないのかを、ちゃんとは分かっていなかった。


 読み返す。

 いい。

 かなりいい。


 前より、明らかに次を押させる終わり方になっている。


 私はメモ帳へ短く残した。


 直したはずなのに、まだ何かが足りない夜がある。

 でも、その“足りなさ”の正体が見えた時、物語は一段深くなる。


 そこまで書いて、ようやく肩の力を抜いた。


 再提出用の直しは、やはり簡単ではない。

 でも、こうして一つずつ“本当に足りなかったもの”を見つけていく作業は、前よりずっと手応えがある。


 壊れていない。

 むしろ、少しずつ強くなっている。


 そう思えたことが、今夜の一番大きな収穫だった。

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