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四十七歳、現役ラノベ作家。オリコンランカーだけれど生活はまだ会社員のままだ  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第63話 会議は通らなかった。でも、前とは少し違う

 高梨から連絡が来たのは、その日の夜、二十一時を少し回った頃だった。


 私はリビングで、真由美が置いていった洗濯物をなんとなく畳んでいた。

 自分でも、なぜそんなことをしていたのかよく分からない。別に率先して家事を手伝うような殊勝な気分だったわけではない。ただ、書斎へ直行してスマホを見続けるのがあまりにも落ち着かなくて、何か手を動かしていたかったのだ。


 テレビは消えている。

 結衣は自室だ。

 真由美は風呂に入っているらしく、浴室のほうからかすかに水の音がしていた。


 その静かなタイミングで、スマホが震えた。


 私はタオルを畳みかけたまま、手を止めた。

 画面を見る前に、もう分かっていた。

 高梨だと。


 そして、たぶん、今日の答えだと。


 私は一度だけ深く息を吸った。

 それから画面を開く。


『今、少しだけお電話大丈夫でしょうか』


 メッセージはそれだけだった。


 私はその短さに、胸の奥が少しだけ冷たくなるのを感じた。


 良い時も悪い時も、電話は来る。

 だが、少なくとも“その場でちゃんと説明したい内容”であることだけは分かる。数行で済ませられる話ではない、ということだ。


 私はすぐに返信した。


『大丈夫です』


 送信してから、スマホを握ったまま立ち上がる。

 リビングのままでは落ち着かない。私は静かに廊下へ出て、書斎の手前まで移動した。そこなら真由美の水音も少し遠く、結衣の気配も薄い。


 数秒後、電話が鳴った。


「もしもし」


『お疲れさまです』


 高梨の声は、いつも通りに聞こえた。

 聞こえたが、その“いつも通り”が今日は少しだけ慎重に感じられた。


「お疲れ」


 私はそう返し、壁に軽く背を預けた。

 先に何かを言う気にはなれなかった。

 高梨のほうから話し始めるのを待つ。


 少しだけ間があった。

 それから、高梨が言う。


『結論から言うと、今回、企画会議は即通過ではなかったです』


 私はその言葉を、かなり静かに受け取った。


 即通過ではなかった。

 通らなかった、とは少し違う言い方だ。

 だが、少なくとも“決まった”ではない。


 私は壁にもたれたまま、目を閉じた。


「そっか」


 出てきたのは、それだけだった。


 落ち込んでいないわけではない。

 だが、思っていたより崩れなかった。

 それはたぶん、結果そのものより、言い方のせいだろう。


 即通過ではなかった。

 高梨はそこで一度止めている。

 つまり、完全否定ではない。


『ただ』


 やはり、高梨はその続きを持っていた。


『かなり前向きな保留、という感じでした』


 私はそこで、もう一度だけ目を開けた。


 前向きな保留。

 それは編集の言葉だ。

 そして、高梨はこういう時、無駄に持ち上げるタイプではない。


『方向性は面白い、主人公も立っている、近さも武器になっている、という評価はちゃんとありました』


 私は黙って聞いた。


『ただ、一回目の会議でそのまま通すには、何人かが入口の狭さを気にしました』


「入口の狭さ」


『はい。主人公がかなり生々しくて面白いぶん、最初の数話で読者がついてこられるかどうか、という話です』


 それは、かなり予想していた指摘でもあった。


 主人公は綺麗じゃない。

 見栄もあるし、優越感もあるし、少し嫌なところもある。

 でも、そのみっともなさが魅力へ変わるはずだと私は信じて書いてきた。


 とはいえ、会議でそこを真っ先に懸念されるのも、よく分かる。

 投稿サイトなら一話二話で切られる可能性は常にあるし、商業としても読者の入り口は無視できない。


「なるほどな」


 私は小さく言った。


『でも、前とは明らかに違います』


 高梨の声が、そこで少しだけ強くなった。


『前の“悪くないけど弱い”案の時は、みんなだいたい同じ方向の反応だったんです。ちゃんとしてる、でももう一押しがない、みたいな。今回は違いました』


 私は壁から少しだけ身体を起こした。


「割れたのか」


『割れました』


 高梨ははっきり言う。


『だから、その場で通らなかったとも言えます。全員受けするタイプじゃないので。でも、その代わり、かなり強く刺さっている人もいました』


 私はその一言に、胸の奥で何かが少しだけ戻るのを感じた。


 強く刺さっている人もいた。


 それは、今までの私が一番欲しかった種類の反応かもしれない。

 全員に無難に読まれることではなく、誰かの中へ深く引っかかること。

 ホテルの夜で、名前を覚えられる作家と忘れられる作家の違いを見ながら、私はたしかにそこを痛感していた。


「誰か、いたんだな」


『いました』


 高梨は少しだけ笑う気配を混ぜた。


『一人、かなり強く推してくれた編集がいました。“この主人公は嫌われるかもしれないけど、今っぽくて、逆に残る”って』


 私はその言葉を聞いて、しばらく返せなかった。


 嫌われるかもしれないけど、残る。


 それはまさに、私がここ数話でようやく自分に許した方向性だった。

 “好かれる主人公”ではなく、“見ていたくなる主人公”。

 綺麗じゃない。

 でも、目を離せない。


 その方向を、社内の誰かが同じように読んでくれたのだ。


 それだけで、落ちたのに、少しだけ救われる。


     ◇


「じゃあ」


 私はようやく言葉を探し当てた。

「完全に駄目、ではないんだな」


『完全に駄目ではないです。むしろ逆です。再調整してもう一回出したい、という話でした』


 再調整。

 再提出。


 それはたしかに、手応えのある保留だ。

 喜ぶにはまだ早い。

 だが、落ち込んで閉じる段階でもない。


『いくつか整理が必要です』


 高梨が続ける。


『主人公の魅力が出るまでに読者をどう掴むか。

 “近すぎる”ことの面白さを、ただの生傷で終わらせずにどう見せるか。

 それから、職場の女の立ち位置ですね。あのキャラはかなり効いてるんですけど、今のままだと“察しが良すぎる便利キャラ”に見える危険もあるので』


 私はその指摘に、かなり素直にうなずいた。


「たしかに」


『でも、これは“弱いから直す”じゃないです。

 “強いから、通る形まで整える”に近いです』


 その言い方は、大きかった。


 弱いから直す。

 それは前の案群で散々味わってきた。

 足りないから、薄いから、もう少しフックを、もう少しキャッチーさを、もう少し主人公へ好感を、そういう足し算ばかりをしてきた。


 今回は違う。

 強いから整える。


 もしそれが本当なら、私はようやく別の入り口へ立てたのかもしれない。


「……悔しいけど」


 私は壁へもう一度背を預けた。

「前の時とは、たしかに違うな」


『違います』


 高梨は間髪入れずに返した。


『先生もたぶん分かると思うんですけど、今回のは“流されなかった”です』


 流されなかった。


 その一言で、私ははっきりと第三章のホテルの夜を思い出した。


 名前を覚えられる作家、忘れられる作家。

 会場の中で、会話のあとに人の記憶へ引っかかる人間と、その場限りで薄くほどけていく人間。


 そして私は、その違いを“次の作品があるかどうか”の問題としても見ていた。


 今回の企画は、少なくとも会議で流されなかった。

 全会一致で穏当に落とされるのではなく、ちゃんと誰かの中へ引っかかった。

 そのことは大きい。


「そっか」


 私はもう一度言った。

 だが、今度の“そっか”は、最初のものとは少し違っていた。


 悔しい。

 もちろん悔しい。

 企画会議にそのまま通ってほしかったし、そこで高梨から「いけました」と言われる未来だって、少しは想像していた。


 でも同時に、かなり確かな手応えもある。

 そして、その手応えは前よりずっと生々しい。


     ◇


『落ち込んでますか』


 高梨が少しだけ慎重に聞く。


 私は苦笑した。

「落ち込んではいるよ」


『ですよね』


「でも、前よりはましだな」


『それはよかったです』


「いや、よかったのかはまだ分からないけど」


 私は壁から離れ、廊下を少しだけ歩いた。

 家の中は静かだ。真由美が風呂から上がった気配もまだない。


「前の案って、落ちた時に“やっぱり弱かったんだな”で終わってたんだよ」


『はい』


「今回は、そこじゃない感じがする」


『そうですね』


「たぶん、ちゃんとぶつかったんだろうな」


 高梨は少しだけ間を置いてから言った。


『ぶつかりました。

 だから次があるんだと思います』


 その言葉は、今夜いちばん深く入ったかもしれない。


 ぶつかった。

 だから次がある。


 もし何も刺さらなければ、そのまま静かに流れて終わる。

 だが、今回は違った。

 引っかかった。

 割れた。

 通らなかった。

 でも、その割れ方そのものが、企画に熱がある証拠でもあった。


「じゃあ」


 私は小さく言った。

「直そう」


『はい』


「入口、もう少し考える。

 職場の女の立ち位置も、便利に見えないほうへ寄せる」


『お願いします』


「タイトルも、たぶん少し考え直したほうがいいな」


『そこも含めて、一度また打ち合わせしましょう』


 私はうなずいた。

「わかった」


 電話を切る前、高梨が最後に言った。


『先生』


「うん」


『今回は、ちゃんと次に繋がる落ち方です』


 私はその一言に、少しだけ救われた。

 落ち方、という表現がかえってよかった。

 通らなかったことをなかったことにしない。

 でも、その落ち方には種類があるのだと認めてくれる。


「ありがとう」


 私は素直にそう言った。


     ◇


 電話を切ったあと、私はしばらくその場で立っていた。


 悔しい。

 やはり、悔しい。

 通ってほしかった。

 即通過の連絡をどこかで期待していた。


 でも、それだけではない。

 会議で流されなかった。

 一人、強く推してくれた編集がいた。

 方向性は面白いと言われた。

 主人公も立っていると言われた。

 再提出の余地が残った。


 その全部を思い返すと、落ちたという事実の上に、前とは違う固さが残る。


 私はそのまま書斎へ入った。


 机の上には、見本誌と会社の手帳と健康診断の紙。

 相変わらず雑多で、相変わらずいかにも今の私の机だった。


 パソコンを開き、新企画を立ち上げる。

 最新稿の最初の数ページを読み返す。


 ホテルの夜。

 憧れと見栄と惨めさ。

 翌朝の電車。

 職場で疲れ方を見抜いてくる女。


 読める。

 ちゃんと読める。

 そして、やはり弱くはない。


 私はメモ帳を開き、短く打った。


 会議は通らなかった。

 でも、前とは少し違う。

 今回は、ちゃんと誰かの中へ残った。

 流されなかった。


 そこまで書いて、私は息を吐いた。


 大勝利ではない。

 でも、敗北だけでもない。


 投稿サイトで読者が続きを押したくなるのは、たぶんこういう“完全には終わっていない負け”なのだろう。

 悔しさがあり、

 手応えがあり、

 次が見えている。


 私はさらに一行だけ足した。


 名前を残す物語は、たぶんこうやって始まる。


 それを書いた瞬間、この第四章の終わりが見えた気がした。

 勝っていない。

 でも、ちゃんと何かは始まっている。


 それは、いまの私にとって十分に大きな前進だった。

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