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四十七歳、現役ラノベ作家。オリコンランカーだけれど生活はまだ会社員のままだ  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第62話 結果はまだ来ない。だから余計に、仕事が手につかない

 結果が来ない日のほうが、たぶん人は疲れる。


 悪い結果なら悪い結果で、まだ処理のしようがある。

 落ち込むなり、腹を括るなり、次を考えるなり、とにかく感情に形がつく。

 良い結果ならなおさらだ。嬉しい、やるしかない、整えよう、進めよう、そうやって人は前へ動ける。


 だが、何も来ない日は違う。


 何も決まっていないのに、

 何かが決まりかけている前提で、

 一日を普通に過ごさなければならない。


 その曖昧さが、じわじわと神経を削る。


 企画会議当日の朝、私は通勤電車の中で、そのことを嫌というほど実感していた。


 高梨から前夜のうちに短いメッセージが来ていた。


『今日、出します』


 たった四文字に近いその報告が、逆に厄介だった。


 今日。

 出します。


 つまり、いまこの電車が門前仲町を過ぎる頃かもしれないし、昼の会議のあとかもしれないし、夕方かもしれない。どの時間帯かは分からない。だが今日のどこかで、あの企画が、私の知らない会議室で、私の知らない温度の人間たちに読まれ、値踏みされ、面白いだの危ないだの弱いだの言われる。


 その想像だけで、喉の奥が少し乾く。


 私はスマホを取り出しかけてやめた。

 まだ何も来ていないことを確認するだけなら、見ないほうがましだ。

 それでも結局、次の駅に着く前にはもう一度だけ画面を開いてしまう。


 何も来ていない。


 当たり前だ。

 朝だ。

 会社員でも、編集でも、会議前にいちいち連絡などしている暇はない。


 分かっている。

 でも、人は分かっていても無意味な確認をする。


 私はスマホをしまい、窓に映る自分の顔を見た。

 眠そうだ。

 だが、ただ眠い顔ではない。

 どこかでずっと別の時計を見ている顔だ。


 たぶん今日は、本城にかなり見抜かれるだろうと思った。


     ◇


 出社すると、営業管理課の島は相変わらずいつも通りだった。


 榎本は朝一の見込み表を開いていて、三浦は先方から返ってきたメールの“今後ともよろしくお願いいたします”に何か裏があるのではないかという顔をしている。本城は一覧の差し替えを始めていて、部長はまだ来ていない。


 その普通さが、今日は少しだけ腹立たしかった。


 いや、腹立たしいというより、自分だけが別の緊張を抱えていることが妙に浮いて感じるのだ。

 世界は普通に進んでいる。

 営業部は数字の夢を見る。

 三浦は語尾で悩む。

 本城は静かな顔で仕事を整える。

 私だけが、ポケットの中の見えない会議室をずっと意識している。


「おはようございます」


 本城がいつもの声で言う。


「おはよう」


 私は返したつもりだった。

 だが、自分でも少しだけタイミングが遅れたのが分かった。


 本城はそれ以上何も言わない。

 だが、席へ座る前のほんの一瞬だけこちらの顔を見た。

 たぶんもう、かなり分かっている。


 私はパソコンを開き、社内メールを順に処理し始めた。

 数字を見て、

 返信案を見て、

 会議資料の更新点を確認する。


 作業はできる。

 判断もできる。

 だが集中が浅い。


 一つ処理するたびに、頭のどこかが「まだ来ていない」と確認している。

 それが自分でもうんざりするほど分かった。


     ◇


「係長、ここ先方への返し、どうします?」


 三浦がモニターを向ける。


 私は椅子を少し寄せて画面を見た。

 悪くない文面だ。だが、最後の一行にまた余計な期待が混ざっている。


「“前向きに”は削ろう」


「やっぱりですか」


「“再確認のうえ改めて”でいい」


「最近ほんと、“前向きに”嫌いですね」


 私はそこで少しだけ答えが遅れた。


 前向きに。

 その言葉が今日の自分に刺さったからだ。


 会議がどう転ぶか分からない日に、

 こちらだけ前向きな顔をするのはたしかに危ない。

 期待値は育つ。

 育った期待は、結果が来ない時間の中で勝手に膨らむ。

 そして、膨らんだぶんだけ自分を食う。


「嫌いというより」


 私は少し考えてから言った。

「今日みたいな日は、とくに危ない」


 三浦は首を傾げた。

「今日みたいな日?」


「何も決まってないのに、こっちだけ決まりかけた気になる日」


 言ってから、少しだけまずいと思った。

 だが、もう遅い。


 榎本が横で顔を上げる。

「それ、仕事の話ですか?」


 私は苦笑するしかなかった。

「仕事の話だよ」


 本城がそこで、静かに言った。


「今日は、かなり待ってる顔です」


 私はモニターから目を上げた。

 本城は手元の一覧を整えたまま、こちらを見てはいない。

 だが、たしかに聞こえるように言った。


 待ってる顔。

 昨日も言われた。

 だが今日は、そこへさらに別の温度がある。


「そんなに分かるか」


 私が言うと、本城は小さくうなずく。


「昨日は“悪い想像が育ってる待ち方”でしたけど、今日はそれに“もう始まってるかもしれない”が混ざってます」


 私は返事に詰まった。


 始まってるかもしれない。

 それが、まさに今日の私の内心そのものだったからだ。


 企画会議は今日だ。

 高梨がそう言った。

 なら、もうどこかで始まっていてもおかしくない。


 その“始まってるかもしれない”を、本城は顔つきだけで言い当てる。


「……見すぎだろ」


 どうにかそれだけ返す。

 本城はそこで少しだけ口元をやわらげた。


「今日はかなり分かりやすいので」


 それ以上は言わない。

 だが、その言葉だけで十分だった。


 私は自席へ戻りながら、頭の中でその一文をもうメモにしていた。


 もう始まってるかもしれない。


 いい。

 かなりいい。

 だが今日は、それを喜ぶ余裕すら少ない。


     ◇


 午前の会議は短かった。

 短かったのに、私は妙に疲れた。


 理由は簡単だ。

 部長の声を聞きながらも、頭のどこかで別の会議室を想像していたからだ。


 いま頃、高梨は資料を広げているのかもしれない。

 編集が何人かいて、営業寄りの人間もいて、たぶん私の名前ではなく企画の内容のほうが先に話される。

 主人公が綺麗じゃないこと。

 近すぎること。

 でも、その近さが面白さになっていること。


 そういう話が、いまどこかでされているかもしれない。


 想像するだけで、仕事の会議への集中が少し薄くなる。

 そしてその薄くなり方に、自分でも腹が立つ。


 四十七歳にもなって、

 営業管理課係長までやっていて、

 まだこんなふうに一つの結果待ちへ持っていかれるのか、と。


 だが、持っていかれるのだから仕方がない。


 会議が終わり、自席へ戻ると、私物のスマホを確認した。

 何も来ていない。


 分かっていた。

 分かっていたが、やはり少しだけ肩が落ちる。


 何も来ていない、ということ自体に意味はない。

 まだ終わっていないだけかもしれないし、終わっていてもすぐ言えないだけかもしれない。

 でも、人はそこへ勝手に悪い意味を足してしまう。


 反応が悪いのかもしれない。

 割れたのかもしれない。

 高梨も言葉を選んでいるのかもしれない。


 その想像が、またじわじわと育つ。

 結果が来ない日というのは、本当にそういう意味で厄介だ。


     ◇


 昼休み、私は外へ出ずに自席でおにぎりを食べていた。


 食欲はない。

 だが、何か口へ入れておかないと午後の仕事で確実に頭が落ちる。


 榎本が隣でサンドイッチを開けながら言う。

「係長、今日ほんと変ですよ」


「何がだ」


「仕事はしてるんですけど、してるだけって感じ」


 私は苦笑した。

「それ、だいぶ悪口だな」


「悪口じゃないですよ。なんか、半分別のこと考えてる時のやつだなって」


 また、それだ。

 最近の営業管理課は本当に人の顔と間を見すぎる。


 三浦までうなずく。

「朝からずっと、返事一拍遅いですし」


 私はおにぎりを持ったまま少しだけ目を細めた。

「そんなに分かりやすいか」


「今日はかなり」


 そう言ったのは本城だった。


 彼女は味噌汁のカップを持ったまま、静かな声で続ける。


「でも、朝よりは少し悪いほうです」


 悪いほう。

 また疲れ方の分類だ。

 私は少しだけ笑った。

「待つのに失敗してるってことか」


 本城はほんの少しだけ考えてから言う。


「たぶん、“何も来てない”の意味を自分で足し始めてる時の顔です」


 私はその一言で、完全におにぎりを置いた。


 そこまで当てるのか。

 あるいは、そこまで見えてしまうのか。


「……怖いな」


 私がそう言うと、本城は平然と返した。

「そうだと思います」


 榎本も三浦も、その会話の細い意味までは拾っていないらしい。ただ少しだけ笑っている。

 だが、私の内側ではかなり響いていた。


 何も来てない、の意味を自分で足し始めてる時の顔。


 これだ。

 これもそのまま使える。

 いや、使えるどころか、今日の主人公の中心そのものだ。


 結果はまだ来ない。

 だから人は、来ていないこと自体へ勝手な意味を足す。

 その勝手な意味が、自分を削る。


 私はその一文を頭の中へ強く残した。

 午後の仕事が終わるまで、絶対に忘れたくないと思った。


     ◇


 だが、午後はさらに集中できなかった。


 仕事の量が多いわけではない。

 普段通りだ。

 それなのに、一つひとつの作業の合間に、どうしてもスマホのことを考えてしまう。

 いま来ているかもしれない。

 いや、まだ来ていないかもしれない。

 来ないなら来ないで、どんな顔で高梨が言葉を選んでいるのか想像してしまう。


 それが本当にまずい。

 人は、何も来ていない時間のほうが勝手に消耗する。


 五時を過ぎる頃には、私の疲れ方はかなりひどかった。

 本城の言葉を借りるなら、“かなり悪いほう”であることは自分でも分かる。


 終業間際、榎本が営業部への最終返しを終え、三浦が「今日はちょっと疲れましたね」と椅子へもたれ、本城は静かに一覧の最終版を保存していた。


「係長」


 本城が席を立ちながら言う。


「今日は、たぶん帰ってもすぐ結果見ないほうがいいです」


 私は思わず顔を上げた。

「まだ何も来てないって前提か」


「たぶん、来てないからこうなってるので」


 彼女はそう言ってから、少しだけ間を置いた。


「今日の顔だと、何が来てもすぐ悪いほうへ解釈しそうです」


 私はそこで、小さく笑った。

 笑うしかなかった。


「ひどい言いようだな」


「かなり、当たってると思います」


 当たっている。

 かなり、当たっている。

 だからこそ言い返しづらい。


 私は息を吐いた。

「……そうかもな」


 本城はそれ以上言わず、「お疲れさまでした」とだけ残して帰っていった。


 その背中を見送りながら、私は思った。

 この人はどこまで知っているのだろう。

 いや、もう“知っているかどうか”ではない。

 知らないまま、ここまで来ている。

 そのこと自体が、かなり危うい。


     ◇


 会社を出て駅へ向かう途中、私はとうとう我慢できずにスマホを見た。


 高梨からは、まだ何も来ていない。


 私は歩きながら、少しだけ笑ってしまった。

 乾いた笑いだ。


 やはり、今日はそういう日なのだ。

 結果が来ない。

 だから余計に、仕事が手につかない。

 そして、何も来ていないこと自体へ意味を足して、自分で自分を削る。


 ホームで電車を待ちながら、私はスマホのメモ帳を開いた。


 結果が来ない日は、悪い知らせが来たわけじゃない。

 でも、人は“何も来ていない”に勝手に悪い意味を足してしまう。

 その想像力の使い方だけは、たいてい異様に上手い。


 そこまで打ってから、さらに一行。


 待っている時に仕事が手につかないのではない。

 仕事をしていても、待っていることがずっと手を離れないのだ。


 保存する。

 それだけで少しだけ落ち着く。


 今日の結果はまだ来ない。

 でも、その“まだ来ない”の苦しさはかなり正確に拾えた。

 投稿サイトで続きを押させるなら、こういう地味な地獄のほうがきっと効く。


 大事件ではない。

 でも、分かる人にはものすごく分かる。


 私は電車へ乗り込み、ドア脇に立った。

 窓へ映る自分の顔は、たしかにかなり悪い。


 そして、その悪い顔ごと、今日の原稿へ入れられる気がした。

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